WORKS TOP

● Christmas Wars  ●




 クリスマスイブはバイトなのだと浜田が言う。

「バイトぉ?お前も寂しい男だねえ」

 泉はパック牛乳を一気に吸い上げながら言う。
「オレんちはおでん。毎年決まってんだ。クリスマスおでん。おでん鍋3つ持ち込んでウチでやんだぜ」とは、大家族の田島。
「オレんち は ファミレス だよ」これは三橋。
「オレんちはなんかおふくろが張り切ってるみてーだけど。ふつーにケーキとかふつーにチキンとか出てくんじゃねえかな?」
 泉の声に浜田はため息をついた。
「はいはい、楽しいクリスマス、クリスマス……オレはお前らがのほほんとチキン食ってる頃寒い中バイトだよ。去年もやったんだけどよ、今年はクリスマスイブにケーキ600個売るのがノルマなんだよ」
 しかも、クリスマスだけに全部ホールケーキ。円のままのあれだそうだ。
「ろっぴゃっこ!」「ふひっ」「すげー、食いてー」
 三人の声に浜田は黙って首を横に振る。
「お前ら、実際に何百って単位のケーキを見てみ?マジ、食い物だって思えねえぞ。今年は連休でクリスマスイブが休みだろ?去年日曜日だった時に店長がバクチ覚悟でいつもより多めに仕入れたら、うっかり完売しちまったんだよなあ。オレも張り切って売りまくったしなあ」
 去年強気の500完売を達成した店長は、偉業達成の立役者・浜田をキープし万全の態勢で決戦の日を迎えるつもりだそうだ。
「バイト代、去年より結構上がってるし。完売したらボーナスつけてくれるって言うから、そりゃやるしかねえよなあ」
 泉はにやにやしながら、メロンパンの口を切る浜田に言う。
「なに?お前、サンタの格好とかして売るわけ?」
「着るよー。売るよー。お前ら親に宣伝して一個でもいいからオレからケーキ買ってくれ、って頼んどいてよ。さすがに1日で600ってのは自信ねーわ、オレ」
 明日からのクリスマス連休を、びっちりバイトで埋めている浜田はため息をつく。ケーキは明日から販売を始めて、クリスマス当日までワゴンで売るそうだが、なんといってもその販売ボリュームはクリスマスイブ当日にあてこんでいるそうだ。
「今年は明日から三日間ばっちり休みにはまってるからさ、店長の張り切りようが普通じゃねえんだよ」
 メロンパンに豪快にかぶりつきながら浜田は言う。
「なのに、人手足りねえんだな、これが」
 野球部の三人は練習漬けの毎日でバイトとは無縁だ。クラスメイト達が夏休みに「バイトした」だの「冬休みには年賀状のバイトが」などと話しているのを零れ聞いては少しばかり羨ましいと思っている。
 野球をやっているのが一番楽しいのは間違いないが、高校生になってせっかくバイト可の学校なのだから一度くらいは自分で小遣いを稼いでみたいと思うのはごく自然な話である。
「なあ、お前らってクリスマス練習あんの?」
 突然浜田にそう言われて泉は明日からの練習スケジュールを反芻する。
「ああ。えーと昼練と、筋トレ、ロードワークは一通り毎日あるよ。終わるの二時過ぎかな」
 泉が指を折りながら予定されているメニューを数える。シーズンオフの練習はもっぱら身体造りと体力増強に充てられている。
 浜田の瞳がきらりと輝いた。

