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● 魔物の夜に  ●




 夏が終わると町が一斉に黒とオレンジに席巻されるようになったのはいつからだろう
 今夜は月が紅い。魔物が空をひしめく夜だ。
 泉はお化けと魔物を掻き分けて夜道を急ぐ。
 もしかしたら自転車のライトにも魔女のほうきのしっぽが照らし出されているかもしれない。
 そんなことを考えてつい笑ってしまう。

 母は子どもは女の子が欲しかったらしい。

 事あるごとにそう言う。でも生まれてきたのは二人とも彼女の期待を裏切る男の子で、負けん気の強い母はそれでは仕方ないと、せめてかわいげのある季節の行事だけはがっちり行うことに決めたらしい。
 曰く、小さい頃からの仕込みでいろいろどうにかなることは多いのだそうである。

 おかげで毎年当たり前に泉家では全員参加が当然の季節のイベントを行っている。

 正月、七草、鏡開き、バレンタイン、桃の節句に端午の節句、お花見当然、七夕、お月見、紅葉狩り、ハロウィン、クリスマス。
 もちろん、今夜はハロウィンだ。
 世間がもてはやし始める頃よりずっと前から、泉家では当たり前に「ハロウィンの日」はパンプキンパイが並ぶ日と決まっていた。年に一度だけ焼くと心に固く誓っているらしい母渾身のそれが、泉は結構好きだった。
 恐ろしいもので子供の頃から「この日はこういう日」と定められると「そういうものだ」と身体が勝手に思い込む。
 部活が絶好調に忙しかった七夕の日は兄ができたての彼女を家に連れてきて泉の穴を埋めたらしい。九月の月見も泉は欠席せざるをえなくて内心母に「悪いな」と思っていたのだ。
 小さい頃から仕込まれた成果はちゃんと現れているらしい。
 連続不参加の汚名はそそがれなくてはいけない。
 今夜のハロウィンはなんとしても「八時までに家に帰る」と決めていた。このペースなら予定より三十分は早く家につけそうだ。
 母の作るパンプキンパイは、市販のそれよりずっと甘さ控えめで腹にたまる。さらには数日前から仕込んであったキッシュが数種類並ぶのだ。クリスマスのチキンの丸焼きと同じ位の気合いが伝わるイベントは外せない。

 泉は、特に大好物のほうれん草のキッシュの味を思い浮かべて立ち漕ぎになる。

 魔物の夜の主役達は、泉のライトに蹴散らされ、逃げていく。

 高校男子の食欲に勝てる魔物などいるものか。



「ただいまー」

「うひゃひゃひゃひゃひゃ」

 ドアを開けると、下駄箱の上でいきなり何かががたがたと動き始める。
「っ!」
 びっくりして横を向くと、下駄箱の上にオレンジ色のかぼちゃの置物があった。正確に言えば、オレンジ色のハロウィンのかぼちゃ……ジャック・オー・ランタンの形をしたおもちゃである。三角の黒い目とぎざぎざの口。頭のてっぺんからは、不気味な緑色をした魔物の手が出て妙な笑い声と共に泉に向かって手招きをしている。
「……な、んだ、これ?」
 ハロウィンのおもちゃなのはわかるが、今朝まではこんなもの玄関に置いていなかったはずだ。
 知らず、反対側の壁のところまで退いていた。
 ふと、足元に汚いスニーカーが揃えてあるのが目に入る。
(兄貴、こんなの持ってたか?)
 どこか見覚えはあるのだが、玄関の風景には違和感がある。そんな靴だ。

「泉、おっかえりー!じゃなくて、トリック・オア・トリートぉ!」

 顔を上げる。
 声の主はにっこにこ顔で泉を出迎える。泉家の人間で、泉孝介を「泉、おかえり」と言って出迎える人間などいるわけがない。
「うひゃひゃ。お前も驚いたか!結構びびるよなあ、いきなり動くのって」

