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● 【preview】遠雷  ●



 雨がはめ殺しの窓を叩く音と、徐々に近づいてきている雷の音を泉はじっと聞いている。
「……そんな顔すんなって。これは俺の仕事。お前、今日は練習休みなんだろ?休みってことは身体を休ませなくちゃいけないし、それも練習の内なんだから気にするな。俺のバイト手伝うんだったら腹筋でもやってろっての」
 浜田は表から目を離さずにぽつりと言った。
「……ここで、見ていていいか?」
 それで初めて浜田が泉の方を向いた。視線がぶつかる。
 また、窓の外で雷が光り、間髪をほとんど入れずに鳴った。
「ああ。好きにしろ」
 泉はパイプ椅子と飲みかけのカルピスペットボトルを持って通路に座った。
(なーんだって俺はみんなとマック行かなかったんだ?)
 ついぞ見たことのない浜田の真剣な横顔を見ながら、再びその疑問に考えが向かう。
(こんなところで浜田の働きっぷりを見てるのはなんか意味あんの?)
 意味はない、多分何一つない。
 だが、泉は全く野球部の連中と一緒にファーストフードショップに行かなかったことを後悔はしていない。
 今すぐ帰ろうとも思っていない。
 雨はますます激しくなっているようだった。今頃上空にあるのだろう厚い雲のせいで、先ほどより窓から降り注ぐ光の量が減ったように思う。そうだ、第一、今、外に出ていくのは大ばか者のすることだ。
(傘さして自転車は絶対うぜー。浜田の言う通りだ。この降り方ならその内やむだろうし……それまで待つだけだ)
 ここにいる理由を見つけて、泉は少しほっとした。ほっとしたことに気付いてまた少し焦っている。
 浜田は、書類への書き付けを「終了!」と独り言を言いながら終わらせると、今度はカートを引っ張ってきて、別のリストを見ながら次々に倉庫の棚からものを取りだして台車の上に並べていく。びっちりと隙間なく効率よく並べられ、積み上げられていく様子を見て、泉は感心した。
(すげえ、ベテランって感じ)
 自分で言っていた通り、仕事慣れしていて、動作に無駄がない。雇い主の社長が浜田を信頼するのも当たり前だ、と泉は思った。荷物を満載したカートは二つ。浜田は所定の位置に戻してふっと息をつき、額のところにかいた汗を袖のところで拭った。
 泉はそれを見ながらカルピスを一口飲んでみる。甘酸っぱい感触が喉を通り過ぎていくのが気持ちいい。
「……っ!」
 突然、外が光りそれとほぼ同時に轟音がした。泉はぎょっとして跳び上がる。
 もう大分近くに雷がきているらしい。
 窓のすぐ下にいると、外で鳴り響く雷の音がまともに落ちてくる。泉は取り落とすことを警戒して手にしていたカルピスのキャップを絞めた。
 くくくっ
 声の方を見れば浜田がおかしそうに笑っている。
「なんだよ、浜田……」
 気分を害したことを隠しもせずに名前を呼べば、浜田は笑いながら泉の方を向いた。
「いや、泉ってもしかして雷苦手なんじゃね?って思ってさ」
「……」
 図星である。泉は思わず言葉に詰まってしまった。
「あー、やっぱり。なんかさっきから外の様子にいちいちびくびく怯えてんなあと思ってさ……まさか泉にそんなかわいいところがあったとはねえ。驚きだっと」
 浜田は言って、クリップボードに何やら書き記し、カートの上に乗せた。
「終わったぞ。ほら見ろ。オレ、仕事早いだろ?バイト終わりまであと四十分以上あるぜ?二人仕事を時間より大分前に終わらせたオレ、偉ぇ……だからそんな恐い顔すんなって。雷がいなくなるまでここにいていいから」
 浜田は言って通路を泉の方に戻ってくる。
「まだ時間までは事務所戻らないから。第一、戻ったらその分時給もらえなくて損だし。ちょっと休憩な。社長からいっぱいお菓子もらったのまだあるし。食うか?」
「食う」
 餌付けをされた動物のようだと、泉は我ながら情けなく思った。
「よし!オレも一人だとしゃべる相手いなくてバイトつまんねーから、泉来てくれてよかったよ」
 浜田が嬉しそうに笑った。
「……ば」
 何か、悪態をつこうと思った。
 その途端。

 雷がすぐ近くに落ちた。

「わ!」「わ!」
 世界が真っ白に塗りつぶされ、耳をつんざく轟音が鼓膜を叩く。まるで世界の終わりのような凄まじい光と音だった。
 思わず飛び上がり、泉は近くにあったもの……浜田の繋ぎに縋った。作業用ユニフォームの分厚い生地をしっかり掴む。足元にカルピスのペットボトルが落ちて転がった。
「わ……」
 倉庫を満たした真っ白な光が退くと、室内の灯りが完全に落ちていることに気がついた。ずっと耳に届いていたエアコンの音も消えた。
「わ……今の……落ちた……近く……」
 声が震えているが、この際致し方ないだろう。浜田も泉の腕を掴んでがくがく震えている。
「び、び、び、びっくりした……心臓止まるかと思ったぜ。今の、ショッピングセンターの避雷針に落ちたんじゃね?オレ、こんな近くに雷落ちたの初めてだ……泉、大丈夫か?チビってね?」
「チビ……っんねえよ!」
 浜田の言葉にすかさず噛みつくが、まだ掴んだ繋ぎから手を放せない。
 それから周囲を恐る恐る見回した。室内の灯りが消えている。浜田は泉の様子に気付いてため息をつく。
「あー、今の落雷でこのビル停電したみたいだな。もしかしたら本館の方もやられてっかも。あ……」
 浜田がはっとしたように、身じろいだ。
「なんだ?」
「あ、オレ今なんかやなこと思いついちまった。泉、ちょっと放せ。放せないなら一緒に来い」
「放せるっつの!でも、一緒に行く。気になる」
 浜田は「確認しにいくだけだから……でも、確率高ぇんだよなあ」とぶつぶついいながら、入り口に向かっていく。泉はその後に続いた。
 浜田は扉のノブをじっと見つめると、息をひとつ吐いてから手をかけた。回そうとしてがちゃがちゃ音を立てるが、一向に開く様子はない。
「おい、まさか……」
 血の気がすーっと退いていく。
「あー、ビンゴ」
 浜田は振り返ってにっこり微笑んで見せた。
「と、閉じこめられ……られ……っ!」
「みてえだな……」
 また、忌々しい雷が鳴ったが、恐らくは隣のビルを直撃したそれよりは大分マシだ。泉はドアに取りすがる。
 何度もがちゃがちゃと回してみるが、ロックされたまま戻りそうもない。



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