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● クロネコ過敏症  ●




 最近、浜田のつきあいが悪い。
 梅原とマックでだらだら無駄話をしている時、梶山はふとそんなことを思いついた。それで話のツマに「浜田はよー」と切り出したら、即効で同意が返ってきた。
 当然最初に浮かぶ推測はひとつしかない。
「あいつ、まさかオンナできたんじゃね?」
 梅原の言葉に、ゆっくり思わせぶりにあご髭を撫でて頷いた。
「……だよな、やっぱ」
 バイトが立て込んでいる可能性は面白くないから即却下だ。
「それってちょっと許せなくね?いや、別にカノジョができんのはいいけどさ、何も言わないってのはなくね?」
「ないな」
 梶山は大きくうなずいた。
 よんどころない事情により、学年は分かれてしまったものの、浜田とは今でも普通につるむし遊びにも行く仲だ。
 気配もそぶりも見せていなかったくせに、ひとりだけさっさと勝ち組入りだなんてどう考えたってずるい。
 いや、ただ今日はヒマで、何かいいネタがあったら即採用したい心境だったのだ。浜田のカノジョなんて、こんな面白いネタはそうそうあるもんじゃない。
 そんなわけで、ただちに呼び出し電話をかけてみる。ところが、コール十回を超えてもまだ出ない。
「……なに?まだ出ねえの?」
 梅原の問いかけに梶山が「あいつ、今日バイトだっけ?」ときき返せば「今日はなかったはずだ」という。
 やっぱり、怪しい。
 そんなわけで梶山は二度、三度とリダイヤルをしてみる。
 五回目のリダイヤルで、ようやく浜田が出た。
「っせーなあ、なんだよカジ?」
 不機嫌な声に梶山はにやりと笑って梅原に合図を送る。
「なあ、お前今日バイトだったっけ?」
「……違う、けど?」
「じゃあさ、今ウメと一緒に街道沿いのマックにいるから、今から来いよ」
「……や、今日は、てか今はちょっと……」
 ややあって返ってきた応えに、梶山のカンがぴくりと反応した。
「なんだよ?今家か?」
「……そうだ、けど」
 にやりと笑って電話の向こうの獲物を追いつめる算段にかかる。
「なんだ?オンナでも連れ込んでんの?」
「ち、違う!オンナなんて連れ込んでね……うわっ!」
 携帯の向こう側で鈍い音がした。浜田のあげた悲鳴に梶山はほくそえんだ。
(今、蹴ったのか?乱暴なオンナだな)
 確実に浜田以外の人間の気配だった。
「なんだ、今の?誰かいんのか?」
「い、いねえよ。誰もいねえって……」
 梶山がにやにやしながら浜田を追いつめているのを見て我慢できなくなったらしい。梅原が横からひょいと携帯を取り上げた。
「じゃあ、今からお前んち行くわ。なんか買ってくし。こっからだったらあと……10分もあればつける」
「だ、だめだって!今すっげー散らかって……」
「てめぇんちが散らかってたって別に気にしねえっての」
 間違いない。
 これは絶対連れ込んでいる。
 梶山は梅原の持つ携帯に耳を押しつけて確信に微笑する。
「じゃあ、今から行くなー」
 問答無用で通話を切る。梅原と顔を見合せてにやりと笑った。考えていることは同じだ。
「間違いないな。浜田にカノジョできたんだ!」
「見てえ!」
 退屈だった時間が急に楽しくなってきた。
 実は浜田が結構モテていたのは知っている。女子ウケのよさは二度目の一年生の教室でも発揮されているらしい。
 梶山のヨミでは、浜田のカノジョは一年。
 最近よく一年生の教室のことが話に出る。いつも一緒にいるのは浜田いわく「うるせー元コウハイ」を含む野球部の連中らしいが、心底楽しそうに語る毎日の中にカノジョの存在があったのならなんとなく頷ける。
 案外弱気が表に出て退いてしまうしまう傾向のある浜田を、むしろ引っ張るくらいの太陽みたいな子ならばいい、と本気で思い、それからそんなことをつい思ってしまう自分の中の浜田への気おくれを、笑った。
(でもまあ、とりあえず見てみてえ)
 そしてできればカノジョのオトモダチの一年女子を紹介してもらえたら最高だ。