「……なんで、お前いんの?」

 冷静な問いかけに、ハロウィン気分満々で出迎えてくれた浜田はため息をつく。
「ホントにお前は情緒がないねえ。ハロウィンだから、トリック・オア・トリート!って出迎えたんだろ?わざわざ、ハロウィン気分満点のおもちゃと共に」
「これはお前の仕込みか?ちょっと待ってろ。靴脱いだら、殴る」
「殴るって、お前……」
 どすん、と部活の着替えでいっぱいの鞄を玄関に置くと、泉はスニーカーをぽいぽいと脱ぎ捨てる。
「お前、ちゃんと靴は揃えろよなぁ。小学生じゃあるまいし」
 浜田は顔をしかめて、泉の脇にかがむとスニーカーをきちんと揃えて先客スニーカーの横に置いた。浜田の影に反応したのか、先ほどのかぼちゃからまたあの緑の手が出てきてこちらに手招きをする。
 泉は横目で浜田を睨んだ。
「だから、なんで浜田がウチにいんの?てか、あのくだらないおもちゃはてめぇの差し金で間違いないのか?」
「でへ」
 しまりのない顔をして浜田は頭を掻いた。
 それで泉は本格的に攻撃の態勢に入ることにする。
「あら、おかえり。孝介、さっさとシャワーだけ浴びてきてちょうだい。ハロウィンのパーティー始めるんだから」
 浜田に襲いかかる寸前、母がようやく奥から姿を見せた。
「おふくろ、なんでこいつがウチにいんだよ?」
「なんでって。私が誘ったからよ」
「だから!」
 勢いよく立ち上がる。
 そのタイミングでまた下駄箱の上のおもちゃが「うひゃひゃひゃ」と笑い声をあげながら泉を手招く。一瞬びっくりして、身体が退いた。はっとして、顔を元に戻す。
「どうしておふくろが浜田誘うんだよ?てか、なんだよあのかぼちゃ!」
 と、母は余裕の笑みを見せた。
「夕方、ハロウィンのお買い物しに駅前まで行ったのよ。そしたら団長さんがそれ売ってたの。ワゴンで。面白いなあって思って買ったのね。ついでに今夜ウチでハロウィンのごちそう作るから食べに来てって誘ったの」
 しらっとした顔をして言う。
「バイト終わってから行きます、って。ホントに一生懸命息を切らして来てくれたわよ。余裕綽々の孝介と違って」
「オレだって猛ダッシュしてきたっての!」
「すみません、おばさん。真に受けてお邪魔しちゃって」
 息子の言葉は軽く無視して、母はゲストの浜田に微笑んだ。
「いいの、いいの。突然の誘いだったのに来てくれて嬉しいわ。どうせ薄情な息子は一人逃亡しちゃったんだし。ハロウィンのご馳走、孝介一人でも平らげてくれるとは思うけど、パーティーが二人きりってのは味気ないものよ。私は大歓迎。ほら、孝介、さっさとシャワー。団長さん、お料理あっためるから運ぶの手伝ってちょうだい」
 言うだけ言うと浜田を伴って、さっさとキッチンに戻っていく。
 泉は不承不承後に続いた。
「おばさん、泉、やっぱり反対側の壁までびびって後ずさってましたよ」
「あー、やっぱり兄弟ねえ。お兄ちゃんと反応一緒。清々しいわ。あれ、買ってよかったー。ハロウィンなんだからこれっくらいの遊び心欲しいわよね。きっとお父さんも孝介と同じ反応すると思うのよ。楽しみ」
 浜田と母はツーカーの会話を繰り広げている。
 泉は置いてけぼりだ。

「なんだよ、一体」

 息子のことなど振り返りもせずに、浜田と談笑しながらキッチンに立つ母親に文句も言えず泉は立ち尽くす。
「孝介!さっさとシャワー!」
「泉、オレ腹減ってんだから早くなー」
「なんなんだよ、一体!」



