●● GIFT FOR you ●●
「ねえ、健二さん?」
話しかけると年齢上のその人は穏やかな声で「なんだい? 佳主馬くん」と返事をしてくれた。ついさっきまで、世界やら一族の命やらと、やたら重いものを救うために戦っていたとは思えないほど柔らかい。
(健二さんはかっこいいんだ)
取り乱して泣いて、怒って、子どもみたいだった自分とは比べものにならないと佳主馬は思う。
夏の暑いさ中のことだ。
半壊してしまった上田の田舎の屋敷の後片付けを、一族総出で行っている。
人工衛星が目と鼻の先に落っこちるなんて空前絶後の事件に驚いたご近所のみなさんが入れ替わり立ち替わりやってきては、支援を申し出たりお見舞いを持ってきてくれるのを、当主なりたての万里子以下女性陣が対応しているのが見えた。
男たちは強制的に東の棟の片づけにまわされている。
血縁でもなんでもない健二は、文句を言うでもなくにこにこしながら手伝ってくれていた。
佳主馬はさりげなく健二に張り付いている。
(健二さんは、かっこいい)
佳主馬の中ではすっかりそう決まっていた。かっこいい人の傍にはいたいに決まってる。
「最初っからちょっと気になってたんだけどさ。健二さんのアバター……ラブマシーンに乗っ取られちゃった方。あの耳ってレアでしょ?」
「ああ……よくわかったね。でもさ、レアって言っても懸賞応募でたまたまゲットしたやつだから、そんな大したことないんだよね」
健二が元々使っていた人型のアバターにはねずみのような丸い耳がついていた。
OZで使用するアバターは、チェンジや着せかえなどはユーザーの自由にできる。無料で使えるアバターパーツはもちろん数多く用意されているが、それ以外にも有料のものや企業などの限定ものも数多い。
通念として、基本パーツの構成にレアアイテムをさりげなく取り入れていたり、一から完全に自分の手で作り上げた完全オリジナルのアバターに対しては周囲の評価が高くなるようになっている。
元の健二のアバターは、前者の『レアアイテムさりげなく組み合わせてみました』というパターンの方だ。
「あれ、欲しかったやつだ」
健二は佳主馬のつぶやきに苦笑した。
「うさぎにねずみの耳つけたら変じゃない?」
「変かな?」
「うーん、ちょっと……想像つかない。大体さ……」
健二は汗をぬぐってつけ足した。
「耳、4つもどうやってつけんの?」
まだ、うさぎの戦士の頭上にナンバー1の称号が輝く少し前。
今はただの「カズマ」でしかないカズマはOMCシミュレーションモードを1タームこなしてたところだった。
「弱っ……」
相手はOZのAIだ。モニタ前でカズマの実体である池沢佳主馬は、親指を噛んで舌うちする。
今日の相手も物足りない。画面の中の
YOU WIN!
の文字を見ても、なんの感動もない。
本日2つめの勝利メダルがカズマの胸に輝いた。
「すげー、たるい。あとこれ、何回やんなきゃいけないんだよ」
頬を膨らませてモニタの右上でカウントダウンを続ける時計を見た。
「もう2勝しちゃったし。人の見ててもつまんないしなあ」
もう事務局に今日の勝利数を登録してさっさとログアウトしてしまおうかと佳主馬は考えながら、傍らに置いておいたペットボトルのジュースをあおる。
OMCはOZ内の格闘技トーナメントで、アカウントを持っていれば誰でも参加可能な疑似アクションゲームである。
戦うのは自分の分身であるアバターだ。
持って生まれた体格や性別、体力。現在の実年齢も立場も身分も関係なく純粋に戦闘能力と戦略だけが勝敗を決める。
実にシンプルなゲームだ。
だから人々が熱狂する。
その規模は文字通り世界規模。
頂点に立つ者は常に注目を浴び、OZに参加している企業たちがこぞってスポンサードを申し込む。現実のスポーツ選手たちと変わらない栄誉を得ることができる。
だが、カズマにとってそれは今のところどうでもいいことだった。
「あー、早く本戦参加したい」
すらりとした眼光鋭いうさぎを適当に移動させながら佳主馬はつぶやく。
今はただ、OMCのかったるい規定に従って一日も早く、シミュレーションモードから本戦バトルモードに参加することが一番の望みだ。