「ども」「どーもー。浜田のダチの梅原っす」
 電話を切ってからわずかに八分三〇秒。浜田の家の扉をどんどん叩いたら、あからさまに迷惑そうな表情の浜田が出た。
 その肩越しに姿を見せたのは、一年女子ではなかった。
 黒い髪、印象的な丸い勝ち気な瞳。身長は高いとはいえない。いかにも運動部という感じのする、恐らくは年齢下の男だ。
(カノジョ……じゃ、ねえ……)
 梅原の顔にもありありと残念の表情が見てとれる。
 クラスの女子なら口々に「カワイイ」とか言いそうだが、どこから見ても立派な男だ。
「客いたのか。悪かったな」
 梶山が落胆を隠せずに言うと浜田が困ったように苦笑する。
「お前ら、ホントに来るのかよ。しょーがねえなあ」
 言いながらちらりと背後を振り返った。黒髪の男は、ぺこりと新しい客たちに礼儀正しく頭を下げる。
 やっぱり運動部だ。間違いない。
「ちわっす。浜田、いいぜ。オレもう帰っから」
「泉ぃ……」
 玄関口に出てきた時よりずっと情けなさそうな声で、浜田がそう呼んだ。
(あ、これがイズミか……)
 浜田の話によく出てくる「うるせー元コウハイ」君だ。

「あいつ、すっげー兇暴なんだよな。すぐつっかかってくるし、こっちは元センパイだってのに全然構わずに手を出すわ口は悪いわ、挙句の果てに足まで出んだぜ」

 無礼な後輩のことを話す割にはエラく楽しそうだったから、口では文句を言いながらも結構仲がいいのだと踏んでいる。

「オレはいい、って言ってんのに『浜田はバカだからかわいそうだろ』とかふざけたこと言って勝手に班の一員にして課題の分担とか押しつけてくんだぜ。こっちの意見全然聞かねーの」

 泉は中学の野球部の後輩だと言っていたから、互いに微妙な立ち位置のはずだ。なのに半ば泉が浜田を引っ張るようにして野球部の輪の中に入れているように感じていた。
 それは、結構奇跡的かもしれない。話に聞く限りでは、泉は全く過去の先輩後輩関係について頓着していないらしい。
 普通に仲のいい友人ポジションを確立しているようだ。
(あ、泉なら浜田のカノジョのことなんか知ってっかも)
 梶山のカンは既に『浜田のカノジョ』の存在確率は限りなくゼロに近づいたと告げているのだが、それではせっかく8分30秒かけてきた苦労が報われない。
 それに、浜田のためにいい場所を作ってくれたらしいコウハイ君に、少し興味もあった。
「いやいや、泉、帰らなくていいよ。オレら浜田とは一年の時同じクラスでさ、いっつも泉のことはこいつから聞かされてっから、なんかはじめて会った気がしねえし」
 隣で一緒に出入り口を塞ぐ梅原が梶山の意図を察して加勢に入る。
「そうそ。よかったらこいつが一年の教室でどうしてっか、真実のところを聞かせてくんね?オレら、これでも浜田のこと結構心配してっからさ」
 後半のそれは紛れもない本音だが、今はとにかく空振りに終わりそうな「浜田のカノジョ」の裏をどうにか取りたい一心だ。
「……でも、その……」
 困ったような瞳で泉が浜田を見る。浜田は「頼むよ。泉を困らせないでくれよな」と旧友たちの目から現クラスメートを隠すように立ちはだかった。
(おー、なんか優しいセンパイじゃね?)
 運動部所属ではない梶山には、同級生の『先輩顔』を見るのはなんだかくすぐったい気持ちがする。と、梅原が浜田の隙をついて脇腹のところからひょいと顔を泉に向けた。
「な、浜田の中学時代の話聞かせてくれよ。オレらも代わりに去年の浜田の恥ずかしい話、聞かせてやっから」
「ウメ!」
 慌てた浜田がブロックにかかるが、時既に遅し。
「マジっすか?なんでも聞いて下さい!」
 泉が瞳をきらきらさせながら、浜田を押しのける。
「泉!」
「るせ、浜田」
 家主以外の三人が同時に声をあげる。それで話は決まった。