「なあ、誰かバイトやんね?オレから店長に紹介するから。丸一日が無理でも午後3時頃から何時間か」

 話を切り出された三人は目をぱちくりさせる。浜田はいそいそと事の次第を説明し始めた。

「実は一緒にケーキ売るヤツがインフルエンザでぶっ倒れたって連絡が昨日入ってさ。ワゴンは店長も入るけど、あの人全体を見なくちゃいけねえしさ。一人で商品の引き渡しと金勘定してたらやっぱノルマ達成すんの無理なんだよな、どう考えても」
 それを聞いた瞬間、田島が立ち上がる。
「やりてえ!……けど。あー……オレんちおでんの仕込みがあんだよ。親戚連中みんな集まってくるからなあ……家の掃除とか買い出し手伝わなきゃコロされる」
 最初の勢いはどこへやら、徐々にしゅんとなっていった。
 三橋はおろおろしながら口を開く。
「やりた けど、ファミレス……」
「予約してあんの?何時?」
(ファミレスって予約できたっけ?)と思いながら、浜田は尋ねる。
 もしかしたら三橋の言うことだけに、本人が「ファミレス」と思っているだけで、他の人間はファミレスとは決して思わない店のような気がなんとなくしている。フランス料理とか。高級イタリアンとか。
 三橋は多少ぐるぐると考えた挙げ句ぽつりと応えた。
「……7時」
 浜田は天を仰いだ。
「あーそりゃ無理だなあ。3時から入ってもらったとして、多分終わるの8時とか9時位になっから」
 働き手二人を逃した浜田はちらりと泉に視線を向けた。

「オレぁ、平気だぜ?やる。時給いくら?新しいスパイク買えっかな?目ぇつけてんのあんだよな」

 パックの牛乳を飲み終えると、平然とそう応えた。他の二人から「いーなー」「バ バイトっ」と軽いブーイングがあがる。浜田はガッツポーズだ。
「よっしゃ!ちょっと待て。今店長に連絡する。話つけっから予定いれんなよ」
「いくらなんでも、今OKしといて、すぐに予定なんか入らねえよ」
 泉の白い視線など気にならない。
 気心知れた働き手が手に入るのならば、なりふり構っていられる状況ではない。
 みんなには真の地獄について話していないが、真冬の表で立ちっぱなしの販売は異常にキツい。今年は去年より寒さも厳しいのだ。多分ストーブをがんがんに焚いても追いつかない。そんな中、万が一やる気のないのが相棒に選ばれたら最悪だ。ならば、バイト初心者でも泉の方が言いたいことも言えるし、体力もあるし、諸々上手く立ち回ってくれそうでいい。

 いや。

 泉がいい。

「3時から8時で7000円。その代わり休憩はねえぞ。ケーキ完売で3000円のボーナスつき。即金払いだって。どうだ、泉?」

「やる」

 即答だ。
 高校生にとって自由に使える一万円はくらくらするような大金である。
 これで、イブの予定は決定した。



 クリスマスイブ当日。
 泉は予定時刻ぴったりにお仕着せのサンタの衣装を着せられ、赤い三角帽子を被った格好で朝からバイトに入っていた浜田の隣に立った。
「よーす。お疲れ。なかなか似合ってっぞ」
 先輩サンタは若干袖が長いのを気にしている泉サンタに笑いかけた。