教育的配慮の見地から、OMCは満15歳未満のユーザーについては厳格な参加ルールを定めていた。
満15歳未満のユーザーについてはOMC参加登録時より、以降の条件を満たすまでは仮登録状態とする。
仮登録のユーザーには以下の制限が設けられる。
1)仮登録状態のユーザー(以降、仮ユーザーと表記)のOMC本戦参加はこれを認めない。
2)仮ユーザーは、シミュレーションモードでの戦闘にて、既定の勝利数を記録した後に本登録ユーザーに移行する。
3)本登録に必要な勝利数は、1日2勝を限度として20勝とする。
なお、この場合の1日とは、OMC認定のワールドクロックでの24時間をもって1日とする。
4)仮ユーザーのOMCログイン可能時間は1日1時間とする。
要するに「ゲームのしすぎはだめですよ」「OMCのルールをちゃんと覚えてからいらっしゃい」ということである。
ひいては打たれ弱いと評判の現代の子どもたちが、いきなりOMCのシビアな戦闘でこてんぱんにやられて心が折れないようにとの、いささか『余計なお世話』的な安全装置のようなものでもあるらしい。
佳主馬には何もかもがばかばかしい。
だが、OZは実年齢をごまかせるようなやわなシステムではない。それに、尊敬してやまない師匠も「ルールは守れ」と言うのだから仕方ない。
佳主馬は地道にOMCの定める本登録までの勝利数を重ねていっているところだった。
OMCの滞在可能時間はまだ50分も残っているが、今日はもうこれ以上勝っても本登録に必要な勝利数にはカウントしてもらえない。最初の3日でAI相手のバトルには飽きてしまった。
戦って勝つのは好きだが、勝っても楽しくなければ意味はない。
「早くもっと強い相手と戦いたいよなあ」
佳主馬の願いはそれだけで、この「勝ってもそんなにうれしくない」という状態から早く抜け出したくて仕方がなかった。
すぐ傍でアバターとAIが戦闘状態に入ったようだ。
たまには他のユーザーの戦い方を見ておこうかと、気まぐれにカズマを向かわせると、小さな人型のアバターが四足のトナカイもどきのAIと戦い始めたところだった。
カズマがモニターしているのに反応して、人型アバターの頭上には『ケンジ』と名前が表示される。
たまご型の頭に、大きな縦長の目、緑と白のラガーシャツを着ていた。
(なんてゆーか、地味……)
多分ユーザー本人に似せて作ったのだろうが、全体的に華がない感じがした。
(もっとかっこよく作ればいいのに)
アバター自体はいくらでも着せ替え可能だし、人型だけでなくカズマのようにうさぎや犬やネコ、リスなどの動物型もあれば師匠のようなイカ型などバリエーションは様々だ。
OMCでぶいぶい言わせたいタイプの人間は比較的外見で相手を威圧するような造形を選択したがる傾向にあるから、ケンジというこのユーザーはそれほどOMCでどうかしたいわけではなくなんとなく参加しているタイプだろう。
佳主馬はOMC登録の時に今のうさぎ型にチェンジしたのだが、かわいいイメージの動物から大分かけ離れたかっこいいのができたと、自負している。
(絶対に、わかりやすくごついのよりもカズマの方がかっこいい)
それは信念だ。
一方のケンジは、どうなのだろうか。
アバターはユーザーのこだわりが一番端的に現れるところだ。
いつもと違って割とちゃんとバトルを観戦している自分を不思議に思いながらも、観察を続ける。
年齢はアバターからでは全くわからない。カズマは義務でシミュレーションモードのエリアにいるが、もちろん本登録のユーザーでもここで練習している者は多い。
開始早々、ケンジはAIに圧倒されていて抗戦一方だった。
「そこ! ガードして! あーもう、隙だらけ! どこからでも攻撃できるじゃん。あー負けた……」
トナカイAIとは戦ったことはないが、見ている限りではカズマの敵ではないことはよくわかった。
一応当たり判定は1つ、2つとれてはいたものの、ケンジはあっという間に敗者となってしまった。
(てゆーか……弱っ)
普段は他のユーザーのバトルなど見る気もしないのに、なんとなくオーディエンスに加わってしまった。しかも、ケンジは普通に『見る価値なし』レベルなのはよくわかる。
