●● New Year's Eve ●●
野球部の連中で二年参りをしようという話が出たのは、ごくごく自然な成り行きだった。
誰が言い出したのかよく覚えていないのだが、とにかく夜11時半に駅に集合して、みんなで八幡宮へお参りに行こう、というプランはあっという間に固まった。
そういうことに関しては、コンマ5秒で話が決まる。
日ごろ何かとうるさい親に対して、真夜中に出かける口実としてはまず最上の部類だ。
「あー、オレはパス。明日っから家族で恒例のスキー旅行行くんだよね。みんなオレの分もお参りしてきてよ」
「私は久々に女子のつきあいがあるから、ゴメンねー」
栄口が年に一度の家族の団らん旅行のために辞退し、マネジがクラスの女子と共に新年縁結び神社巡りのため断りをいれた以外は全員が参加となった。
「浜田は?」
年内最後の練習の後で、まるで「明日の天気は雨だっけ?」と確認するように泉にそう言ったのは阿部だ。泉は、他の誰でもなく自分に向けてそんなことを言われたことに、若干戸惑ってしまう。
「いや別に。そもそも、誘ってねえけど。部活の連中だけでいんじゃね?」
少しばかり自分がキョドっている気がして、ぎょっとしている。
名前を出されただけでこんな狼狽は一体どうしたわけか。
「あーそ。なんかふつーに来んのかと思ってたから」
阿部に他意はなさそうだ。
当たり前に面子の中に入っていると思っていた人間への伝達がどうなっているのか気になっただけらしい。多分、目の前に田島がいれば田島に訊いたのだろうし、三橋にも同様の質問を投げたに違いない。
耳がその名前を拾ったというだけでびくびくしている泉がどうかしている。
「あいつのことだから、どーせ年末年始は年越しそばでも売ってるんじゃねえの?冬はバイト漬けだって、そう言ってたし」
「あー、バイトね」
阿部はもはや自分が名前を出した人間への興味を失ったようで、肩を回しながら他の連中と一緒にだらだらと自転車置き場に向かう。
泉は立ち止まって、チームメイトの背中を見ながら深呼吸だ。少し落ち着かないといけない。息を整えている泉の背後から水谷が声をかけてくる。
「泉ぃ、はま」
「来ねえよ!」
みなまで聞かずに大声を出すと、水谷は「まだ全部言ってねえだろぉ!」とひるみながら文句を言う。
「泉、声でけぇ。何タケってんの?」
一緒に歩いてきていたらしい巣山が苦笑した。
「あ……悪ぃ」
巣山に素直にわびると「おいおい、わびいれる相手間違ってっぞ」と水谷が文句を言うが、聞く気はない。
「うるさい、余計なこと言う水谷が悪い」
泉の言い分に水谷はむくれた。
「ハマってるって言ってたバンドの名前訊くことの何が悪ぃんだよ?」
「……」
ぱあっと顔に朱が広がるのがわかった。
「しかも訊こうとしたことの応えになってねえよ」
巣山が「まあまあ」と水谷をなだめて笑っている。
「何?どうしたんだよ泉。顔が紅ぇぞ?風邪か?」
「なんでもねえよ。やっぱ、水谷が悪ぃって思っただけだ」
その場を離れて一人でずかずか地面を踏みしめて歩いていく。ポケットに手を突っ込むと携帯が指に当たった。
(……別に。部活連中だけで行くって話になってんだからわざわざ連絡することはねえんだよ)
きっと当日その場に浜田が現れたとしても、野球部の連中はなんとも思わずに連れ立って神社に向かう。誰も「あれ?浜田も来たの?」なんて言わないだろう。
そこに浜田が混じることはごくごく自然で、当たり前。不思議なところはひとつもない。来なかったら来なかったでなんとも思わない。
浜田の野球部に於ける位置づけはワイルドカードなのだ。
多分、来るの来ないのにこだわっているのは泉位だろう。
(でも、バイトとか終わって家に戻って一人で年越しとかするのって、考えてみるとなんか寒くね?)