 どういうわけだか知らないが、親という生き物はゲストが来る時の方がアドレナリンの分泌量が増すようにできているらしい。
 今年のハロウィンの料理は、いつもの年にもましてすごかった。
 本来アメリカのハロウィンではかぼちゃはジャック・オー・ランタンにするためにあるものでかぼちゃ料理は食べないそうだが、泉家ハロウィン恒例のパンプキンパイは昨日の晩から焼いてあった。それから、ほうれん草とベーコンのキッシュ、挽肉のキッシュ、チキンドリアの具が丸々入っているキッシュ。
 もちろん、パンプキンサラダにローストビーフ、コンソメスープもちゃんとある。
「おばさん、マジすげぇっす!」
 浜田が感嘆の声をあげる。
「おー、今年は三種類なんだ。張り切ったなあ」
 風呂からあがった泉がリビングに行くと、既にテーブルいっぱいにハロウィンの料理が並んでいる。
 普段はメニューの中に米がないとなんとなく力が出ない気がするのだが、これだけ豪勢にくればもちろん文句はない。
 しかも今年のキッシュの説明を受ければ、米入りもあるのだから尚更だ。
 第一母親のパイ魂が爆発するこの日を、どうして楽しみにしないでいられるものだろうか。
「ホント、うちは男の子ばっかりでつまらないけど、作ったものを全部食べてくれるっていうのはいいわよねえ。それに今年は団長さんが来てくれたし」
 母はにこにこしながら、夜遅く帰宅する父と薄情な兄の分を取り分けて退避させる。
「さ、はじめましょ」
 100パーセントのオレンジジュースのグラスを持ち上げて三人で乾杯する。

「ハッピー・ハロウィン!」
 
 泉は割と当たり前にこの手の行事を毎年何度も繰り返しているからか、乾杯に躊躇はない。母親ももちろん同じことで、浜田だけがちょっと恥ずかしそうにしている。
 泉は横目でそれを見ながら、ハロウィンカラーのジュースをごくごく飲み干す。
(クリスマスとか、忙しいかな……バイトで)
 そんなことを考えている。
 どうせ兄は彼女とデートだろう。さすがにクリスマスなら父親が早く帰ってくるかもしれないが、もしも父親がこの中に混じっても、浜田をうとましく思うとは思えない。それならば次のイベントの時にも浜田を家に招待するのはグッドアイデアかもしれない、と泉は思う。
(それなら、おふくろも喜ぶしな)
 テーブルの上にずらりと並んだ料理は、母が浜田の来訪を喜んだからいつもより豪勢なのだと泉は思う。

 誰かといることは人を元気にさせるものなのだ。

(第一、クリスマスに一人きりなんて、寂しいじゃねえかよ)
 他の誰かと一緒にいるかもしれない、という想像は無視して泉は思う。
(先に言っておけば、いいよな?)
 見えない誰かに遠慮して声をかけそびれる位なら、当たって砕けた方がいい。でも、なんとなく、浜田は断らないんじゃないかと、泉は思った。
 乾杯の声に躊躇している浜田を見て、泉はそう思った。
 母の料理魂がサクレツする次のテーブルにも浜田がいると思うとなんとなく楽しい気持ちになる。
(恒例になったら……ちょっと面白くね?)
 そう思った。
 さっさと手際よく母がパイを切り分けたトレーから、好きなものを自分の皿にとって行くのがこの家の流儀だ。
 目の前にパイの皿と、ローストビーフやサラダをのせる皿、それからスープカップが並んでいる。
「団長さん、どんどん食べてね。孝介放っておいたらテーブルの上のもの全部平らげちゃうから、遠慮しちゃだめよ。ホント、特に高校生になってからブラックホール並みなのよね、胃袋。その割にちっとも身長伸びてないけど」
「るせぇ!浜田が伸びすぎてんの!」
 言いながら好物のほうれん草とベーコンのキッシュをまずは一切れ。さらにローストビーフにパンプキンサラダをこんもりもらう。
 サラダを一口食べて、ふと違和感を覚えた。
「なんか、いつもと違う……美味いけど」
 途端、浜田が「えへへー」と笑った。泉が首を傾げると母がフォローを入れる。
「あ、このパンプキンサラダは団長さんが作ってくれたのよ」
「バイト先の惣菜部のパンプキンサラダがいつもすげー人気だからさ。レシピ聞いたんだよ。それに、オレ流アレンジ加えてみましたー」
「へえ……」
 どこまでも器用な男だ、と思いながらたっぷり取ったパンプキンサラダをまた一口。潰しすぎていない適度なごろごろっとしたかぼちゃの食感を残したサラダは泉の口にあった。
「裁縫から料理まで。お前は、ホント勉強以外は何でもこなすねえ」
 素直に感心してしまう。
「家にオーブンないからパイとか作ったことねえけど。さっきおばさんにキッシュの作り方教えてもらったから、今度学校のオーブン借りて焼いてみるよ。食うだろ?野球部に差し入れ持ってってやるから」
「それはありがたいけど、ウチの連中への差し入れだとせっかく作ったキッシュも2秒でなくなるぞ。最低一人一枚焼いていかないと追いつかねえな」
「あー、それもそうか。お前らホントよく食うもんなあ」
 浜田が苦笑する。現役部活男子の食欲は並みではない。
「ウチのオーブンならいつでも貸すわよ」
 母親が二人の会話を聞きながら目を細めて嬉しそうに笑う。
 女子校時代には下級生の間にファンクラブまであったと豪語する母は、これでいて料理好きなのだ。
 手料理を伝授するための彼女をとっとと作ってこい、と日頃息子達を叱咤しているのだが残念なことにこの春兄にめでたくできた彼女は、若干料理に興味がないらしい。
 ならば、と泉にあからさまな期待の目を向けているのは知っているが、こればかりはいかんともし難いのは事実だ。

