10月の人攫い 〜2009 Halloween SS〜




(帰ろう……)
 これ以上ここにいたらいけない、と思った。
(そうだ。三橋の家を出てから大分経つ。あまり遅くなるとお袋がうるさいし、それに今は……)

 この春まで孝介が通っていた尋常小学校の学童が人浚いに遭ったばかりで

 小さな子どもだけでなく、最近は昔なら元服している年頃の者まで行方が知れなくなっていて

 このあたりに恐ろしい人浚いが。少女ではなく少年を狙っている人浚いが

 身ぶるいが止まらない。浜田に言って早々にここを辞去した方がよさそうだ。
 孝介は振り返る。
「……っ!」
 そこに、浜田がいた。
(いつの間に……)
 気配などまったくしなかった。
 ソファにゆったりと座り、じっと孝介の様子をうかがうようにしている。その視線に、ぞくぞくと何か気づいてはいけないものが身体の奥底からゆっくりとはいあがってくる。
 浜田はくったくなく笑った。
「あんまり熱心に外を眺めていたから、気が済むまで待ってた方がいいなって思ったからさ」
「ああ……悪ぃ」
 浜田はいったいいつからあの長椅子に座って孝介を見ていたのだろうか。
 扉が背後で開いた音どころか、気配すらしなかった。浜田はまるで煙のように突如そこに現れたように孝介には思える。
 卓の上には燭台が置かれ、三本のろうそくに火が灯されていた。薄暗くなった部屋の中、はなはだ頼りない灯りだけでは、その瞳に映る色が読み切れない。
 また不安が募る。
「いやいや。お茶入ったから。ほら、来いよ」
 そうして浜田はごく自然に自分の隣を示す。
 なんとなく気が進まないのだが、置いてあるのはこの長椅子一脚だけだから、固辞するのも不自然だ。
 浜田の笑顔だけは、いい感じがした最初の印象となんら変わらない。
 いや、笑顔の奥の瞳が少し温度が違っている気がしている。
(なんだ、オレはびびってんのか?)
 この家の中が見たい、と言ったのは孝介自身だしそもそも浜田の姿をもっと近くで見てみたい、と思って後を付けていた。
 今の自分は両方ともに願いを叶えている。満喫すればいい。こんな西洋屋敷の中に入る機会なんて次はいつ訪れるかわからない。
 他に家人がいるような気配はない。
 卓上にはほうじ茶と黒い小さな固まりが揃いの器に入っておいてある。
 饗応の準備が、そこに整えられていた。
 なんとなく躊躇する心が止まないまま、それでも浜田のもてなしを受けるために隣に腰掛ける。とたん、予想していたのとは異なる、だが芳香が漂った。
「これ、お茶か?」
「紅茶だよ。せん茶やほうじ茶と同じ茶っぱだけど少し発酵のさせ方が違う。コーヒーよりははじめて飲むには抵抗がないから」
「コーヒーは、まずいから嫌いだ」
 一度だけ兄につれられて入った銀座の店で飲んだそれは驚くほど不味かった。
 浜田は「そうかあ?」と言って笑う。
 では、あの不味い泥水みたいなものをお前はおいしいと言うのか?と抗議しようと孝介は顔をあげた。
 じっと、茶色い瞳がこちらをのぞいている。また、気づいてはいけない感じのするものが足下からはいあがってくる気がして、孝介はあわてて目をそらす。
「……じゃ、こっちがちょこれいと?なんか、不味そうだな」
 用心して手のひらに乗せたあとでそっと香りを嗅いでみる。
 甘いが、やっぱり見知らぬ国の香りがした。
「なんか、口にいれんの勇気がいる……」
 そう漏らすと浜田がまた笑う。

「じゃあ、食わせてやるから」

「え?」
 孝介の手に乗った小さな粒が、あっという間もなく浜田の指に浚われる。
 同時に腰に腕が回され、ぐいと引き寄せられた。
「口、開けろ……」
 すぐそばに浜田の顔がある。
 白い肌。金色の髪が燭台の灯りに透けて光る。目がくらむ。
「やだ……」
 口から漏れる抵抗の声が弱すぎる、と孝介は思った。
「いいこだから。泉、口を開けて」
 あやすように言う声はとても優しいのに。
 真正面から見つめられ、その瞳の光の強さはまるで暴力のようだと、孝介は思った。
「もっと……優しく言えよ」
「オレ、十分優しいだろ?」
 ふと浜田の目が和んだ。

