●● ウサギ症候群 ●●
実は淋しくても死なない
結構というか、かなり狂暴
そして、滅法かわいい
浜田が晴れて泉を『オレのもん』と言えることになってからはや十日が過ぎた。
(なーんか、おかしーよなあ)
多分、今、自分はこの世で幸福な男のはずだ。
(ちゅーだってしたぞ?)
回数にすればまだ三回だが、野郎が野郎に惚れてその唇にたどり着ける絶対確率を考えたら、そして相手が他ならない泉孝介だったことを思えば、今の浜田が幸福男子でなくていったいなんだというのだろう。
はじめてキスをした時の泉を思い出せば、浜田は一生分のオカズをもらった気分になる。
近づいてくる浜田の顔を見て、耳から首から真っ赤になって、驚いたような怯えたような表情で一歩後ろに下がった。ここで逃がしたら一生後悔する、と腹を決めた浜田は校舎の壁際に追い詰めてさらに顔を近づけていく。
平手ビンタも正拳での右ストレートも覚悟したが、五センチの距離で泉は観念して目をぎゅっとつぶった。
触れた瞬間、びくりと逃げをうとうとした身体を抑えこんで重ねた唇は震えていて、ただ触れあっただけのそこからマグマより熱くてうねるような何かが身体の中に押し寄せた。
(ああ、すげーかわいかった……)
反すうするほど午後の裏庭でのできごとは美しく、それとは関係ない下半身の過剰反応を伴って浜田を満たす。
唇を離した泉は、目を開けるタイミングがわからないらしく、目を固く固く閉じたままでいたからますますいとしさがつのった。
張り手もパンチもされなかったし。
二度目は一週間前のことで、浜田の部屋でだった。
それは最初に比べたら結構滞空時間が長かったし、抱きしめたら泉だってそろそろと両腕を背中に回してきた。もちろんそこで(いけるかも)と思ってしまったのは、男のスケベ心というものだが、それは相手も同じ思春期真っ盛りだ。わかってもらえるだろう、と思って一度離れて泉の瞳がしっかり潤んでいるのを確認してから三度目のキスを試みた。再び唇を重ね、それから……舌をいれてみた。
ビンタもパンチもされはしなかった。
されはしなかったが、貪るみたいにして夢中でキスをした後で泉は溶けた鉄より真っ赤な顔をして浜田を突き飛ばすと、そのまま逃げるように帰ってしまった。
逃した魚はいつだってでかすぎる。
以来、泉が冷たい。
いや「冷たい」というよりは「変化がなさすぎる」という感じだ。
もともと、浜田決死の告白にそっぽを向きつつ頷かれ、ホントかどうか確かめたくて最初のキスをした翌日も、そのまた翌日も、泉は見事に変わらなかった。
(少しは頬を赤らめるとかさー。目と目で会話するとかさー)
誰にも見つからないようにそっと指をからめあってみたりとか、ほんの少しだけ他の連中より浜田のことをひいきするとか。
(ねえよなあ……)
カレシになった日常生活における特典については、今のところまったく心当たりがない。
浜田はうなりながら携帯を見つめる。
今日は練習が遅くなるから行けない
今朝八時半、教科書で教師の目をブロックしながら送った
今日は来れるか?