さすがにそれは哀れすぎる。
浜田が自宅のこたつでカウントダウンのお笑い番組を観ながらカップ麺をすすっているところまで想像して、泉は呻った。
(誘ってやろうかな……かわいそうだし)
野球部だけでわいわい言いながら夜店をひやかして、なんとなく賽銭を遠投みたいにみんなで競って投げて花井の合図で全員一斉に柏手を打って。
それは絶対に楽しい。
でも、そこに浜田がいて花井や阿部や田島が興味津々で賽銭を投げるのを見ているところだとか、水谷や沖が「すごいねえ!」と直接浜田に賞賛を、巣山や西広が泉に対して「やっぱりあの人凄かったんだね」と言うとか、三橋はちょっと自信喪失しながら自分の右手を見つめていたりして逆に浜田になだめられたりとか。
そっちの方がもっと楽しい。
(誘って、断られたら別にそれでいーわけだし)
ポケットの中の携帯を握りしめる。
別に大したことでもない。意味なんかない。
なのに。
結局、大晦日当日まで泉は電話をかけることができなかった。
一体何をそんなにこだわってしまっているのか、泉はどうにも自分がわからない。
今年がどんどん過ぎ去っていく。
多分生きてきて一番いろんなことがあった一年だったと泉は思う。去年の今頃は受験生で、浜田『先輩』がいる西浦を第一志望に決めて割と真面目に勉強をしていた頃だ。
硬式野球はどんな感じなのだろう?とか、やっぱり当たったら痛ぇよなとか、そんなことばかりを考えていた。
去年の自分が今の自分を知ったらどんな顔をするのだろうか。
今年最後の日が落ちた時、泉はようやく決心して昨日からずっと持て余していた携帯のメモリから浜田の名前を呼びだした。
ダイヤルボタンを押すと、いきなり「おかけになった電話番号は電波の届かない場所におられるか……」というメッセージが流れてきた。案内を聞いた瞬間に泉は慌てて通話終了ボタンを押した。
「……なんだ?今どこにいんだ?結局バイトなのか?」
とにかく、これで既成事実はできた。
一度は電話をかけたのだ。だが、浜田は出なかった。
だから、誘おうとしたのにできなかった。
仕方がない。
それで、終わりにしてしまおう、と泉は思う。
昨日からなんだか考えすぎていて、いい加減頭が痛くなっている。大したことではない。他の誰を誘うかどうか、という話になっていたら泉は躊躇なく電話をかけて参加の有無を確認していた。
いや、相手が浜田だっていつもなら普通に「どーする?」と尋ねているに違いない。
なのに、最初になんでもないことでどツボに入ってしまったせいで、こんなハメになった。
(オレって、ばっかじゃね?)
相手は毎日教室で顔をつき合わせている浜田だ。
一番気心の知れた相手だ。
それなのになんだか意味もなく躊躇っている。
浜田に対しては時々こんなことになってしまう。
大したことでもないのに身動きが取れなくなってしまう。普段は当の相手からよく文句を言われる位に遠慮なくぞんざいに扱っている相手なのに、スイッチが少し入れ違うと何もできなくなる。
「わっけわかんねえよなあ」
親に文句を言われて仕方なく部屋の掃除を始めたものの手に着かず、さっき空振りだった番号にまた手を伸ばす。
結果は変わらない。階下のキッチンからは大晦日の夕飯らしい煮物の匂いがしている。携帯に表示された時刻を見れば待ち合わせまであと四時間。
「っだよ、出ろっつーの」
いらいらしながらリダイヤルボタンを押すが、やっぱり浜田は電話に出ない。
急に焦りが募ってきた。
「今出なかったら間に合わねえじゃん」
むきになって何度も何度もリダイヤルボタンを押してみるが、その度に空振りに終わる。
途中で夕飯に呼ばれてしまい、おかげで今年最後の夕飯はひどく不機嫌ですごす羽目になってしまった。
「……マジで。何かあったのか?」
あまりにも同じメッセージばかりを聞いていて、今度は逆に不安になってきた。考えてみれば浜田はまだ18歳未満なのだから夜を徹してのバイトはできないはずだ。