「……浜田はオレのことをなんて言って紹介したんだ?」

 開口一番これである。
 当然サンタの衣装を初めて着る泉は若干顔が強張ったままだが、心持ち声が固いのは初バイトで緊張しているから、というわけではない。どうも、むっとしている様子だ。
(オレは別に地雷踏んだ覚えねえぞ)
 今日は顔を合わせてまだ10秒だ。いくらなんでもそんなに器用ではない。
「別に。同じクラスの泉ってヤツがヘルプでバイト入ってくれるって。それだけだけど。てか、お前店長に電話したの聞いてただろ?」
 泉はなぜか微妙な表情をしてみせる。
「昨日面通しにきた時、店長さん『あれ?』って言っただろ。さっきマネージャーに紹介された時も『あれ?』って言われた。二人ともその後にやにやしながら『なーんだ』って。お前なんか言っただろ?」
 浜田は泉の声に首を傾げる。
「そういや、さっきケーキ補充にきてくれたマネージャーもオレの顔見て妙な表情してたなあ……何言ったって……あんま、記憶ねえけど。それよか、仕事説明すっから」
「お、おう」
 浜田の真顔に、泉の表情が引き締まる。
 なんだか、ちょっと懐かしい気持ちにさえなった。だが、甘酸っぱい思い出に浸っているヒマはない。目の前のケーキをどうにかしなくては。
「今んとこ82個売った。残りは518個だ。5、6、7号サイズで、主力は6号な。3〜4人家族だったら5か6。家族多かったり、ケーキ好きなヤツがいるとか言われたらちょっと大きめの7って言っとけ。最終的には見本と値段見てお客さんが判断すっから。5号より小さいサイズは店内だ。でも数少ないから店員に確認するように必ず言えよ。今年は生クリームだけだから楽だな。こっちに積んであるのが少なくなったら空気読んで裏に取りにいけ……バックヤード、わかるな?うん。やわいモンだから取り扱い注意な。金の受け渡しは基本的にオレがやっから。泉は持ち帰り時間聞いて30分以上なら保冷剤ひとつ。30分増えるごとに一個ずつ増やして箱に貼っつけて頼まれたサイズのケーキ箱と紙ナプキン適当に袋に入れて、お客さんに手渡すだけでいい。保冷剤のフリーザーは足元のそいつな。保冷剤も在庫やばくなったら裏に取りに行け。絶対にお客さんに渡すケーキの号数間違えんなよ」
「わ、わかった」
 浜田はふっと笑った。
「それから、笑え。ぶすっとしてたら売れるもんも売れなくなる。混雑してきたら列整理も頼む。一列テーブルに沿って横並び。それからどうせ三種類しかねえんだから、ケーキの値段は覚えろ。でも混乱すっから、泉はケーキを補充するのとお客さんへの受け渡しだけに専念だ。いいな」
「はいっ」
(あー、この感じ。気持ちーなあ)
 久しぶりの先輩後輩モードである。泉の素直な返事に身体の芯の部分が震えるのを浜田は感じた。
「あとは空気読んでやれ。わかんないことあったらオレに訊けよ?」
「はい」
 浜田はつい口元が緩む。ちゃんと後輩モードに入っていると泉はかわいいヤツなのだ。
「泉、身体中にカイロ貼ったか?シャレになんねーぞ、この寒さ。夕方から夜はマジやべぇと見た。生クリーム溶けるからこれ以上ストーブ焚けねえしよ」
「貼ってる、貼ってる。確かにここ寒ぃ……」
「金を稼ぐってのぁ大変なんだよ」
 浜田の呟きに泉は吹きだした。
 午後の陽射しは徐々に夕方に変わりだしている。
「そろそろ呼び込みやっか。泉、でけぇ声出せよ」
「おお!」
 BGMには『あわてんぼうのサンタクロース』と『赤鼻のトナカイ』それから『ジングルベル』と、景気のいいラインナップがエンドレスでかかっている。

「クリスマスケーキはいかがですかぁ!」

 その声に、一瞬呆然として泉は目の前で大声を出す浜田を見つめる。
「どうしたんだ?とっとと呼び込みしろよ」
 浜田は視線に気付いて首を傾げた。
「浜田、声、でけぇ……」
「おう、当たり前だろ。オレは西浦野球部の応援団長なんだぜ?」
 泉が笑った。
「そっか。オレ、いっつもグラウンドにいたからこんな近くでおめーのでけえ声聞くの始めてだ」
 言われて、浜田も笑う。
「そっか。そうかもな。でも泉だってグラウンドで毎日声出ししてるだろ?」
「おう!」
 なんだか突然、ものすごく楽しくなってきて泉はすーっと息を吸い込む。

「クリスマスケーキいかがっすかー!」

「おー、いい声」
 浜田が隣でまた笑った。
 最初の一声を思い切って出してしまえば、照れはなくなる。
「今晩のパーティーにクリスマスケーキ、お早めにどうぞ!」
 声を出していると多少は寒いのが気にならなくなる。元気のいい呼び込みに、道行くお客が徐々に集まってきた。

「いらっしゃいませ!」
「はい。6号……を、ひとつ、ですね」
「ありがとうございます」
「こちら、です」
「ありがとうございました!」
「それなら、7号の方がいいかも……しれないです」
「こちらになります」
「ありがとうございました!」
「4000円のお預かりで、お釣りこちら500円になります。ありがとうございました」
「あ、5号はこっちになります」
「持ち帰りの時間は何分くらいでしょうか?」
「はい。ナプキン多めに」
「ああ、フォークっすね。泉、そっちの箱の中にプラスチックのがあるから」
「浜田、オレケーキ裏に取りに行ってくる」
「頼む。早めに戻ってきてな」
「すみません。一列に並んでもらえま……いただけますか?」
「泉、悪ぃ。店ん中いって、釣り銭もらってきて」
「うわ。保冷剤やべぇ。取りに行ってくっぞ」
 最初の内こそやたらぎこちなかった笑顔が、徐々に顔にぴたりと貼り付いてくる。