のメールに対して、現在時間午後三時半。ようやく着信した待望の返信がこれだ。
「下手しなくても、梶や梅より返事おせー!」
学級日誌を前にして、浜田はうなる。
じゃんけん一発勝負で見事に敗北し、日誌書きを押しつけられて一人居残る放課後だ。書くことねー、と思いながらうだっているというのに、さらに追い打ちだ。
金色の夕陽が窓から射している。今頃泉は憂鬱なメールの返事義務を終えてナインの中でもひときわ元気にグラウンドを走り回っているに違いない。
「オレ、何回フラれてんでしょ?」
机の上につっぷしてため息をつきながら、携帯の受信履歴を指で繰る。
泉からの返事は大概短い。
今日は練習あるから無理
練習遅くなりそうだからパス
明日試合だから行けない
共通しているのはどれもこれもが一撃必殺のお断り文章だということだ。
浜田がこと部活が理由の断りには文句が言えないことは、ちゃんと推察しているらしいところがこしゃくだ。
返事がくる度に期待に胸をふくらませた浜田はへこまされる。
「なんでこーウチのウサギちゃんはコワガリ屋さんかなあ!なんにもしねーって今朝メールでちゃんと補足しといたのに!」
泉がこの前のちょっとディープなキスにびびったのは明らかで、浜田の部屋で二人きりになることを恐れているという予測はハズれてはいないだろう。
「でもさー、あの時ちょっと気持ちよさそうな顔してたじゃねーの?それともオレ、下手か?下手だったのか?」
言っていることが不毛だと思っても、愚痴は止まらない。
別に浜田も『それだけ』が目的で泉を部屋に誘っているわけではない、つもりだ。
つもりだが、そういうつもりもあるのは確かだから泉の態度を「心外だ!」と言ってなじれない。
単純につきあいはじめたばかりの恋人といちゃいちゃくっついていられる時間が欲しい。
切実に欲しい。
その延長でまだ三度しか味わっていない泉のキスだとか、できれば直接身体に触ったりとか、叶うことならもっとずっと深いところまで触ったりとか、そういうことはやっぱりしたい。
それもウソじゃない。
「おかしいよなあ。今が一番ラブラブでいちゃいちゃな時間なんじゃないの?」
多分、泉は浜田とつきあうのをやめるつもりはないのだと思う。もしもそうなら、きっちり「NO」をつきつけられているだろう。多分、泉ならそうする。
だからそこは大丈夫だと思っているのだが、どうにも理不尽な気がして仕方がない。
「んー……」
携帯のつれない返事の数々を五回ずつ読み返すと、浜田はフリップを閉じてため息をつく。
「やっぱり、特攻?」
さすがに、焦れているのは、まだ浜田の中に泉との関係について絶対的な自信がないからなのだと思う。
その自覚はあるのだ。
泉の家の前で待ち伏せした。
夜道を自転車で帰ってきた泉は、愛車とともに佇む浜田の姿を自宅の一メートル手前で発見して急ブレーキをかける。
住宅街の夜は、人どおりもない。街灯の作る円い光の輪っかの下で浜田は自分でも、ちょっとワルっぽいなと思える感じで、にっと笑った。
自転車を降りた泉が浜田を睨みながら同じ輪っかの下にやってくる。
「なに、してんだ?」
「……夜這い?」
つい昨日の古文で、光源氏をやったばかりだ。去年も「昔の人はドートク観念ねえなあ」と思ったが、今年も同じことを思った。自分は光の君よりかなりモラリストだと、浜田は思う。夜這いをかける相手は泉のほかにはいない。
あっけにとられて固まる泉の自転車のかごから、さっさと荷物を奪って自分のかごに移しかえる。
「てめ、浜田なにすんだ!」
「欲しかったら奪い返しにくりゃいーじゃん」
笑って自分の自転車をスタートさせる。逃げる場所は、もう決めてある。
「浜田!待て、コラ!」
後ろで泉が自分の名前を呼ぶのが気持ちいい。
夜風はまだ冷たくて、頬にあたる感じも気持ちがいい。耳に泉の自転車のタイヤの音が聞こえる。
それが一番気持ちがいい。
夜の中、泉と一緒にいることが実感できて気分がいい。
(これって、デートじゃね?)