(反則だろ、それ……)

 声よりも目の方が優しい。つい、ゆるむ。
 警戒心も、なにもかも。
 唇を薄く開いた。
「もっと開けて。入らない」
 また開く。
「もう少し」
 ささやくように言われ、耳たぶが熱くなっていく。
 言われるままにまた口を開けば、小さな固まりとともに浜田の指が入ってくる。
「口の中でゆっくり溶かせ。それから、舐めてみ?」
 チョコレートは苦くて甘い。
 浜田の指は一向に出ていくそぶりがない。視線は絡み合ったままで、そらすことができないでいる。


「……」

「……いい子だな。それに、巧いよ」
 ちろりと舌を動かすと浜田の瞳の色が和む。それがうれしくて、また動かす。
 舌に苦甘い菓子が溶けていく感じと、他人の皮と肉と骨の感触がある。
 チョコレートはすぐに溶けてなくなった。もう味などわからない。
 ひとつめが孝介の咥内からなくなる頃には、チョコよりも浜田の指を舐めることに夢中になっていた。
「もうひとつ、欲しいか?」
 うなずくと、咥内から指が引き抜かれる。
「あ……」
 ぴたりと身体が密着している。浜田は孝介から目を逸らさずに卓上の白磁の皿から二つ目をつまんだ。
「開けて」
 素直に口を開けると、新しい粒と待望の指が入り込んでくる。
(なんで……オレ……)
 まだどこかに躊躇する気持ちはある。あるのに、見知らぬ国の菓子よりも甘い指をしゃぶるのに夢中になってしまう。
 浜田の目が優しい。いや、優しいだけではない。
「泉はいいな。気に入った……帰したくないな」
 それはいったいどういう意味なんだろうか、と考えかけたが三つ目の菓子が……浜田の指が欲しくてそれどころではなくなった。
(どうして、オレ……)
 今度は自ら口を開ける。ひな鳥のように浜田に与えられる甘さを待った。
「いいな……泉、才能あんじゃね?すげぇ、巧い」
 舌を使う。たっぷりと唾液をからめて浜田の指をしゃぶる。ほめられると「うれしい」と感じてしまう。
 浜田の顔が耳元に近づいて「今度はいたずらだ」とささやいた。
「tric-and-treat……もてなしの次はいたずら。でも、きっと気持ちいいから……」
 咥内から指が引き抜かれ、代わりに浜田の顔が近づいてきた。
(接吻……だ……)
 まだ、一度もしたことがなかった。
 なのに、当たり前のように唇がふさがれる。すぐ近くで「甘いな……」とささやかれ、あっと言う間に浜田の舌が咥内に入り込む。
(あ、さっきの……)
 夢中で浜田の指をしゃぶっていた時のように、浜田の舌が今度は孝介の咥内をくまなくねぶる。気持ちよくて、孝介も同じように舌を動かしてみれば予想以上にぞくぞくする。
(やばい……これ……気持ちいい……)
 自然と目を固く瞑っている。こちこちになってこわばった身体を背中ごと抱かれて、浜田と口づけを交わしている。
 長椅子にそっと押し倒された。
 視界の隅に窓ガラスが映る。
 鏡のように室内を映すそこには、なんでも映っている。
 背の低い卓も。手つかずの茶器も。長椅子も。押し倒される泉も。
 だが、ひとつだけ。
 泉を押し倒している浜田の姿だけが映っていない。
(ああ……そっか……)
 なんとなく腑に落ちた。
 逢魔が刻。
 ハロウィンという見知らぬ外国の亡者の祭。
 街を闊歩する人浚い。
(捕まった……)
 多分、あの迷宮の街に入りこんだ時に。この屋敷の前で声をかけられた時に。ハロウィンの言葉を言わされた時に。
 浜田に先に名前を教えてしまった時に。
 孝介の耳に、浜田の声が落ちてくる。