(まあ、無理だよな……)

 コンソメスープのカップを飲み干しながらちらりと食卓の向こうにいる浜田を見る。

(ごめん、おふくろ)

 理由が理由だけになんとも言い難い罪悪感がある。
 自覚している心なら、いつだって泉の中にある。
 当分、母が期待するような女の子を家に連れてくることはできないな、と泉は思う。
 部活が忙しいことを除いても、それだけは確かだ。
「ああ、ホント。息子の彼女に料理を教えて一緒にキッチンに立つのが夢だったんだけど、先に団長さんでその夢が叶うとは思ってなかったわ」
「……でへ」「……笑うなよ、浜田。いくらなんでもそこでその笑いはしゃれになってねえ」
 泉はため息をついて、新作キッシュに手を出した。
 浜田も徐々に健啖家ぶりを発揮し始めて、母の目はますます細くなっていく。嬉しそうだ。
(あー、また浜田の好感度上がってんぞ。そんなおばさんにモテてどーすんだよ)
 ドリアのキッシュは今年初お目見えのニューアイテムだが、赤いケチャップのチキンドリアがパイの中に詰まっていて万年餓鬼の高校球児にはぴったりの一品だった。
「これ、マジうめー」
 母親の目がきらりと光る。
「それはねー、団長さんがアイデアくれたの。美味しい?孝介は野球部の練習がハードだからやっぱりお米が食べたいと思うって。ほうれん草のキッシュを作るところ見ていたら、邪道かもしれないけどこんなの出来ますか?って。うーん、作って正解だったわね。やっぱりあれね、同じ年齢の子だと目線同じなのね」
 満足そうだ。
 泉は軽くブイサインを出している浜田に「お前、将来店開くといいぞ」とお墨付きをやった。
 浜田はそれでまただらしなく笑みを浮かべる。
(そんな嬉しそうな顔すんなっつの。こっちが恥ずかしくなるぜ)
 浜田は泉の心中など知らずに、浮かべている表情のまま嬉しそうに言った。
「なんかあれっすねー。自分が作ったメシを美味しそうに食ってもらえるのって、嬉しいもんすね」
「でしょ?それなのよ!毎日ご飯作っても、美味しい!とかなんかリアクションもらえるとね。こっちも作りがいとか出てくるじゃない?孝介、高校に入ってから結構いろいろ言ってくれるようになったからなんかこっちもやる気出てきてねー。この半年で大分レシピ増えたわよ」
 完全に母と浜田が同調している。
「うんうん。わかりますよ、おばさん」と今にも二人、手に手を取りそうな勢いである。
 泉は挽肉のキッシュに手を着けながら「ああ、それはさ」と二人に声をかけた。
「そりゃきっとあれだ。ゴールデンウィークの合宿の後遺症……つか、成果、かな?」
 泉の声に浜田と母は同時に「何?」「なんで、野球部の合宿が関係してるの?」と首を傾げた。
「まあ、簡単に言うとメントレの一つ。メシの時間使ってホルモンが活発に動くようにするための。食う前にうまそーって期待して、実際食ってうめーって感動して、食い終わったらうまかったーって反芻すんの。それで試合の時に必要なホルモンを意図的に活発化させるんだってさ。ウチ、そういうの積極的にやってっから」
 浜田は眉を寄せた。
「ああ。お前らそういうのきっちり取り入れてやってるもんな。それにしてもシガポがああいう人だとはオレは知らなかったぞ」
 自ら考案したドリアキッシュをぱくぱく口に運びながら言う。
「オレも最初は半信半疑だったんだけどさ。明らかにあのメントレは効いてる、気がすんだよなあ。栄口とか巣山も言ってた。特にバッターボックス立った時の感覚が中学ん時とまるっきり変わったって。多分あれが関係ねーのは田島位じゃねえか?あいつ、最初から心臓に毛が生えてたから」
「田島はあれは特別製だからなあ」
 浜田と泉は、うんうんと頷きあった。母親はくすくす笑って「パンプキンパイ用に、紅茶煎れるわね」とキッチンに立った。
 気付けばテーブルの上の品々はあらかたなくなっている。