 泉は典型的な運動部員で実に礼儀正しかった。かといって、恐縮しすぎるわけでもなく適度に先輩に対して冗談も言える。聞けば、四歳年齢上の兄がいるとかで、なるほど小さいころから目上の人間に対してどういう態度をとればいいのか身にしみて知っているという感じだった。
(あー、こりゃ浜田がかわいがるわけだ)
 いや、多分部活の先輩みんなに愛されていたに違いない。
 梶山にしてみれば、ちょっと眩しすぎる感じがする。気遅れすらするが、悪い気持にはならない。それは梅原にしても同じようで、一年の時の浜田の数々の愚行を暴いては泉を笑わせていた。
 座がいい具合に温まってきたところで、梶山は本来の目的を遂行にかかる。
 ポテチの袋を開けて後輩に勧めながら、本題に入った。
「ところでさー、泉?オレらさっきも話してたんだけど浜田最近ちょっと様子がおかしくね?」
 メガネの奥から相手の反応を見る。ことによっては既に浜田が泉に対してかん口令を敷いている可能性がある。印象からしてこの生粋の野球小僧は、閉じると決めたらそうそう簡単に口を割りそうにないから、少しのリアクションも見逃してはいけない。
「……おかしいって言えば、いつもおかしいっすけど」
 大真面目に言う泉に、黙って浜田がげんこを振りおろした。
「痛ってえな!何すんだよ!」
「お前は少し、先輩に対するレイギを思い出した方がいい」
「もう先輩じゃねーっつの」
 ほんのわずかの隙をみつけては、すぐにきーきーやりだす。ほんの30分ほどでこの展開には慣れてしまった。
「浜田、ホントのこと言われたからって騒ぐなよ。てかさー泉、なんかここんとこ、こいつの影にさ……」
 梅原がにやにやしながら、小指を立てる。
 泉の頬が一瞬ひきつるのを、梶山は確かに見た。
「オンナの気配がちらちら見えてんだよねえ」
「……へぇ」
「ウメ!てめぇ、いきなり何言ってんだよ!」
 浜田の顔がかわいそうな程に青ざめている。反対に泉の表情は冷静そのもので、二人の極端な反応の違いを梶山はじっと観察していた。
「なんか最近、こいつ色気づいてきたって思わね?」
「お、おおお、思わないっ!」
「浜田には聞いてねーよ。てかさ、なんかこの前の夕方こいつがかわいい小柄なオンナと歩いてるとこ見たってウワサがあってさ」
 もちろんこれはハッタリだ。もしも泉の中の『浜田のカノジョ』データにひっかかるものがあれば「ああ」という顔をするだろうし、全く違うタイプなら「それは違う」というリアクションが期待できる。
 箸にも棒にも引っかからなければ、面白くないが『浜田のカノジョ』説はあるいは空振りかもしれない。
「へぇ……かわいいオンナ、ね」
 泉の眉間にしわがよる。
「カジ!てめぇ、ハッタリ言ってんじゃねえよ!歩いてねえよ!そんなのとは!」
「あれー?じゃあ、違うタイプのオンナとは歩いてたってことか?」
「歩いてねえっつの!」
 にやにや笑いながら、顔を紅くしたり蒼くしたりしている浜田を見た。
 つと、視線を動かすと、さっきまであれほど表情豊かだった泉の顔がなぜか能面のようになっているのに気がつく。
(あれぇ?)
 泉のこの反応は意外だ。わずかの時間ではあるが話していた感じだとこのテの話題が出たらここぞとばかり、浜田を攻め込んでくれると思っていたのに。
(これは、もしかしてホントにビンゴか?)
 一度は「ないかもしれない」と思った可能性がにわかに頭をもたげてくる。ここは、少し真面目に話を振ってみるのもありかもしれない。
 梶山は作戦を変えた。
「でもさ、マジでここんところお前少し変わったぞ?」
「え……」
 浜田は虚をつかれたように黙り込む。泉は相変わらず能面のままだ。
「なんてゆーか、柔らかくなったっつーか、時々すげーいい笑顔すんのよ。こう、守りたいモンができたって感じ?」
 浜田が一瞬、頬を染める。
「そ、そうかな……」
(あ、やっぱり……)
 梶山が陥落寸前の浜田をさらに追いつめにかかろうとした途端、