にしては、誘い方が強引だが、ふたりで一緒に夜道を自転車で走るのはデートだと決めつけてもいいような気がする。
(ああ、デート、デート。初デート。そういうことにしよ)
目的地は最初から見当をつけてきた。
明らかに浜田の部屋にくるのに怯えている相手を一応思いやって、浜田が自転車を停めたのは泉の家から五分ほど行ったところにある児童公園だ。
それほど大きくはないそこは、住宅と住宅の隙間に家一軒分ほどのスペースで成り立った緑地になっている。
ささやかな遊具がふたつほど。それから水飲み場と公衆トイレと、ベンチと自販機。憩いの場というよりは、災害時の避難場所として使用するためにあるのだろうと、浜田は思う。
万が一犬の散歩で訪れている人間でもいたら台無しだと思っていたが、幸いなことに無人だった。
「なんだよ、どういうつもりだよ。この誘拐魔!」
公園の中まで直接乗りつけた自転車を停めた浜田がベンチに腰かけるのと、泉が世にも人聞きの悪い言葉を叫ぶのとはほぼ同時だった。さすがに、苦笑してしまう。
「誘拐魔ってお前なあ。泉が部活が忙しくてなかなか時間作れないっていうから、家まできただけだろうが」
用心深く、泉の荷物はベンチの背もたれ側に回しながら言う。
「カレシがわざわざ『会いたい』って言って家にきたんだからさ、『うれしい』って抱きついてくるならともかく、犯罪者呼ばわりはひどいんじゃね?」
「誰がカレシだ、ばか」
想像通りの答が返る。
「オレ以外にカレシがいるんなら、泉は二股かけてるって話になるんだけど、もしかしてお前、そういう人だったのか?」
「ちっげーよ!」
とたんに、泉が沸騰した。
「浜田てめぇ、なに言ってんだよ?なんでそんな話になんだよ。オレに告ってくる男なんてこの短い間にそうそういてたまっかよ!」
「いや、実はオレが知らないだけで泉にはずっとつきあっていたオトコがいたとかいうびっくり展開が……」
「あるか、ボケ!」
浜田の軽口に、泉が吠える。なんとなく安心しながら、目の前で大きく呼吸を繰り返すのを眺めていた。
(あー、もー、なんつーの?この感じ?)
うきうきしてしまう自分はおかしいのだろうか?と浜田は思わないでもない。
目の前でわめいているのは、いつだってかまっていたい相手だ。
「大体、オレら毎日毎日教室で顔合わせてっしいいだろ、別に?わざわざ時間作って会わなくたって」
頼りない街灯の下ではよくわからないが、多分今泉の顔は真っ赤だろう。そう思うと浜田の心は勝手に踊る。
踊ってつい、追いつめるような言葉を言ってしまう。
「だめだろー、普通は。それじゃただの同級生と変わりないじゃねーかよ。滞空時間的には野球部の連中以下だろ、オレ」
「だけど!オレ部活休めねーよ?休む気もねーけど。大体……会って、何すんだよ?わかんねーよ……」
(あーでも、こういうのは特権、かも)
心の中でほくそ笑む。
語尾が細く小さくなっていく泉など、野球部の連中の誰が知っているだろうか?うつむいて、キャパいっぱいの会話に当惑している姿は多分、浜田しか知らないと思った。
それはひどく気分がいい。
「そりゃまあ、会って触ったりとか触りっこしたりとかちゅーとか、もっと深くアレとか……」
「無理……」
下を向いたまま言う泉を見ながら、浜田はベンチから立ち上がる。一歩、そばに寄った。
「無理?無理ってなんでよ?オレ、告ったとき『いい』ってうなずいたじゃねーの、泉は」
「言ったけど」
慎重に、慎重に、細心の注意をもって肩を掴む。このいきものは扱いがとても難しい。注意しないとすぐに逃げる。
「ちゅーだってしただろ?」
そっとささくように言えば、泉がびくりと震えた。
「……てめ、それを言うのは絶対ぇ卑怯だぞ」
世にも恨みがましい目つきで睨まれてしまった。
