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● 誕生日の夜  ●




 走る。
 すっかり暮れた冬の夜道を泉はさっきからただ、走っている。
 小脇には薄い包みを抱えていた。
 財布をポケットに突っ込んで「ランニングしてくる」と言ってジャージで出てきた。
 目を付けていたのは街道沿いのスポーツショップに売っていた、スポーツブランドのロゴ入りタオルだ。色は紺と赤の二種類で、考え抜いて紺色にした。
 明るい色の髪の頭に巻くのなら、深い青の色が映える気がしたのだ。
 それに、包みのこの薄さは結構重要なポイントだ。
 泉は走る。
 背中を追いかけるようにして夜の色が青から紺に紺から黒に変わっていく。
 息があがる。
 最近はランニングのペースを意識して少しアップペースにするようにしている。オーバーワークはよくないが、自分の地力を少しずつでもあげていきたい。
「行きたい」と自ら決めた場所はあまりにも遠いところにある。
 だが今この瞬間に行きたいのは、ここから歩いていっても二十分もあればことたりる場所だ。
 だから、本当はこんなに急いで行かなくてもいい。今日でなくては意味がないけれども、今日が終わるまでにはまだ大分ある。
 それでも歩いてなどいられなかった。少しペースをスローダウンしようとしても、自然に走り出してしまう。
 気持ちが波立つ。浮き浮きしている。
(……浜田、いるかな?)
 泉は走りはじめてから何度目か、今日の計画の唯一の不安材料のことを思う。
 いなくてもおかしくはない。年末を迎えた街では浜田を働き手として必要としている場所はたくさんあるだろうし、もしかしたら『カレシ』として望む女子だっているかもしれない。
 もちろん自分の家なのだから浜田が部屋にいるのは全然不思議じゃない。ただし、一人きりとは限らない。
(オンナ、連れ込んでたりして……)
 その可能性はないとは言えない。浜田をカレシにと望む女子としても、手軽に二人きりになれる場所として浜田の部屋は悪くないチョイスに違いない。
 第一、散らかすほどのモノがないというのが浜田の部屋のいいところだ。いつでも女の子を呼べる環境ではないか。
 泉は万が一、部屋で女の子を連れ込んでいた浜田と出くわした場合の最悪の状況を考えて、ぶるりと身震いする。
 一瞬、携帯で「今から行くけど平気か?」と連絡をとろうかと弱気になった。
(ダメダメダメ。そしたら驚かすことできねーし)
 びっくりした顔を見たいから、わざわざ練習が終わってから浜田『なんか』のために誕生日プレゼントを買って、夜道を走って訪ねていくのだ。
 連絡なんてしたら、計画は台無しだ。
(カジ先輩とかウメ先輩は、いてもおかしくないかな……)
 彼女がいない、という前提でだが、友達の孤独な誕生日をとりあえず盛り上げてやろうという優しさを、あの二人なら持っているに違いない。友だち同士で盛り上がっているところに泉がのこのこ訪ねていくのも、なんだか決まりが悪い。
(大体それって、すごく、浜田のこと想ってるヤツっぽく先輩たちの目に映ったりしねえ?)
 それは誤解だ。いや、そうなのかもしれないが、そう思われるのはちょっとイヤだ。
(やっぱ、聞いてみっか? 浜田じゃなくて先輩たちに連絡する、とかして……)
 一瞬、ジャージのポケットに入っている携帯の重みに気がいく。
(……だめだな。だめだ。あの先輩たち、いい人だけど絶対面白がってソッコーで浜田に密告る。絶対だ。いい人たちだけど密告る。オレが浜田んところに行こうとしてるって絶対に密告するに決まってる)
 頭の中に浮かんだ、二人の良き先輩の姿を追い払った。

(先に密告られて、浜田に待ちかまえられてるとか、マジで勘弁……)

