WORKS TOP

● in the charge of H 〜西浦〜ぜトークSS・栄口編〜  ●




「あのさぁ……オレ思うんだけど、もう一度ちゃんと正面きって誘ってみれば?」
 栄口がいきなりそんなことを言うので、泉はなんのことを言われているのかわからずにぐっと詰まってしまう。
「……なんのこと?」
 すると、栄口は「あはははー」と気のない笑いをしてみせた。

「もちろん、浜田さんを野球部に誘うってことだよ」

 チームメイトは温厚な人柄で細かいところにまで気が回るタイプだ。
 ただそれだけではない。
 泉は栄口と一緒にいるとなんだか時々、自分とは同じ年齢のこのチームメイトは既にこの世の深い深い場所にある何かをもう見てきてしまった者であるかのようなそんな錯覚に陥ることがある。
 だからだろうか。
 ごく、たまに。本当にたまにだが、泉自身は気付かず、あまりにも無防備な部分を悟られてしまうことがある。
 いつもプロテクターばりばりでチームの連中とつきあっているわけではない。親しさの深度が増すほどにガードは緩むし、何も言わなくても本音を感じ取ってもらえるようになる。
 なんと言っても、かなりデカいものを三年間共有する奴等の一人だ。
 言わないだけの思いを知られても平気になるのはお互い様のことだが、それにしたって見せているつもりのないものまでさらりとすくい上げられる。
 鋭く見抜くというよりは、何となく悟られる。

 同じ顔を見せているのに、他の連中には気付かれなくても栄口には知られてしまうことがより多い。

 そんな風に泉は思う。

「だから言っただろ?もう誘ったけど、身体がついていかねぇって言われたんだよ。そう言われたら、引っ込むしかねえだろ?部活なんて好きでやるもんなんだし」
 意識して視線をはずした。
「うーん、そりゃそうだけど」
 栄口はトンボを使ってグラウンドを均す。スパイクで荒らされた地面に泉はじょうろで水を撒いた。
「あ、もう少し水撒いて……そりゃそうなんだけど、そんな表情してグラ整やってる位なら思い切ってもう一度、ちゃんと真面目に言ってみた方がいいんじゃないかなあって思ってさ。あの人、野球すげー好きなんだろ?」
 なんで泉が「ちゃんと真面目に」浜田を応援団に誘わなかったと決めつけているのだろうか、と内心ひやりとしてしまう。

 図星だ。

 栄口がちらりと視線を送った先に泉が倣えば、明日の桐青戦を前に応援団長の衣装を身に纏った浜田が志賀と話をしている。
 一緒にいるのは団員をやってくれるという二年生二人だ。
 泉の知らない浜田の去年を知っている二人だ。

 泉は少し唇を噛む。

「……野球がホントに好きなら、医者に通ってなんとかしようって努力、してるだろ?」
 視線を地面に戻して泉が言うと「うーん、でもさ」と栄口はのんびりと言った。
「オレには浜田……さんの事情とか知らないけど、そういうのが可能な環境かそうでないかってのもあると思うんだよね。もちろん、今がどうかとかわからないけど。でも、応援団ができるような環境ならば野球部で練習するとか、可能なんじゃないかなあ。実際この一ヶ月半、よく手伝ってくれてただろ?」
 言いながらちらりと泉の顔を見る。
「やりたけりゃ、自分で言ってくるだろ?それこそ野球部の練習、あいつが何度つきあったかわかんねえじゃん」
 それを聞いて、栄口はひとつ大きくため息をついた。
「うん。確かに浜田さんが決めることだし、野球部に誘う、誘わないって声をかけるかどうか決めるのは泉だからさ。実際、一度は誘ったんだし。だから、別に泉がそう思っているんだったらそれでいいと思うんだ。そうなんだけどね」
 そうしてトンボでとんとん、と地面を均す。それから、顔をあげてにっこり笑った。
「でも、そんなビミョーな顔をしてグラ整やってる位なら最後にもう一回だけぶつかってみてもいいんじゃないの?って思っただけ。みんな大歓迎だと思うけどなー」
 栄口はそんな風に重ねて言う。
 その言葉にはずしりとくる重量感と圧迫感がない。なのに、胸の奥に確かな存在感を持って居座る。
「浜田さん、ノック上手いし。性格いいし。基礎はできてるんだからなまった身体を整えて……夏大間に合わなくても秋なら全然いけるんじゃないの?留年してるから、来年の秋大会以降は公式試合出れないけど、それでもあと一年はできんじゃん」