 ごんっ

「……・っ!」
 浜田の隣で能面になっていた泉がいきなりぐーの形に握った拳を浜田の頭に振りおろした。
 浜田は全くのノーガードだ。相当強烈な痛みだったに違いない。
 声もなく頭を抱えて畳の上にごろごろ身体をまるめて転がる。
「……い、泉?」
 あまりにも容赦のないげんこに梶山はあっけにとられてしまう。震える声で梅原に名前を呼ばれても、泉はらしくもなく素知らぬふりだ。
 無言でのたうちまわった浜田はようやく起き上がると、涙目のままで泉を見た。元後輩はつんとしてそっぽを向いている。
「か、変わったっていうなら、さ!オレ、最近……ネコ!そう、ネコがウチに来るようになったんだよ!だからだ、きっと!」
 浜田が決死の形相で言う。
「ネコぉ?」
 部屋の中のどこを見ても、水もなければエサも置いていない。ネコ飼いの痕跡はない。
「お前、何を口から出まかせ言って……」
 さすがに言い訳にもほどがあると呆れてしまう。
「ホントだって!ネコ!小さくて……そうそう、黒ネコ!」
 浜田の必死の形相に、梅原がけらけら笑いながら「へー、どんなネコだって?」とけしかける。
「か、かわいいんだ。たまにしか、この部屋には来てくんねえけど、でも、来てくれるとすっげーうれしくて」
 言いながら真っ赤になっている。
(浜田……もしかしたらそうじゃないかと思ってはいたけどな。お前は、バカだ。バレバレだっつの)
 梶山は呆れて声も出ない。代わりにツッコミをいれてくれる梅原はいい友達だ、としみじみ思った。
「浜田ちょっとロコツじゃねーの?オンナをネコに例えるなんて、なんかインビよ」
「違う!絶対、絶対に!オンナじゃねーよ!ネコなんだ!」
 もう、必死だ。
 あんまり必死なので、梶山はちょっと仏心を抱いてしまう。
「あー、はいはい。じゃあそのかわいいネコについて語ってくれ」
 泉が少し身じろぎする。
 さっきまでよくしゃべっていたのに、急に無口だ。案外、気分屋なのかもしれないな、と梶山は泉に対する見解を改める。
 浜田はぐっと詰まるとバレバレの紅い顔のままでたまにしか部屋に来てくれない『ネコ』とやらの説明をしはじめた。
「割と、つーか結構気が強くてさ。触ろうとして手を伸ばすとすぐ怒る」
 梅原は手みやげのポテチを半分口に入れかけたまま固まっている。
「いや、怒るっつーか、いやがるんだよなあ。でもそこで勇気を出して抱きよせんだよ。腕の中にすっぽり包んでやってもしばらくは暴れてんだけど、その内おとなしくなるからさ。そうしたらゆっくり撫でてやるんだ。そうすっと、なんか気持ちよさそうに身体を預けてくる。それがなんかすげー嬉しくてさ」
(ああ、なんかオレ墓穴掘ったかも……)
 それを聞きたかったはずなのに、若干の後悔が梶山を襲う。
「女の子と……じゃなくて、メスと違って触り心地はそんな柔らかいとかいうのはないけど、なんかこー、滑らかな感触っつの?触ってるだけで気持ちくてさ」
「……っ!」
 疑われていると知っているからか、なんだかわざとらしいようなそれでいてやけにリアルな表現も混じるフェイクを入れたな、と思った瞬間泉の鉄拳が光速で浜田の脇腹にさく裂した。
「誰もそんな話、聞きたくねーっつの!」
 泉が真っ赤な顔をして息を荒げる。
(エラい動揺してんねー)
 梶山は泉を見ながら(やっぱ、オンナできたか、浜田)と断を下した。
 相手は泉の知っている人間で、元先輩で同級生の浜田と自分のよく知る人間との色っぽい話にいたたまれなくなったとみた。
(まあ、オレもなんかちょっとあてられた感じすっけど。もしかして浜田のカノジョって泉の好きだったコだったりして)
 そんな想像がふと頭をよぎった。もしもビンゴなら泉がかわいそうだと、そう思った。
「泉、痛ぇよ!」
 強烈な一撃を食らった浜田はぶつぶつ文句を言いながら元後輩を睨む。
 すると、一瞬の内に表情が引き締まり、それからすぐに情けなさの極みにまで振れた。
「るせえよ、浜田。あんまヘンなこと言ってんじゃねえよ。てか、オレもう帰るわ、マジで」
「泉っ!」
 さっさと立ち上がり、取り残された二人の先輩に「すみません、オレ先に帰りますんで」とぺこりと頭を下げる。
 まだ顔が真っ赤で、心なしか大きな瞳が潤んでいるようにさえ見えて、梶山は少し困った。
 さっき浜田はそれを至近距離から直撃されたはずだ。
 浜田は困りはてた顔で玄関口に泉を追う。
「うるさい、触んな」
「だから、悪かったって……」
「当分来ねえよ、お前んとこなんて」
「そんなこと言うなよ、泉ぃ……」
「うぜぇ」
 向こうから聞こえてくる泉のキレっぷりに呆然としてしまった。
(なんか、これだけ聞いてっと、痴話げんかみて)
 そんなことをふと考えてしまい、梶山は苦笑した。
(そういや、泉ってなんかネコっぽくね?)
 小柄でしなやかな身体つきは野球部らしからぬ感じがする。きっと足も速いんだろうな、という顔をしていた。
 黒々とした髪、気の強そうな浜田の思い通りには一切ならない、そんな……