 顔が赤くなる。
 それくらいだったら、ダメ元で奇襲をかけて玉砕した方がいい。プレゼントを押しつけてそのまま走って帰れば絶対に追いつかれない自信がある。
(よし、そっちだな)
 泉は決意を新たにしてまたペースを少しあげた。
(あいつ、ちょっとは期待してんのかな?)
 あいにくと、日曜日だった。
 学校があればさりげなく探りを入れられるのに、今日に限って休みなのは厳しい。
 こっちがこんなにわくわくしているのに、いざプレゼントをあげた時の反応が薄かったら「少しへこむな」と、泉は思った。
 プレゼントへの期待を一ミリもしていない結果、バイトに行っている可能性も高い。
 もしも不在ならポストにプレゼントを突っ込んでくる気でいた。
 だから、わざわざ厚みのないものを贈りものとしてチョイスしているのだ。
 結構考えているのだ、これでも。
 そこまで思ってはっとした。
(あ……いなかった時になんかメモはさんでおかないとオレからだってわかんねーじゃん。書くもの持ってきてねえし)
 一瞬混乱する。
 浜田の家は、その角を曲がればもうすぐだ。とりあえず様子を見て、いないようなら一度家に引き返すことを考える。
(灯り、ついてろよ。いろよ、ばか浜田)
 そう思って角を曲がる。浜田の部屋は二階の角部屋だ。
「……っ! っし!」
 その場で軽く拳を握りしめた。
 灯りは……点いていた。
(これで、灯りを点けっぱなしで外出してしまいました、ってオチだったら笑えねー)
 その場合は明日、学校で思い切り浜田のことを責めてやろうと心に誓った。
 階段下をちらりと覗けば、浜田の自転車が置いてある。これでまず間違いなく浜田は部屋にいるだろう、と泉は思った。
 少し、元気が出る。
(だよな。浜田のために来たのにいないとかねえよな)
 一気にわくわくしてきた。
 もう頭の中には、オンナを連れ込んでいる浜田良郎とか友だちがたくさん上がり込んでいる部屋とかいった可能性は消えてなくなっている。
 それはなんだか面白くない予想なので、あえて無意識にはずしてしまった。
 鉄の階段をかけあがると、派手な音がする。
 廊下を走っていって、浜田の家のドアを泉は叩いた。
「浜田!」
 すぐに中で返事がして、ドアが開く。
 顔を見せた瞬間の浜田の驚いた顔に、泉は自分が勝ったことを知った。

「よ」

「……泉? どうしたんだ?」
「びっくりしたか?」
「したよ。なんだよ、連絡もしないでいきなり」
 泉はつい顔がほころぶのがわかった。ちらりと、部屋の中を肩越しに覗く。
「誰か、いるか?」
「いねーよ?」
 泉は自然に笑みが濃くなる。
「あのさ、お前にいーもん持ってきてやった。さて、なんでしょうか?」
「お前ねえ……いいからあがれ。外寒いだろ」
 浜田は笑って泉を中に招き入れる。おでんの香りがした。
 ますます浮き浮きしてくる。
「あ、おでんだ。オレも食う」
「食うってお前……これ、オレの三日分のメシになる予定なんだけど」
「毎日同じモン食ってたら飽きるだろ。明日は別のメニューにすればいいよ」
「お前、二日分のタネ食う気満々だろ」
 浜田は「まあ、いいけどさ」と笑っている。泉はにこにこしながら、浜田の家のこたつの特等席に座った。
 すなわち、ベッド前の席だ。そこに座ると、背中を預けることができて楽なのだ。
「でさ、浜田!」
 泉はプレゼントを背中に隠したままでまた言った。
「さあ、オレが持ってきたものはなんでしょうか?」
 浜田は笑って向かいに座る。
「じゃあ……オレへの誕プレ?」
「ぶー、ハズレ」
 泉はにこにこしながらそう言った。向かいに座っている浜田の顔が曇る。
「え? 違うのか? マジ?」
「いや、違わねえけど、ハズレ」
 にやにやしながらそう言うと、浜田がつられて笑ってくれた。
「なんだそりゃ」
「一回で当たるとか、つまんねーだろ。だから、ハズレにしとくんだよ」
「泉は意味わかんねーな」
 言って浜田は顎をこたつの天版に預ける。
「ありがとな。来てくれて」
 泉はさっきから少し頬が熱いと思っている。きっとそれは、寒い外から温かい部屋の中に入ったばかりに違いない。
 そしてそれは徐々に熱さが増していく。
 そう思った。
 浜田がそんな泉を見てにやりと笑う。
「まあまあ、遠慮しないでいいから。オレの誕生日を祝いなさい、祝いなさい」
 泉もつられてニヤリと笑う。
「かわいそーだからそうしてやるよ。んじゃまずはプレゼントの贈呈でーす。拍手」
「おまえ、面倒くさい。ホントにめんどくさい」
「うるせーな。文句言うな。ほら、ありがたくもらいなさい。そしたらおでんな。オレ腹減ってんだ」
「へいへい」
 浜田は両手を差し出した。プレゼントの包みを渡す瞬間、指が触れて少しばかり尋常でない量の電気がびりびりと泉の中に走ったことは、ちょっと浜田には言えない事実だ。
 大きな鍋から溢れんばかりの量のおでんは、やっぱりその夜の内に空になった。
 浜田は文句を言わず、泉はずっと笑っていた。

 それが、今年の浜田の誕生日の夜の話だ。
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