(クリスマスって、戦争だな)

 確か、この日だけは世界中で戦争を止める日だとニュースで言っていたような気がするが、なんてことはない。埼玉のこんな駅前で戦争は繰り広げられているではないか。
(面白いからいいけど)
 泉は、ケーキを積んだカートを押しながらそう思う。
 ふと、ショーウィンドウにサンタの格好をした自分の姿が映った。
「結構、似合ってんじゃん。まあ、あいつには負けっけど」
 浜田のサンタ衣装の似合い方はサギみたいだと泉は思った。つい笑いそうになり、それからこんなところでのんびりしている場合ではないことを思い出すと先輩サンタがテンパっている戦場へ戻る。
 なんだか、忙しすぎてどうにかなりそうで。でもとても楽しいと思っている自分がいた。
 サンタの格好をすることも、慣れない笑顔をお客さんに向けることも、綱渡りの在庫を切らさないように補充したり、群がってきたお客さんを順番に並ばせたりするのも。
 今の泉にとっては非日常だ。
 だから楽しいのかもしれない。

 いや、多分。それだけではない。

(うわぁ……オレ、キモ……)

(浜田と一緒だから、楽しいとか……思ってんじゃねえよ、オレ)

 ケーキ満載のカートを押して先輩サンタの前に戻った時には、そんな雑念振り捨てた。

「浜田、6号は最初から袋にセットしておいてくから」
「頼む」
「釣り銭大丈夫か?」
「余裕。保冷剤は?」
「今フリーザーいっぱいにしたばっかだ」
「泉、5号まだ裏にあったか?」
「さっき補充したので最後。もうねえの?」
 一刻ごとに変わっていく店頭状況を見ながら、情報交換をして販売に停滞のないように進めていく。コンビネーションは、ばっちりだ。



「ご苦労様。順調みたいだね」
 ひょいと混雑している店内から店長が出てきた。
「っす。5号がついさっき売り切れました。7号ももう残り少ないですね」
「6号は?」
「在庫自体はまださすがにありますけど、順調です」
 浜田の戦況報告に、店長が満足そうに頷く。それから、ケーキ箱を袋にセットしている泉に笑いかけた。
「泉くんもご苦労様。ボーナスはずむよ。浜田くんとすごいいいコンビだね。実はバイトするの始めてだって言うし、こっちにヘルプ入れなくちゃ回らないかな?って思ってたんだけど、全然二人で回せてるじゃない。今日は中もすごいことになってるから本当に助かったよ」
「去年3人で半分パニクってましたもんねえ」
 去年のことを思い出したのだろうか。浜田と店長は二人してぶるりと震えてみせた。
「そんなすごかったんすか?」
 泉が尋ねると、去年の経験者は二人とも首を大きく縦に振った。
「いやあ、あれは思い出したくないねえ。結果的に浜田くんががんばって完売にこぎつけてくれたから笑い話になってるけど」
 店長はくすくす笑った。
 浜田は声をかけられたお客さんの相手をしている。と、ふいに店長が泉の耳元に唇を寄せた。

「いや、実はね。浜田くんからバイトを紹介したいって言われて君の名前を訊いた時、てっきり僕は浜田くんが自分の彼女をバイトに誘ったのかって思ったんだよね」

「え?」
 一瞬泉は固まる。
「携帯では詳しいこと訊けなかったけど、バイトで雇う人のことだからって後で君のこと詳しく聞いた時に『泉はすごいいいヤツで』とか『泉は責任感あるから』とか『泉なら間違いないです』とかやけに熱く語ってたからさ、てっきりバイトに入る『いずみちゃん』ってのが浜田くんの彼女だとばっかり、ね」
 それで店長もマネージャーも、泉を見た時の第一声が「あれ?」だったのか、と泉は思い当たった。
「すんません。彼女じゃなくて」
「いやいや、別にこっちは男子でも女子でもちゃんと働いてくれる子なら大歓迎だし。実際、二人すごいいいコンビで助かったんだけどね」
 またお客さんが集まりだしたのを見て、店長は「じゃ、二人ともよろしくね」と去っていった。