「……え?」

「どうしたんだ?カジ?」
 梅原がのんびりとした声で尋ねてくる。思ったより大きな声を出していたらしい。
 梶山は一瞬自分の中にもたげた予感に硬直している。
「なんかアレだよなー。泉みたいないかにも運動部!って感じのヤツが目上の人間を前にしていきなりキレんのってフシギ。よっぽど浜田のエロ話がやだったのかな?悪ぃことしたな」
 ちょっとしゅんとしているのは、梅原もあの涙目を見たからに違いない。梶山は胸の内にもたげてきているその可能性になんだか心臓が痛くなってきている。
 浜田はまだ必死で玄関先で泉を引き留めようとしているようで話し声が続いている。
 梅原が苦笑した。
「あーあ、元コウハイ相手になんであんな必死かね。別に泉もキレてはいたけど永遠に絶交!って感じじゃなかったから、今日は帰しておいて明日頭が冷えたところで謝りいれた方がいいんじゃね?」
「ああ……だよな?」
(もしもダチならそうすっけどさ。ウメ、お前ならどうよ?カノジョ怒らせたらそんなヨユウかませっか?)
 あいまいな相鎚の後に続く言葉を梶山は飲み込む。自然に物騒な単語が出てきたところがもうコワくて仕方がない。
 とりあえず落ち着こうとして、卓上のコーラを一気飲みする。炭酸の泡がぱちぱちと喉を叩くが、すっきりとはしてくれない。
 浜田の交渉はあえなく失敗に終わったようだった。
 明らかに意気消沈した様子でひとり戻ってくる。
「泉帰ったのか?」
「ああ……すっげー怒ってた。ああ、けど怒ってたのはオレに対してであってカジやウメに対してじゃねーからそこんとこ、誤解しないでほしいって。空気壊してすまんって謝ってた」
 よくできた一年だ。浜田の後輩にしておくにはもったいない。いや、もう後輩ではないが。
 思わず梅原とふたり、いずまいを正して「や、そんないいけど」と頭をかいた。
 浜田はすとん、と腰を落とすとため息をつく。
「怒ると長いんだよなあ、あいつ」
(あー、なんか浜田明らかに落ちてね?)
 先ほど浮かんだギワクが、その態度に裏打ちされていくようで恐ろしい。
「気になるんなら、追っかけてけば?留守番しててやっから」
 あまりに浜田が落ちているのを見かねて梅原がそう言えば、友人は力なく笑った。
「いや、今追っかけるのは多分逆効果だから」
 言ってため息をつく浜田に、梅原の表情が微妙にひくつく。
 どうも、梅原も梶山の中にあるのと同じギワクにたどり着いてしまったようだった。
 その核心に近づくことは地雷地帯にスライディングで突っ込むようなものだ。コワすぎる。だが、それでも仲間が同じところにたどりついたことを知れば、未踏の地に足を踏み入れる勇気もわく。
 気がついたら、梶山はその言葉を口にしていた。

「なんかさ、思ったけど。泉って……ネコっぽくね?」

「……」
 梅原がものすごい形相で梶山を見た。多分一生の間にあんな驚愕の表情を見ることはそうはないかもしれない、と梶山は心から思ったほどだ。
「……そっかな?そうかもなあ」
 なのに、浜田は穏やかに笑ってそれを肯定したのだ。
(は、ハズした?)
 さっきからのあの流れでずばり泉イコールネコで結びつけたら、絶対馬脚を現すと思ったのだが、案外浜田はけろりとしている。
 と。