なのに、いつまで経っても電話に出ない。
やきもきしている内に、大晦日恒例の格闘技は応援していた方が一発ノックダウンの最低の結果で終わるし後を引き継いだお笑い番組は異様につまらないしで、散々だ。
連鎖式に悪い目が出ている気がしてならない。
野球部連中との待ち合わせまであと一時間。駅までは30分で行ける。
「……仕方ねえなあ。寄ってやっか」
誰に言うわけでもなくそう呟いてダウンを羽織り、マフラーを巻く。
「初詣行ってくる」
リビングで紅白を観ている両親に声をかけると、泉は浜田のアパートに向かった。
「……いるんじゃん」
部屋の灯りが点いている。
ほっとした気持ちが最初に。それから猛烈に腹が立ってきた。何度電話をかけても繋がらなかったのに、のほほんと家にいるとは何事だ。
いつものようにアパートの階段下、浜田の自転車の隣に自分のを停めて階段を上がる。
「やっぱ、いんじゃんよ……」
浜田の部屋は二階の端だ。そこまでは軽やかに足が進む。
だが、部屋のドアの前に立つと、急に不安が押し寄せてきた。
(まさか、とは思うけど)
電話に出ない、携帯の電源を切っている理由。その、可能性のひとつが急に頭にひらめいてしまった。
(まさか、オンナとか連れこんだり……して、ねえ、よなあ……)
ドアを叩こうとする手が止まる。
心臓が大きく強く速く鳴る。
そりゃあ、彼女と一緒ならば電話に出るどころか、鳴るのだって鬱陶しいに違いない。わざと携帯の電源を落としていたって不思議ではない。
もし、このドアを叩いて浜田が出てきて、その背後から女の子の声が聞こえたりしたらどうしたらいいのかわからない。
「……っ」
考えて、顔が真っ赤になっていることに泉は気付いた。やけに熱い。
「……は……」
自分が全く気付いてなかっただけで実はバイト先とか応援団関係とか、もしくは泉の全く知らない交友関係の中に浜田の彼女がいないという保証はどこにもない。
「……」
考えはじめたらまた頭が痛くなってきた。
(どうしよう……)
部屋の灯りはついている。頼りの足である自転車もあった。中に浜田がいるのは間違いない。
(どうしよう……)
どんな女の子だろうか。浜田に目を付けるとは、なかなかアンテナの感度が高い。
(だけど、あいつバカだぜ?)
だけど、いいヤツだ。
もしも浜田が選んだのだとしたら、それはきっといいコに違いないのだ、と泉は思った。
思って、また頭痛がひどくなったことに気がついた。
(どうしよう……)
なんだか、胃の辺りまでしくしくと傷んできたみたいだ。
ポケットに手をつっこめば、携帯が指に当たる。
掴んで出すと、メモリから浜田の番号を呼び出す。
(出なかったら、確定な)
そう思ってダイヤルボタンを押したのに、なんの余韻もなくあっという間に「現在おかけになった電話は……」と思っているより大きな音量でメッセージが流れる。
泉は絶望的な気分で通話終了ボタンを押した。
大きくため息をつく。
なんだか力が抜けた。
額をこつんと閉じたドアに当てるともう一度ため息をついてきびすを返す。
途端に、泉の携帯がけたたましく鳴った。
「わ!」
慌てて電話に出ると水谷だった。
「あ、泉ぃ?今日集合場所って西口でよかったっけ?」
「西口だよ。あってるよ。じゃあな」
小声の早口で一気にそれだけ言うとさっさと通話終了ボタンを押す。
と、背後で嫌な音がした。
「……泉?」
ドアを開けて浜田が顔をこっちに向けていた。
「……お疲れ」
恐々振り返るといつもの脳天気な浜田である。
「何?どうしたんだ?こんな時間に」
「……いや、野球部で初詣行くから、浜田誘っとくかって電話したら何度かけてもお前全然出ねえし一応家まできたら部屋にいるのに出ねえのはオン……じゃなくて誰か来てんのかなって思って帰ろうとしたら水谷が水谷はあとで会ったら締めとくとしてつまりそろそろ待ち合わせの時間だからまだ全然早いけどさっさと行ってコンビニでヒマ潰せば問題ねえなとか思ってそのやっぱり水谷は会ったら首絞めるしかねえよなあ」