(彼女って……)

「泉、ケーキお客さんに渡して。6号。持ち歩き時間40分な」
「は、はい!」

(彼女に間違われてたって、なんだよ……)

「ありがとうございました!」
「はい、6号おひとつですね」

(浜田、オレのことどんな風に人に話してんだよ)

 すぐ側で笑顔の応対をしている浜田の横顔を、泉はちらりと見上げる。

(オレぁ、いずみちゃんて言われんの一番嫌いなんだよ)

 小さい頃からこの苗字のせいで無駄に戦わなくてはならないことが多かった。なのに、なんだかムカつくよりどきどきしているのが解せない。

「孝介ー。買いに来たわよ」
 ぐるぐるしだした泉に、ふいに声がかけられた。顔をあげれば、なんと言うことはない。母親である。
「げ。なんで来んだよ」
「やーね。野球部父母会ネットワークを舐めたらだめよ。三橋さんからメールが回ってきてね。団長さんがケーキ買って、って言ってたって。多分、みんな買いに来るわよ。団長さんですもん」
 母親がにやにやしながら言う。その向こうに父親の姿も見つけて、泉は多少絶望的な気分になった。
「わ。泉のおばさん、に、おじさんも!わざわざありがとうございます!」
 浜田が恐縮して頭を深々と下げる。
「いいえー。ウチのバカ息子がお世話になってます。バイトなんて初めてだから全然役立たずだろうけど遠慮なくこき使ってやってね」
「いやあ……」
 泉が背後で威嚇しているのを充分察しているらしく、浜田はサンタ帽子の上から頭を掻いた。ふてくされてそっぽを向いている息子を無視して泉の母は夏の勇姿も記憶に新しい応援団長に向かって笑いかけた。
「夜、バイト終わったら孝介とウチにいらっしゃい。クリスマスのご馳走用意してるから」
「え……いいんすか?」
 浜田が驚いたような顔をして、泉と泉の母親を見比べた。
「おふくろ……」
 もはや声も上手くでない。
「大歓迎、よ。私は二人が来るまでお父さんと久しぶりにふたりっきりのイブを楽しませてもらうわー」
 泉はなるべく視線を逸らす。一人だけだったら親にキレることもできただろうが、浜田と他のお客さんがいる手前、キレるにキレられない。
「泉、いいのか?」
「……来たきゃ、来れば?」
「おばさん、ありがとうございます!でも、夜9時頃になっちゃいますけど……いいんすか?」
「大丈夫、大丈夫。あ、でもケーキはここのよ。孝介、6号と7号どっちがいいの?」
「……どっちだっていいよ、別に」
 泉の声に母親が微笑した。
「はいはい。じゃあ、6号2つに、7号を2つ。これから車で三橋さんと田島さんちに届けるのよ。約束したの。あなた達が食べる分はちゃんと残しておくからね」
 嵐のように親が去っていくと、泉は心の底から深いため息をついた。
「連絡網ってあなどれねえ……」
「泉ぃ、大丈夫か?なんか一週間徹夜で働き続けた人みたいな顔色になってっぞ」
 泉は首を何度か横に振ると「いい。いいんだ。取りあえず4つ売れたんだからいい」とぶつぶつ言いながら顔を上げた。
 と、そのタイミングで声がかかる。
「すみませえん!」
「いらっしゃいませ!」「いらっしゃいませ!」
 二人同時に笑顔で顔を向ける。