 にゃあ

 窓の外でこの上もなく平和な鳴き声が聞こえた。
「あ。来た来た。やった。お前らついてっぞ」
 浜田が途端に相好を崩して二階の窓を開ける。するりと黒いしなやかな身体が部屋の中に滑り込んでくる。
「ネコ?」「ネコだ」
 金色にも緑にも見える瞳と漆黒の毛並み。まだ小さな、子ネコからようやく大人になりかけのように見える、それは確かに黒ネコだった。
 ちらりと見知らぬ客たちを見ると、当たり前のように浜田の腕に収まる。
「おー、今日はホントにラッキーだ……っ!」
 すっかりメルトダウンしただらしない顔で笑いながら、しなやかな身体を撫でてやろうとすると腕の中でじたばたもがいて、浜田の手の甲をさっとひっかいて逃げようとする。
「暴れ、てる……」
 黒ネコの逆襲にもめげずに、浜田が根気よく身体を撫でてやるとその内大人しくなってごろごろと喉を鳴らし始めた。
「あ、大人しくなった」
 先ほど浜田の供述通りの、それはオンナではない、ついでに言えばメスですらない、ネコ、だった。
 急に疲労感が押し寄せてくる。
(バカじゃねえのか?オレは)
 浜田が泉を抱く幻想まで見えていた梶山は、あまりのオチに愕然とした。
「あ……そ……」
「ホントに、ネコだったのかよ」
「だから言っただろー?ネコだって。ほらほら、オスだぞこいつ。コウって言うんだ。かわいいだろう。お前は世界一だよなあ」
 人気女優の名前をつけられたネコは、確かにイメージだが。
(ああいうの、浜田の好みか?てか、オスかこいつは)
 なんだかばかばかしさばかりがぐるぐると渦を巻く。
(じゃあさっきのはなんだったんだよ?)
 泉の涙目とか、いちいち当てはまった気がした符号だとか。全て空振りかと思うと切ない。
 コウは散々浜田に撫でてもらうと満足したのか、さっさと窓の外に出て行ってしまう。
 浜田は窓のところに寄って、名残惜しそうにネコの行方を眼で追っていた。
(ばかばかしい)
 梶山は己の妄想にけりをつけると、せっかく楽しそうな予感がしていたのにそれを台無しにした浜田にいっそむかついていた。
(オレのどきどきを返せ、バカ浜田)
 と、未練たらしく窓の外を見ていた浜田がぴくりと身じろぎした。
「悪ぃ、カジ、ウメ、オレちょっと出てくっから。少し留守番しててくんね?」
「へ?」「あ。いいけど。どうした、急に?」
 振り返った浜田はひどく真剣なまなざしをしている。
「ん、ちょっとな。すぐ戻るから」
 言ってスニーカーをはくのもそこそこに部屋を飛び出していく。
「なんだ、あいつ?」
「どうしたんだろうな?」
 なんとなく、窓外にその答えがある気がして、梶山と梅原は二人して浜田のいた場所に寄った。
 アパートの二階の窓からは、ごく普通の街並みが広がっている。
 眼下に市道。人通りはまばらで住宅が連なっている。少し先には庭に大きな木のある豪邸があった。
 浜田がその道を走っていくのを眼で追った。
「あ」「あ」
 梶山と梅原は同時に、浜田が走っていく先にいるものを見つけて顔を見合わせる。
 先ほどのネコがいた。正確には高校生くらいの少年に抱かれて大人しくしていた。
……それは、黒い髪に大きな瞳のいかにも運動部員といった印象の小柄な、梶山も梅原も知っている人間だった。
 浜田はネコと泉に追いつくと、遠くの窓からでもはっきりわかるほど嬉しそうに笑った。
 泉は。
 泉も、怒ったように睨んでいたが、じきにびっくりする位綺麗に笑った。そうして浜田の腹に遠目にも今日一番だとわかるパンチを一回キメると、さっさと踵をかえして去っていってしまった。
 泉の名前が『コウスケ』だということを梶山たちが知ったのは、それからすぐ後のことである。
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