「浜田……」

 母親が部屋から出たのを見計らって、泉は言う。
「なんだ?」
 泉はひと息ついた。どうも、浜田に正面切って真面目にものを言うのは苦手だ。
「ありがとな」
「……泉?」
 浜田がなんだか微妙な顔をする。思わず目を逸らした。
「ありがとな。って、言ったんだよ。今日おふくろと一緒にいてくれて」
 浜田は目を細めた。
「ああ……そんなこと、別に……」
 泉は知らずに溜めていた息をもう一度吐く。普段言い慣れないことを口にのせるのには気合いとタイミングがどうしたって必要だ。
「おふくろ、なんか、すげー楽しそうにしてるし。今日は兄貴、どうしても用事があって家にいてやれねえから早く帰ってこいって言われてたんだけどさ。練習あったからどうしてもあれくらいの時間にはなるし、親父も最近遅いから」
 泉は顔を伏せたままでローストビーフを皿に取る。
「……」
 浜田の視線がこちらに注がれているのがわかるのが、またキツい。
「おふくろ、ハロウィンとかクリスマスとかすげー好きだから。でも、実際問題オレや兄貴も大きくなって、親父も仕事あるし、夕飯の時間に家族全員揃うって難しいからさ。なるべくいようとは思うけど。だから、今日、浜田がおふくろと一緒にいてくれて、一緒にメシ作っててくれてよかった……ありがとう」
 浜田は泉の声に、笑う。
「オレ、最近になってようやくわかったんだけどさ。泉、家族はさ、いつかみんなが居る場所が離ればなれになる日が来るけど、多分離れてても家族は家族でいられるから家族なんだって思うんだ」
 泉は顔をあげる。
 浜田が現在一人暮らしをしているのは知っている。理由は、聞いたことがない。尋ねられない。
 浜田は笑う。その笑顔にくもりはない、ように泉には見える。ただ、なんとなく近くにいるはずなのにとても遠くにある笑顔のようにも思えてしまうのだ。
「……浜田」
 それはついこの手に引き寄せたい、と思ってしまう笑顔だと泉は思った。
 泉は手を伸ばしかけて、収まりのつかない手を宙に遊ばせる。浜田はそれに気付かぬ様子で声を重ねる。
「だから、本当にどうしようもない事情とか理由とか、あと時間が経って自然にそういう日が来るまではなるべく一緒にいようと思って、努力しようとすることはすごく、大切なんだぜ?」
 泉はじっと目の前の笑顔を見つめた。
「当たり前のことっていうのはさ、毎日積み重ねて行くから当たり前になるんだ。その当たり前を過ごして共有して、離れてもいつかひとつにまとまるのが当たり前になった人間の集まりが家族なんだって、オレは思う……思いたいんだ」
 言いながら浜田の笑顔は消えない。曇らない。
 そのことが、なぜか泉の胸には突き刺さる。
「浜田……」
「だから泉や、泉の兄貴がおばさんのために、ハロウィンやクリスマスをどうにかして一緒にいようとする気持ちは、すげー大事なものだぞ。オレがここんちに来たことが、泉と泉の兄ちゃんのそういう大事なもののためになったんだったらオレは嬉しいと思うよ」
「あ……」
「だから、お礼なんて言わなくたっていいんだよ、泉は」
「浜田……」
 なんだかわからないものが、こみあげてくる。