「あー、何?浜田だけだと思ってたのに。なんで泉もバイト入ってんのぉ?」

 脳天気ベースの不満声が飛んでくる。
「あ!」「げ」
「どぉもぉ!あら、団長さんだけじゃなくコースケもバイトしてたのねぇ」
 水谷とその母が立っていた。
「……連絡網っすか?」
 泉が息も絶え絶えに言うと「そぉよぉ」と水谷母はとても高校生の息子がいるとは思えない若々しい笑顔で応える。
「サンタさんの格好似合ってるわよ、二人とも」
「っだよ、それ!ずりぃなぁ……」
 笑顔の母親とは裏腹に水谷は不満を隠さない。
「えーと、6号でいいかな?ねぇ、フミキ?」
「あーいいなあ。オレもバイトやりたい。なんでオレにも声かけてくんねぇんだよぉ!」
 親の問いかけを無視して、その場で母親に持たされた両手荷物のままじたばたし出す水谷に、浜田は苦笑しながら「まあまあ」となだめにかかる。
 泉は水谷の母にケーキを手渡しながらぽつりと呟く。
「水谷、うぜぇ。早く帰れ」
「あー、泉!客に向かってそんなこと言うなよなぁ!」
 頬を膨らませて文句を言う水谷を、軽く無視して泉は「保冷剤多めに入れておきましたけど、なるべく早く冷蔵庫に入れて下さい」と、水谷の母親にだけにっこり笑った。
「ウチのお客さんはこちら。おめぇじゃねえよ」
 言われて水谷は怨みがましい目で反論する。
「なんだよ。サンタの格好、浜田のが似合ってんじゃねえかよ」
「別にそんなん、羨ましくもなんともねえし」
 泉はため息をついて「早く行け」と、水谷を追い払う仕草をする。
「なんだよぉ、その態度はぁ!」
 いきり立つ水谷を、仕方なしに浜田がなだめにかかる。
「まあまあ、水谷。来年は絶対ぇ声かけっから、な?買いにきてくれてありがとな。水谷のおばさんもありがとうございます」
「あ、水谷のおばさんは、っした!」
 水谷の母親は「ホント、野球部の子達って仲いいわよねえ」とにこにこしながら頷いた。
 水谷は「来年は絶対な!」と遠くで浜田に向かって言っている。



 ケーキは順調に売上を伸ばしていく。
 高校男子二人組の活きの良さと元気なところがウケたのかわからないが、夕方7時を前にして5号と7号はあっさり完売してしまった。主力の6号も、いい具合の在庫状況である。
 いよいよ大詰め。
 東京や大宮あたりに出かけていた人間達が地元の駅に戻ってくる時刻である。商店街のイルミネーションが軒並み点灯され、店の前を通る人の数が俄然増えた。
 同時に、ケーキワゴンの前で足を止める客も目に見えて多くなってきている。
 気温がぐっと下がり冷え込んできているが、忙しく立ち働いているせいで覚悟していた様な寒さは感じない。
 バイト初心者の泉にもわかる。

 今がピークだ。

「泉!」
「ああ、今バックヤード行って在庫取ってくっから。それよか、浜田」
「大丈夫。まだ釣り銭余裕あるぞ」
「OK!在庫多めに持ってくる」
 今や、相手に名前を呼ばれるだけで何を確認したがっているのかがわかるまでに急成長を遂げた西浦ケーキ販売コンビである。
「すみません。一列に、こちらのテーブルに沿って並んでもらえますか?5号と7号は売り切れてます。現在、生クリームの6号サイズクリスマスケーキのみをこちらで販売してますんで!」
 ざっと群がる客を整理してからバックヤードに向かって走っていく新米サンタの後ろ姿を浜田はちらりと目の端に入れる。
 泉の動きはバイト開始当初のそれと比べて格段にスムーズである。
(頼もしいなあ。てか、男らしいぞ、泉ぃ)
 てきぱきと客を捌き、在庫量に目を走らせ、備品類のチェックにもぬかりがない。バックヤードに抜ける時も予めいくつか保冷剤を入れたケーキ箱入りの袋を用意してから走っていく。元々、察しよく立ち回れるタイプだと思っていたが、想像以上に使えたのはこの繁忙期、あまりにも大きかった。
 浜田は最初に泉に言った通り、ほぼお客との金のやりとりと泉がいない時の商品の受け渡しのみに専念できている。
 接客にほとんど遅滞が生じていない。
 順調だ。
(お前はできる子だって思ってたぞ、オレぁ)
 泉がバックヤードからケーキを補充してくると、ここが勝負とばかりに二人して大きな声で元気よく客とのやりとりを始める。
 にぎわいは人を呼ぶ。呼ばれた先でにこにこしながらケーキを売っている若手サンタを見て、また人の列ができる。
「浜田!これで在庫ラストだ」
「おお!ラストスパートすっぞ、泉!」
 二人してハイタッチを交わすサンタに、並んでいた客が「元気いいねえ、お兄ちゃんたち」と笑った。
「それが売りですから!残り……えーと」
「クリスマスケーキ、残り20個です!お早めにー!」
 泉が後をついで声を出すと、浜田はちらりと横目で「サンキュ」と告げる。
 泉は黙って親指を立てた。
 残りわずか、の声を聞き、その時点で列ができていたワゴンに人がまた並ぶ。
 ラストスパート宣言からわずか十分ほどで、全てのケーキが客の手に渡った。
 二人同時に「ありがとうございましたぁ!」と頭を下げる。
 そうして、クリスマスケーキ6号の値札のところに予め用意してあった「SOLD OUT」の赤い札を貼り付けた。