「ホント、泉のこと帰したくないんだけど、オレ」

 はっとして目を開く。
 浜田がじっとこちらを見ていた。目があうとにやりと笑う。
(違う……こういうんじゃない……)
 思わず自分の心がゆるんだあの笑い方でないのが、少し悲しいと孝介は思った。
 じっと見返すと、浜田が微笑む。
 ゆっくりと襟元に手がかかり、ホックが外された。着ていた詰襟のボタンがひとつずつ外されていく。詰め襟の下のシャツがズボンから引き出され、わざとゆっくりと素肌をさらされていった。
(なに、やってんだ……)
 着ているものをはがされることの意味はわかる。衆道は武士の習いの世からは大分遠くなったが、高等小学校の学生の中に、必要以上に親密にしている者たちがいるのは聞き知っている。
 首筋に浜田の唇が触れる。
 ぞくりと肌が粟だった。
 ちゅ、と音を立てて吸われた。浜田の含み笑いが肌を滑っていく。
「あ……」
 もっと強く吸って欲しいような、これ以上いじるのはやめてもらいたいようなもどかしい思いがする。
 じわじわと食われていっているような、不思議な心地だ。
 浜田にいじられる度、徐々に孝介の声があがっていく。
「ああ……ッ!」
 暴かれ、ほどけられ、むき出しにされていく。

「気持ちいいだろ?」

 孝介の裸の太股の内側を何度も強く吸い上げて、浜田が言う。
 既に一度、その手に放った。我慢などできなかった。
 孝介は浜田の声に何度もうなずく。そうしないと、甘苦しさからの解放をしてもらえない。
「指、挿入るぞ?」
 腰の下に真四角の座布団と枕のあいのこのようなものが射し込まれる。そこを、浜田に差し出してしまう。
「あ……やめ……」
 太い指が、孝介自身のぬめりの助けを借りてそこに挿入ってきた。
 あまりの感覚に、全身総毛立っていた。
「こら、暴れるなよ。ちゃんとここを使う準備をしておかないと痛い思いするから」
 不思議なもので、浜田にそう諭されるように言われるとすっと抵抗の気力が失われる。
「……泉はうかつだぞー」
 内側で好き勝手に浜田の指がうごめく。
 違和感はあるが、身体がそれに慣れようとして積極的に受け入れているような気がしていた。
 指が増やされても、もう口からでる声が甘いのが孝介には辛くてならない。
「ほら、ちゃんと全部泉をオレのにするから。いいだろ?」
(なんで……)
 浜田が言う言葉の意味ならばわかる。今、指をつっこまれていたところで浜田の熱を受け入れさせられるのだ。
 下半身はとっくにすべての布を取り払われ、もう浜田の手と口で一度遂精させられている。
(また、奪われるのか?)
 孝介のすべてを奪おうとしている男の金の髪がろうそくの灯りにきらめく。
(やっぱ、綺麗だ……)
 肌だって自分と比べたら抜けるように白い。

 とても、同じ人間とは思えない。

 ふと、浜田がこちらを見た。
 孝介と肌を合わせるために、下だけ脱ぐと長椅子の上にあがってくる。
 孝介の両脚を肩に担ぐと、そこに熱をあてがった。

「今、泉もオレと同じにしてやるから」

 確かにそう言ったのだが、孝介にはその意味がわからない。
 浜田の熱がぐい、と押し込まれてくる。のけぞって逃れようとする身体を押さえ込まれ、そのまま熱を無理矢理受け入れさせられた。
 悲鳴をあげた気がしたが、どこかにそれは吸い取られていったのか孝介の耳には届かない。

「いいこと、教えてやろうか?」

 はあはあと自分自身の息ばかりが耳にうるさい。孝介の耳に浜田のその声は涼しい鈴の音のように滑り込む。

「自分の名前を簡単に他人に教えたりすんな。名前を差し出すことは魂を差し出すも同じだぞ?」

 根本まで埋め込まれ、息が苦しくて孝介は身体の位置をずらそうとするのだが、浜田が許してくれない。
「痛い……」
「そうでもないはずだぞ?泉はもうオレのもんだし。オレはオレのものは大事に扱うから」
 そうして、ゆっくりと孝介の上で浜田が腰を使いだす。
「すげぇ、気持ちいい」と、孝介の耳元で声がする。

「間違って名前を差し出したらさっさと逃げろ。向こうに名乗られたら絶対にその名前をオウム返しにすんなよ?それで主従の契りが成立しちまう」

 ずくり、ずくりと泉の中で他人の熱がうごめき暴れる。しっかりと身体を抱きしめられ、刻印を彫るようにして突かれている。

「そうしたら、終わりだ。泉はそいつのものになる」

 浜田がうれしそうに笑う。

「つまり、もう、オレんだ」

 孝介はしびれるようなのと突き抜けるようなのと、二種類の痛みと紛れもない別の感覚に声をあげる。

「名前を差し出した相手が名乗れば、それはそいつが名前……泉の魂だな……を受け取ってなおかつ『お前の主になる』と宣言したってことだ。お前がそいつの名前を復唱したらそれを受け入れたことになる」