「あれ、もしかしてヤだったか?」
「……そういうんじゃ、ねえよ!」
泉が顔をあげて、浜田を睨む。顔が紅い。間違いない。
「ヤだった?」
もう一度、一言、一言を区切るようにして尋ねると泉はまたうつむいた。
「ヤ、では、なか……」
「よかったー。決死の思いで告ったのに、もうフラれたかと思ってあせった」
とたんに、泉がいきなり振りきれた。
「なんなんだよ、浜田は!」
がっちりと肩を捕まえておいたのは正解だった。
そのまま逃げられないように抱きこめば、泉は腕の中でじたばた暴れる。
現役の運動部員だ。本気で暴れられたら逃げられてしまうかもしれない。侮れない。
「なんなんだよ、浜田は!そりゃオレはお前よかそーゆー経験、とか少ねえかもしんねえけどさ、でも仕方ねえだろ?お前のが一年も多く生きてんだし。カレシとかって気楽に言うんじゃねえよ」
「だって、カレシだろ?オレ?泉の?」
もがくいきものは、腕の中で大暴れだ。浜田は必死で捕まえる。
「だから、そういうこっ恥ずかしいことをどうして簡単に口にできんだよ。それがもームカつく!」
その言葉で、浜田はようやく理解した。
「あー、あれか、まだ慣れないから!」
「はあ?」
「わかった。じゃあ、ちょっとずつ慣らしてけばいいんだ」
浜田の言葉にぷちん、と腕の中のいきものがはじけた。
「慣らすとかそういう問題じゃねえ!」
逆上するケモノの背中をとんとんと叩く。以前赤ん坊の子守のバイトをやった時、子どもはこうやってあやしつかせるのだと教えてもらった。
多分、ケモノも赤子も同じように扱って問題ないだろう。
「じゃね?そうじゃねーの?オレだって、まだ泉とどうにかなったって実感ねーもん。まだ告ってから何日よ?そりゃ慣れてねーっての。これから馴染んでけばいーんだって、ほら……」
言って泉を抱く腕に力をこめた。
「こーゆーのとか、さ」
と、ケモノは己の現状を思い出してまた暴れ出す。
「何すんだ、ヘンタイ!ばか、離せ!」
「やだ、せっかく泉に告ってOKもらったのにさー、泉はちっともオレに優しくねーし、触らしてくんねーし、メール送っても返事おせーし短けーし」
泉に外されないようがっちりホールドを決めつつ、ついつい、ここ数日の恨み節をもらす。
第一せっかく恋人を抱きしめているというのに、ちっとも色気がないのもどうだろうか、と浜田は真剣に思った。
「返事が短くたって意味が伝わってんだから、いーだろ?」
「でも待ち時間七時間はさすがにひどくね?泉、一時間目の授業中にオレの送ったメール見てたの知ってっぞ?それはあまりにせつねーじゃん」
「オレはせつなくねー!」
じたばたもがくが、浜田渾身のホールドは外れない。
「なあ……こーやってオレに抱かれんの、ヤか?」
ふと軽口をやめてささやけば暴れる身体がぴくりと震えた。
「……じゃ、ねえけど、別に」
「そっか。オレはすげーいい。ずっとこーしてたいもんよ」
ケモノの調教は、緩急が必要だ。緊張させるだけでなく弛緩する余裕を与える必要がある。その強弱で相手に息をさせてやらなくては死んでしまう。
「ばっかなことゆーな!」
泉は浜田の軽口に息を吹き返してまたもがきだす。
「暴れんな、コラ」
「暴れる!冗談じゃねえよ、離せって!だれか来たらどーすんだよ!いいわけできねーだろ、こんなの!」
部活を終えてきた泉の身体からは汗と泥の匂いがする。
(あー、オレ変態かも……いい匂いとかって思ってるよ)
何日もお預けを食らっていた大事な身体を抱きしめている。だれがきたって構わない、と浜田は本気で思った。
「離してほしいのは、恥ずかしいから?」
「それ以外何があんだよ、ばか浜田!」
「よかったー、ヤだからじゃねーんだ」
「上げ足とんなよ!オレはこーゆーの慣れてねーんだよ、お前とちがって。悪かったな!」