 そんなこと、とっくに考えた。
 だから誘った。
 でも、知らない一年の間に浜田が一体何を考えて何を思っていたのか泉にはまるで見当もつかなかったから、強い言葉を使えなかった。
 それだけだ。

「……そっち、水撒くから均せ」
 泉は顔を下に向けたまま黙々と水を撒き続ける。
 栄口はのんびりとした声で続ける。
「浜田さんって、元投手なんだろ?三橋のことはオレ、すごいなあって、ウチのエースだって、あいつと同じ代でラッキーだなあって思ってるけど。いい投手はさあ、何人いてもいいよね、実際」
 泉は栄口の顔をじっと見つめる。
 浜田の投球を観たことがあるわけでもないだろうに、はっきり「いい投手」と言い切るのは浜田が練習に参加している時の動きをちゃんと観察しているからだろう。
 当てずっぽうとは思えない。
「お前、それ三橋の前で言うなよ?」
「言うわけないだろ。いい加減三橋取り扱い方法の一番やっちゃいけないページ位暗記してるよ」
 栄口は首をすくめてぶるぶると頭を何度も横に振る。
 二人してちらりと向こうの方で沖たちと並んでトンボを使っているエースを見た。何事か話をして遠慮がちに笑っている。

「いい、投手だったぞ。三橋とは全然タイプ違ったけど」

 ぽつりと口が勝手にそう洩らした。自分が何を言ったのかすぐに気付いたが、取り繕うタイミングを逃した。もっとも、そうしたところで発言を取り戻すことはできない。
 泉は、ため息をついた。
 栄口の表情は見なくてもわかる。

「おー、三橋ぃ!明日がんばれよ!オレらもがんばるからさ」
「あ、あああ、ありが……ありが、と。浜ちゃん……」
「浜田さん、梶山さん、梅原さん、明日はよろしくお願いします!」
「あー、そんなかしこまんなくていいよ、花井はさ」

 グラウンドの出口のところから明るい笑い声がする。どうやら、お披露目を終えた浜田達はもう帰ってしまうらしい。
 泉はじっと、夕陽を浴びる学ラン男を見つめた。
「うん。泉がそう言うなら、ますます欲しいよねえ。いい投手。三橋とタイプ違うんならなおさらだ。ホラ、今さ、オレ常になく勝ち気満々だからさ。勝つためのいいカードあったらって、もっとずっとずっと先までのこと考えたりして。それで、いいなあなんて思っちゃってるんだよね」
 隣に立った栄口はなんでもないことのようにそう言う。