 それがここでの流儀ということだ。
 浜田が強く突き込んでくる。内側で先ほどより熱の固まりが大きくなった気がして、孝介は身もだえた。

「だから、泉はもうオレんだ」

「あ……ッ!」

 ぞくぞくと快楽が走る。繰り返される、所有の宣言に腰が勝手にふるえて浜田に「もっと」をねだってしまう。

「すげぇ、かわいい。どうしてかな?他の連中みたいに食うだけ食って捨てたっていいのに、一回だけで終わりたくないよ」

 他の連中、という言葉が気に食わない。
「気持ちいい」と、孝介はせがむ。
「もっと欲しい」と、浜田にねだる。

「気持ちいいんだ?男とヤるのはじめてなのに?てか、接吻さえはじめてだったのに」
「気持ち……いい……」
 うわごとのように何度も孝介はそう口にした。自分で言っていることの意味がわからない。
 ただ、浜田とつながっているところから、しびれるようにして甘くて熱いものが何度も孝介の中にあふれだしてくる。
 それが気持ちよくて、もっとして欲しいと思ってしまう。それだけだ。
「じゃあ、オレのになりな。もう泉の魂も身体もオレのだけど、自分でそう望んだらさらに強い呪になるから」
「やだ……」
 浜田が苦笑した。
「やだってありかよ?泉の内側、ぎゅってオレのこと締め付けて離さないのに」

「浜田もオレのになれ」

 孝介は荒い息の合間に、はっきりとそう言った。
 一瞬、浜田の動きが止まる。
「……泉」
「オレのになれよ。それなら、いいぞ。全部、やっても」
 他の誰かに同じことをするのは許せない。浜田がろくでもない生き物だというのは間違いないだろうが、それにしても誰かを食ったというのが気に入らない。
 くすくすと孝介の中に笑い声が満ちた。

「いいよー。泉、かわいいし。すごくいいし。そんなこと言われたのはじめてだから、結構感動したし」
 浜田の口が降りてきた。
 喘ぎすぎて少し乾いていた孝介の唇をぺろりと嘗めると、そのまま吸いついてくる。
「ああ、でもオレらも食うモン食わなきゃダメなんだけど……まあ、その辺の流儀はあとでじっくり教えてやるから心配すんな。泉はオレがずっと面倒みてやるし」
 浜田は「それよりもっ回、キスだ。キス」と孝介の口をふさぐ。
 身体を二つ折りにされ、内側に男を受け止めたままの苦しい口づけはそれでも孝介の中にさらに甘い蜜をあふれさせる。
「これが誓約のキス……あ、接吻な。これでオレは泉のだ。もっとも泉はとっくにオレんだけど。じゃあ、いっぱいやるから受け取れよ」
 浜田はそう言うと、極みに向けて再び孝介を突き上げはじめた。
 窓の外はもう真っ暗だ。
 ちらりと孝介が視線をやると、浜田が手のひらでその視界をふさいでしまう。
 
「時間のことは気にしなくていいよ。もう、帰さないから」

 浜田の声に、孝介は小さく頷いてその首にしがみつく。
 瞼の裏で、親や兄弟や学校の友だちの顔が浮かんで消えた。



 とうとう、高等小学校の学生が消えたらしい。
 数日後の新聞で大々的に報道されたその人さらい事件は、だがその後新しい被害者が出ることなく収束していった。
 犯行の手口も犯人も、全く目星すらつかぬままいつしか人の記憶から消えていった。
 神隠しにあった人間は戻らない。

 それでも噂は残る。

 長い長い時間が経っても、出所すらわからない噂だけが消えずに残る。
 今ではもう存在しない高等小学校……旧制中学の制服である詰め襟を着た黒髪の少年と背の高い金髪の青年が互いに視線を交わしながら歩く姿を時々目撃する者がある。
 ひどく仲むつまじい様子の二人は、夕方から夜に変わる頃合いに現れ、どこへともなく消えていくのだそうだ。

 その時刻のことを、ひとがもっとも魔に見入られやすい時間……逢魔が時という。

 とはいえこれもまた、噂に過ぎない。