 浜田は泉が無意識に守ろうとしていたものをフォローしてくれた。

 では、浜田はどうなのだろう。
 浜田の「当たり前」をサポートする人は誰かいるのだろうか。

 胸の中に家族を抱いたままで、それでも実際には一人きりで過ごす夜を浜田はどうしてやり過ごしているのだろう。

(やべぇ、オレ今すげー言いたい)

 泉の中で突然、爆発的に気持ちが膨れ上がる。それは、普段はそこにあることを知っていながらありとあらゆる手段を使って黙らせている、そういう気持ちだ。
 今、圧倒的に膨れ上がってきている。止められない。

(オレ、言いたい。浜田に……すげぇ、言いたいことがある)

 泉は顔があっという間に紅くなるのを感じた。
 沸騰する頬は、今自分がどこにいてどういう状況なのか、泉から忘れさせようとする。

(言おうか?言うか?って、言うって、何をよ?)

 外では魔物達が跳梁跋扈している夜だ。
 世の中には魔が差す、という言葉があるではないか。
 それなら今夜ほど最適な夜はない。
 この世の魔物が全て出てくる夜だ。今夜は。

「……浜田、オレ」

 泉の中で膨れ上がってどうしようもない気持ちを、唇にのせてしまえばそれで楽になる。
 そうしてしまえば、昨日と違う時間が流れはじめるのはわかっているが、それを積み重ねて「当たり前」にしてしまうことが、できるかもしれない。
 もしかしたら、大丈夫なのかもしれない。

 泉の耳元で「言っちまえよ」と魔物が囁く。
 そうだ、今日はそういう夜だ。

 いつか。

 いつか。

 積み重ねる毎日が、当たり前になる日を。

 他の誰とでもなく。

「オレ……」

 喉元まで声が出かかった。
 言いたい言葉は考えるより前に、胸の奥から溢れてくる。

「浜田、オレさ……」

 その時。

「わあああ!」
 玄関の方でものすごい悲鳴がした。
「!」「!」
 泉ははっとして浜田と向き合う。

「親父だ……」

 二人して廊下に飛び出すと、帰宅したばかりの泉の父が玄関で靴箱と反対側の壁まで退いている。靴箱の上ではオレンジかぼちゃからにゅっと突きだした不気味な緑色の手が「うひゃひゃひゃ」と笑い声をあげながら蠢いていた。
 母はキッチンから顔を出して「わあ、やっぱり親子ねえ」と笑っている。
 泉は浜田と顔を見合わせて「どうする?」「どうするよ?」とぽそぽそと相談した後で、とりあえず父親の元に向かった。

「あー、親父?」
「あ、どうもお邪魔してます、おじさん」

「孝介か。君は確か応援団の団長さんだね。ところでなんなんだ、この気持ち悪いかぼちゃは?」

 父の言葉に二人して苦笑いすると同時に言った。

「えーと、その……トリック・オア・トリート?」

 家の外では魔物が「けけけ」と笑い声をあげていた。
 
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