ふっと力を緩めて、身体を離す。ただし泉の腰はしっかり捕まえたままで、浜田は真顔になった。
「じゃあ、慣れてくれ」
「……なに、言ってんだよ」
もう抱く力は緩んでいるのに、泉はまだ腕の中に収まったままだ。
「慣れてくれないとオレが困る。泉のもっといっぱいいろんなところ触りたいし、ちゅーもしたいし、ゆくゆくはエッチもした……」
言いかけた言葉の途中で泉がわめきだす。
「そういうなまなましいこと言うなよ!眠れなくなんだろ!」
だが、緩めている腕の中から逃げたりはしない。
「眠れなくなるんだ?泉?」
からかうように浜田が言えば、さっきからやられっぱなしの泉は怒りで目を潤ませて浜田をなじった。
「なるだろそりゃ!当たり前だろうが!オレだってつきあうってことの意味くらいわかってるよ!男だし……男だからちゃんとわかってんだよ。だけど、そーゆーの連想するともうどうしていいかわかんねーだろ?」
気がつけば、浜田のシャツを両手でぎゅっと握りしめている。その拳にこめられた力がひどくいとおしい。
恋人の何気ない所作に、反応に、日々恋心はつのっていく。ひとつも逃がしたくはない、それが現実のことなのかどうか触って確かめていたいのだと、どうしたら伝わるのだろうか。
「んー、オレもわかんねーよ?そうなったらどうなるのかなんかわかんねー。わかんねーけど、ちゃんと泉が痛くなったりとかしないように勉強しとくから」
「勉強って……」
みるみる内に泉の顔が紅くなる。これだけ近くにいれば、さすがに夜目でもはっきりわかった。
また、泉が暴れ出すから、浜田はしっかり抱きとめていなくてはいけない。
「だいたい、あっちーんだよ、てめえ、離れろ!やっぱ離れろ!今すぐ離れろ!」
「やだね。人前じゃこんなことできねーんだから少し位補給させろ」
気を抜くと逃げ出そうとするので侮れない。一分前と今とでは反応がまったく違う。
泉を飼い慣らそうというのは、至難の業なのだと浜田は思う。ちっとも大人しく腕の中にいてくれない。
(仕方ねーか。そういうのがいいんだから、オレ)
再びがっちりと抑え込んでささやいてみる。
「野球部の部活だってめいっぱいやってもらいたいってオレはちゃんと思ってっから。でも、オレはお前が好きだって言ったんだぞ?お前は頷いたじゃねーかよ。なら、やっぱ泉に触りたくて仕方ない気持ちもわかれ」
ぴくん、と反応がかえった。
「わか……」
腕の中にしっかりと捕らえて、噛んで含めるように言い聞かせれば、泉はそこそこものわかりがよくなってくれるのかもしれない。
そんな風に浜田は思った。
少し大人しくなった泉の耳にささやく。
「一応オレもビンカンなお年頃だからさ、時々こーやってちゃんと確かめさせてくれねーとキレる」
また少し、泉が腕の中で震えた。
「キレるって浜田……」
「お前は知らねえかもだけどさ、キレると結構オレってこえーのよ?オレんち一人暮らしだから連れ込んで監禁くらいやっぞ?マジで。泉、もうちょっとちゃんと考えて告りの返事した方がよかったんじゃね?」
最後は冗談半分のつもりだった。だから、きっと泉はまた暴れ出すだろうと少し身構える。だが、泉は腕の中で大人しくなったままだった。
「……別に、それは考えるまでもなかったからいーんだよ、返事はあれで」
「へ……」
思いもかけない言葉に、浜田は一瞬呆然となる。しっかりと腕にこめていた力も一瞬とけた。
だが、泉はやっぱり腕の中に収まったままで、どころか、わずかに身体を浜田に預けてきた。
まだ、夜は涼しい。
だが、腕の中のいきものが熱すぎて、一緒に溶けてしまいそうだと浜田は思った。