「でも、それ以前に浜田さんと一緒に試合出れたら楽しいよなあって思うよ」

 泉はぎょっとしてしまう。
 だから、栄口は時々ちょっと恐いのだ。
「だったら、栄口が誘えば?別にもう知り合いなんだし。お前が誘ったってヘンじゃねえだろ?」

「いーずみぃー!オレら帰るわ。がんばれよ、明日ー!」

 浜田の大声に、泉は軽く手をあげる。栄口はにこにこしながら一緒に手を振った。
「やー、うーん、あれだよね。もう泉が声かけてるって実際知っちゃったらオレからは言いにくいよね」
 浜田は「じゃーなー!栄口もじゃーなー!」と左腕をぶんぶん振り回してグラウンドから出ていく。
 マウンドのあたりで野球部員二人がどんな会話をしているかなど知るはずもない。
 泉はため息をついた。
「じゃあ、別にいいだろ?オレはもうあいつに野球部入れって、言う気はねえよ」
「うーん……」
 栄口は顎を指で掻きながら空を見上げた。もう少しで夕陽が落ちる。雲は残り陽に光り、空は茜と紫と紺色が混ざり合っている。
「なんて言うのかなあ……そこまでは踏み込めないっていうか、オレじゃそこに行っちゃいけない感じがすんだよね」
「なんで?」
 泉は首を傾げる。
「みんながオレと同じ風に思ってるかどうかは知らないけどさ、野球部のことにあんだけ一生懸命になってくれてる浜田……さんに対して、なんで野球部入んないんだろ?っていうのはみんな思ってることだと思うんだよね。でもなんか、理由があって野球部には入らない。あれだけ野球好きなのに。でも入らない。一コ年齢上だからって言ったってさ、野球部には泉もいるし三橋もいるし、田島だっているだろ?でも、なんでか入部はしなくて別のカタチで関わってる。そりゃあ、訊けないよね。フツーに考えてなんかあるのはわかりすぎるから」
「……」
 栄口は黙ったままの泉ににやりと笑ってみせた。
「別に浜田さんとの間に壁があるとか、そんなんじゃないんだ。ただ、オレらはまだそこ行っちゃいけないってなんとなく野性のカンでね、そう思うんだよね。でもって、今行けるとしたら……」
「オレかよ……」
 ぶすくれた声で泉が答えれば、栄口は笑って「あ、ホラ、モモカンこっち見てるよ。グラ整真面目にやんなきゃ」と、トンボを使って丁寧にグラウンドを均し始める。
「こんなに夕焼け綺麗なのにさ、明日雨が降るって予報なんだってさ。晴れるといいなあ。オレ、実は援団つきの試合って初めてなんだよねえ」
 たった今の会話などなかったようにそんなことを言う。
「あー、オレもそうだ」
「団長服姿サマになってたし。浜田さんの団長、楽しみだなあ」
「あの、さ。栄口……」
 トンボを使う手を止めて、栄口が首を傾げてみせる。
「浜田、さん……って「さん」付けしなくていいよ。あいつ、今はもうオレらとタメ学年なんだし。そういうの聞いたら、多分、後で地味に鬱陶しくへこむと思うし」
 その言葉に栄口は「やっぱりなあ」とにこにこしながら、再び丁寧に丁寧に地面を均しはじめる。
「なんだよ、やっぱりって」
「いやさあ。なんとなく、浜田さ……じゃなくて、浜田は泉の担当って気がしてんだよね。三橋じゃなく田島でもなく、泉の担当。だから、やっぱりオレからは余計なこと言わず、援団やってくれたり練習につきあってくれてることを感謝しとくだけにするよ」
 泉はきょとんとして、チームメイトを見る。それから、ふっと笑んだ。
「あいつ、結構援団楽しんで真剣にやってんだぜ?応援団やるってのはさ、浜田自身がそうするって決めた野球との関わり方だって、オレは思う」
「うん……そうだね」
「半端なことしたらちゃんとオレが浜田を殴るし、気合い入れ直す。だから大丈夫だ。せっかく……」
「せっかく?」
 問い直す栄口に「なんでもねえ」と言うと、泉は「オレ、阿部とボール磨き替わってくるわ。三橋と明日の打ち合わせしたいだろうし」とチームメイトに背を向ける。
「あ?ああ……」
 栄口の不審そうな声にため息をつくと、泉は聞こえるかどうかぎりぎりの声でぽつりと呟いた。

「せっかく、ちゃんとずっと見てられる立場になったんだから、さ。そりゃ見てるっつーの……」

 走ってベンチに向かいながら泉は、背後で同級生があの一流の笑顔になっていることを疑わなかった。

 明日は、いよいよ夏大初戦だ。 
WORKS TOP