照れたように立ち上がったケンジは、あまり残念がっている様子もない。
(負けてもいいんだ……)
そこはちょっと佳主馬と意見が異なる。
ケンジはバトルが終わっても居残っていたカズマを見つけたらしく「こんにちは」とあいさつしてきた。
礼は武道の基本だ。
カズマも「こんにちは」とあいさつを返す。それから気がついて「残念でしたね」と付け加えた。
今のバトルを観ていたことを相手は知っているに違いないから、そう言い添えた。
「いや、一方的にやられちゃったから残念でもないんですけどね」
ケンジの胸にはWINとLOSEそれぞれ1つずつの星がついている。
(あ、1勝はしてるんだ)
正直、少し驚いた。
「お兄さんは、攻撃の時は攻撃に集中しすぎてて防御してないし、防御の時は防御しかしてないから、防御の時も攻撃のチャンス狙うとかって心がけるといいんじゃないかな」
「わかってるんだけどなかなかね」
ケンジは頭をかいた。
「カズマ……さんは、今日はもう2勝もしてるんですね。すごいなあ」
「ありがとう。でも、相手のAI弱かったから」
ケンジはカズマが年齢上の可能性を考慮して、さんづけしてくる。
(あ、ちゃんとした人だ)
カズマは少しこそばゆい。
「シミュレーション2戦してるんなら、懸賞応募できますね。何狙ってるんですか?」
「懸賞……って?」
相手から水を向けられた話にカズマは首を傾げる。ケンジは「ああ、知らなかったんですね」と納得すると、カズマにウィンドウを一つ開いて見せてくれた。
OMCが現在行っている懸賞応募の告知である。
利用率向上と、OMCスポンサーの宣伝を兼ねたそれは常にいくつも展開している。
シミュレーションエリアでの戦闘2戦で応募1口という、かなり緩い応募条件のそれは、数日前からはじまっているもので、ケンジが狙っているのは某企業協賛のアバターのレアパーツらしかった。
(割とかわいい系? ちょっと、いらない……)
正直、佳主馬が心そそられるものはリストにはない。
とはいえ、シミュレーションモードでの対戦で、勝敗関係なく2戦すればいいのだから年齢制限はないに等しい。ハードルの低い懸賞の競争率は常にかなり高いのが常識だった。
「お兄さんは、何狙ってんの?」
「え……これ、かな?」
ケンジが指さしたのは、1等賞の丸いねずみの耳だった。
「これ、お兄さんの頭につけるんだ……」
「だめ、かな?」
カズマは「キモい」と一瞬思ってしまったことをおくびにも出さずに「いい、んじゃないかな? アバターにレアアイテムをひとつ使うって流行みたいだし」と無難な言葉をかけてみた。
ケンジは「だよね!」と明るい表情になる。
(……やった!)
佳主馬は即座にそう思った。
なんだかひとつ大人になった気がした。そう考えれば、このかったるいOMC本戦登録のためのシミュレーションも実は有意義なものかもしれないとさえ、思ってしまう。
「僕も応募してみようかな……これ、この耳にする。1等のやつ」
わざと同じアイテムを指定すると、するとケンジは少しフクザツそうな顔をした。
「ライバルだね。なんか、カズマさんはこういう勝負運全般に強そうな気がするから怖いなあ」
「でも、僕はうさぎだから耳は4つあったら変だし。当たったらケンジさんにあげるよ」
ケンジは少し頬を染めたようだ。
「だって、そんなの悪いよ」
見ず知らずのアバターにそんな提案をされて戸惑っているようだ。
(なんか、いい……)
カズマは思った。
佳主馬もそう思った。
「あそこには魑魅魍魎がひしめいている」と、前の正月に上田の田舎に帰った時小父たちに散々OMCの華やかさとは裏腹の恐ろしさ聞かされていただけに、ケンジの反応は何もかもが好ましかった。
「ホントだよ。パーツゲットできたら、お兄さんにあげる。だってほら……僕はもう耳、あるから」
長いうさぎの耳を示すと、ケンジは笑ってくれた。
「確かに、そんなに主張の激しい耳にこれつけたら、頭が常にバトル状態になっちゃうかも」
ケンジは楽しそうにそう言った。
「カズマさんは欲しいもの、リストの中にないんだね? じゃあ、もしゲットできたとして。また偶然会えたらください。よろしくお願いします」
ケンジはぺこりと頭を下げた。