「返事は、あれでいいんだ。後悔とか間違いとかはない。でもな、オレはこういうのはじめてだからわけわかんね。部活も忙しいしな。だから、いろいろ待たせるけど……恐ぇのはホントだし……それは悪ぃなって思ってんだよ」
淡々と、泉はそう言った。
浜田は肩に手をかけて身を引き離す。そうして、泉と向き合った。
「うん、なんか少しはお前に抱きしめられるとかって慣れた気がすっぞ。ひとつクリアだ」
泉は夜の街灯の下で笑った。
「……クリアって」
「次、どうする?」
泉に問いかけられて、浜田は一瞬戸惑う。
「どうするって……そりゃ、もちろん決まってんじゃね?」
浜田の言葉に泉はまた紅くなる。
だが、今度は暴れはしなかった。
「……だな。あ、言っておくけどな。この前のアレは、別にイヤだったわけじゃねえぞ?そこは誤解すんなよ」
「泉……」
「大体、不慣れなオレにいきなり、アレは……」
「泉、泉、ちょっと黙れ……」
「……」
浜田に言われて泉は少しひるんだ目をした。だが、果敢なケモノは今度は逃げたりはせず、落ちてくる恋人の唇を目を閉じて受け入れることにしたようだった。
相変わらず、泉は冷たい。
冷たいというよりはひどい。
メールを送っても返事がくるのは果てしなく遅い。上に、文章が短すぎて恋人へのまごころがまったく伝わってこない。あるいは、最初からそんなものこめていないのかもしれない。
浜田が心の不安を解消しようとして一度泉に尋ねたら「浜田へのメールでそんなもんこめるのはもったいねえ」ときっぱり返された。
誰にも見つからないようにそっと指をからめあってみたりとか、ほんの少しだけ他の連中より浜田のことをひいきするとか。
そんなことは一切ない。
多分、この先泉はずっとこうだろう。
生活の最優先項目はやっぱり野球だ。
西浦の野球部は泉にとってはひどく居心地がいいらしく、毎日毎日朝早くから夜遅くまで喜びいさんで部活に明け暮れている。
一応、浜田が自分のカレシだとの認識はあるようだが、大体において後回しが基本だ。
いったい何回「部活があるから」と言って誘いを断られたか、もう数える気もしない。
それでも、ここのところの浜田はそれなりに充実した恋愛生活を送っているのだ。
部活あがり、時間があれば泉は待ち合わせの公園にやってくるようになった。
一度、浜田がバイトで携帯をチェックできなかったことがあり、すったもんだしてからは必ず事前に泉からメールが入るようになった。このメールにだけは浜田はなんとしても五分以内に返事をしなくてはいけない。
そうでなければ泉はさっさと諦めて、あっという間に家に帰ってしまう。
いささか理不尽な気もするが、おそらくまだ泉の内側には『そうなること』への恐れがわずかに存在しているのだと、浜田は思う。
こればかりは根気よく解きほぐしていかなくてはいけないのだと理解できる。
とはいえ。
「……っ」
泉がくったりとして浜田に身体を預けてくる。
夜の公園でふたりで抱き合ってキスをする。
ゆっくりと時間をかけて唇をあわせ、互いの唇を割って口内で舌を絡ませあう。
穏やかな、というにはいささか性急で熱のありすぎるキスを夜の隙間でかわすのはもう当たり前になった。
浜田は時おり泉の身体に手を伸ばす。最初こそ非難ごうごうだった泉は、最近ではあまり文句を言わなくなった。
「これも、もうクリア?」
シャツの裾からいれた手を、背中に這わせながら浜田が言えば、キスを終えたばかりの腫れた唇で泉がささやく。
「クリア……じゃねえの?オレ、結構嫌いじゃねーかも。キス」
「じゃあ、次はどうする?」
眉間に唇を寄せて尋ねると、泉は濡れた瞳をあげて浜田を見つめた。
「どうするって……」
とろりとした声が、直接脳髄を刺激するようだ。
ここのところで浜田が知った嬉しい誤算がひとつある。
泉は結構、エロい。
実は割と……いや、かなり、エロい。