言いながら、イヤになるほど混乱している自分がとても情けない、と泉は思った。
浜田は笑う。
「なんだよ、泉。言ってる意味が途中から全然わかんねえけど?」
「……だよなあ」
泉はため息をつく。浜田はまた笑った。
「何?野球部で初詣行くのか?誘ってくれんだ。ありがとな」
「行かねえんだろ?」
泉の声に浜田が首を傾げる。
「行くよ?なんで?てか、寒いから中入れ。待ち合わせ何時よ?」
「11時半に、西口の改札前」
「じゃあ、まだ時間ちょっとあるし。お茶位出してやっから。入れ」
「……いいのか?」
「いいよ?なんで?」
それで恐る恐る浜田の前まで移動する。
素早く玄関の靴をチェックしてみたが、大きなスニーカーしか置いてない。
「……どうしたんだ?泉?」
「いや。客でも来てんのかな?って思って。携帯、電源切れてたし」
「来てねえよ。さっきバイトから戻って……ああ!」
部屋に招き入れられて耳元で大きな声を出される。泉は顔をしかめた。
浜田はさっさと部屋の中に戻っている。確かに他に人の気配はない。
靴を脱いで部屋に上がると、部屋の隅で浜田が絶望的な声をあげていた。
「あー、やっぱこれ寿命だな。最近一晩充電してもなんにもしてないのに2、3時間で充電なくなんだよな。悪ぃ、泉。多分ずっと電源落ちてたわ」
泉は、部屋の入り口に立ってじっと浜田を見つめていた。
「……泉?」
微動だにせず突っ立っている泉に浜田が首を傾げる。立ち上がって、沈黙している携帯を手にしたまま側に近づいた。
「どうしたんだ?なんか意識が飛んでっぞ?」
「……オレはばかだ」
「え?なに?何言ってんの?」
泡を食う浜田を見ながら、しみじみ泉は「オレってマジでばかだ」と重ねた。
(安心してんじゃねーよ)
部屋の中に見知らぬ女の子の姿はなかった。
それがこんなに安堵を誘う。
(何、喜んでんだよ)
泉は浜田を見上げる。
(あー、相変わらずばかみてえな面してんなあ、こいつ)
「な、何?何見てんの?見つめられてんの?オレ?」
浜田が顔を紅くしながらまたひきつった顔になる。
「……」
じっと見つめる。
急に、慌てふためいていた浜田の表情が真面目になる。
(あれ?)
何もしゃべらずただじっと見つめ合った。
(あれ、これ何?)
なんだか、部屋の中は静かで。とても静かに時間が流れていて。それでなんだか不思議にリラックスしていた。
(ああ、これって……)
泉の中で何かが動く。
途端。
大音量で、泉の携帯の着信音が鳴る。
「わ!」「わ!」
慌てて出ると田島だ。
「おう、泉か?待ち合わせ11時半でよかったんだよな?」
「いいよ。あってるよ。11時半だよ。遅れんじゃねーぞ」
早口で言って切ると、あの静かな時間は散ってしまっている。
「……コーヒー、飲む?それとも牛乳あっためてやろうか?」
「牛乳がいい」
「ああ。じゃ、こたつ入ってて」
「ああ……そうする」
二人して浜田の煎れたコーヒーとホットミルクを飲んで寒い寒い夜の中を街に出た。
泉と浜田が連れだって待ち合わせ場所に現れた時、野球部の連中はやっぱり何も言わず、当たり前に集団で大混雑の八幡宮の夜店をひやかし賽銭の遠投競争をして、花井に怒られて、さらに花井の合図でなんとなくみんな一斉に柏手を打った。
多分、年が明けた瞬間泉の隣にいたのは浜田で、浜田の隣にいたのも泉だったはずだ。
それはやっぱり、思っていた通り……思っていた以上に泉にとっては楽しい年越しだった。
帰りははぐれないように、泉は浜田のブルゾンをつまんで歩く。
泉の袖にも誰かがぶら下がっているようだったが、気にならない。
目の前には笑っている浜田がいた。
その笑顔が、まだ誰かたった一人の女の子のものにはなっていないことが、やけに嬉しいと泉は思っていた。
初詣の善男善女の人混みは凄まじくて、浜田から離れないで済むように泉はぎゅっと服の裾を掴む力を込めた。