「……」
「……」

 無言でハイタッチ。それから、顔を見合わせて二人のサンタはにやりと笑った。
「っしゃ!」「った!」
 勝利の叫びはいつも、心地よいと決まっている。



 店長はそれはそれはにこにこ顔だった。
「いやあ、ありがとう!正直、昼間の調子を見ててちょっとやばいかなあって思ってたんだよね。あーでもこんなに早く完売するならあと100追加しとけばよかったかなあ」
 泉と浜田は顔を見合わせてにこにこと互いをつつきあう。
「浜田くん、今日は早上がりしていいよ。時給もちゃんと八時までつけるから。それから、泉くんは日給だったよね。これ……」
 店長は、封筒に入った現金を泉に渡す。
「あ……っした!」
 生まれて初めて働いて手に入れた金である。どきどきしながら、受け取って頭を下げた。
「少しイロつけといたよ。ホントに二人っきりで回してもらえて助かった」
 それから、にっこり新米サンタに笑いかけた。
「来年もぜひ、浜田くんとウチのバイト入ってくれないかな。二人のコンビ、すごく評判よかったから。来年は目指せ1000個!どうかな?達成したら今年の倍出すよ」
「いやあ……」「それは、ちょっと……」
 サンタコンビは苦笑した。
「1000個はアレですけど。でも、来年ももし使ってもらえるんでしたら、お願いします」
 泉はそう言って頭を下げた。
「オレ、バイト初めてだったけど、すごい楽しかったし目の前にどーんと積み上がってんのが売れていくの、なんか気持ちかったです」
 店長は笑って「来年も、期待してるよ」と請け合った。



 外に出るとまだ7時半である。
「どうする?このまま、泉んち行く?」
 駅から泉の家までは約20分ほど。
 泉の懐はほくほくだ。予定していた額より2000円多く入っている給料袋は、それだけで狙いのスパイクが手に入る金額である。
「んー……どうせ、おふくろには9時位につくって言ってるし」
 そう言って浜田を見上げる。

「まだ早くね?」

 じっと顔を見合わせる。
「……だな。どこ行く?」
 浜田の返事ににやりと笑うと、泉は頭の後ろで手を組んだ。
「んー、プランねえなあ」
「オレ、給料今日入るわけじゃねえんだよな。泉、なんか奢って」
「やだよ。冗談じゃねえ」
 泉は跳び上がって、浜田に体当たりをする。浜田は苦笑して体当たりされていた。
「なあ泉、マジ腹へらね?」
「食うなら軽くだな。あの様子だと結構気合い入ったのがオレんちで待ってるぞ。てか、浜田、やっぱお前オレのことどんな説明してんだよ。店長オレに会うまでバイトにはいるのはお前の彼女だって完璧誤解してたって言ってたぞ」
「あー、それでマネージャー、一瞬妙な目でオレのこと見てたのか」
 浜田はなるほど、と頷いた。泉は隣の男が巻いているマフラーを引っ張った。
「泉、首締まってる、締まってる……っ!」
「ざっけんなよ。店長に『いずみちゃん』とか言われたぜ。寒い寒い寒すぎる」
「別にアレだぞ。お前のこと、いいヤツだとか間違いない人間だとか言っただけだぞ。勝手にオレの彼女とか誤解したのは店の連中だ。オレは悪くない」
 どうでもいい話をしながら、クリスマスイブに華やぐ夜の街を歩く。

 二人が結局泉家についたのは、夜9時過ぎだった。
WORKS TOP