「うん……」
カズマはその場で事務局に今日の戦績を登録し、一緒に懸賞への応募を済ませた。
「じゃ、当たった時にメールしますんで。メアド交換しましょう」
おずおずとそう持ちかけてみる。なのに「それじゃ、偶然じゃなくなっちゃうし」とケンジは笑った。
「でも、ばったりもう一度会うって、なかなかないですよ?」
カズマが少しばかり傷ついた心でそう言うと、ケンジは笑った。
「カンなんだけど。カズマさんにはもう一度会える気がす……」
途端。
いきなり画面が強制終了モードになる。
「あ……」
ケンジとの会話が楽しくて、制限時間が近づいていたことに気付かなかったのだ。
佳主馬はまず一時間もOMCにいることがないため、制限時間のアラートを設定していなかったのが災いした。
LOG OUTしました
画面には無情な文字が並んでいる。
「ああ……失敗した」
佳主馬はがっくりとうなだれる。
カズマはOMCからはじき出されて、OZのグランドモールの真ん中に立っていた。
多分、二度とケンジに会うことはないだろう。
もしもレアアイテムをゲットしたとしても、渡す機会は訪れない。
ケンジはカズマとのメアドの交換に応じようとはしなかった。
相手が損するようなことは何もなかったはずなのに。
カズマはOZを見上げる。
たくさんのアバターが飛び交い、現実とは別の世界を泳いでいる。
「……世の中にはああいう人もいるのか。なんか勉強になった」
カズマはそう独り言をつぶやいた。
「でもなんか、面白かった……」
佳主馬はモニタの前でそう声に出して言ってみた。
ふと見ると、カズマがモニタの中で笑っている。
「……?」
佳主馬は不思議に思った。
カズマが笑っているのを見るのははじめてだ。
「ああ、そっか……笑ってるのは僕だ」
ケンジに会うことはもう二度とないかもしれないが、また会えたらいいなと思う。
顔も知らない人だが、本当に佳主馬は心からそう思った。
結局、レアアイテムの応募結果は
厳正なる抽選の結果、誠に申し訳ありませんが落選となりましたのでお知らせいたします
という、ちっとも申し訳ながっていないメールが届いた。
「いいよ。あれ、佳主馬くんにあげる」
健二はキング・カズマの頭にどうやってねずみの耳をつけたものかとしばらく考えこんでいたが、どうやら自分の中で決着をつけたらしい。
「どうせ、今回の騒動で元のアバター使えなくなるだろうし。しばらく佐久間が作ってくれたヤツでいっとくか、って腹くくったとこだから。佳主馬くんが欲しいなら、あの耳あげるよ」
実に気前がいい。
佳主馬は額の汗をぬぐうと首を横に振った。
「いらない。あれ、もし当たったらプレゼントするって約束した人がいたんだ。でもメアド知らないし、実は名前も覚えてないから、いい」
ケンイチとかカンジとか。そういう名前だった気がするがもうあまり覚えていない。
ただ、とても「いい感じ」がした人だったことだけしか。
あの人にもう一度会えることはあるのだろうか。と佳主馬は思う。
あの人は、健二と同じく一緒にいるととても「いい感じ」がした。
とても、した。
健二は不思議そうな顔をする。
「そうなんだ。でも、佳主馬くんすごくがんばったから、欲しかったらいつでも言ってよ。僕からあげられるものってそんなにないし。それで佳主馬くんに喜んでもらえるなら僕はとてもうれしいし」
「……!」
佳主馬はその言葉に頬が染まる。
(健二さんはかっこいい。だけじゃない……すごく、いい感じ。なんだ……)
どきどきして、なかなか健二の顔をまともに見ることができない。
その気持ちに、まだ名前はない。
「僕的にはさ」
健二は笑って付け加える。
「キング・カズマのチャンピオンベルト以上のレアアイテムなんて、この世にはないんじゃない? って思うよ。あれ、すごくキング・カズマに似合ってると思うし」
佳主馬の頬はますます熟れたトマトみたいになっていく。
「そう……かな……」
「うん。一番似合ってる。あれは佳主馬くんが自分の力で手に入れた超のつくレアアイテムだから。すごく、かっこいいんだって思うよ。だから、佳主馬くんにはあれ、奪還してほしいな」
「ありが、とう……そうする、つもりだから……」
もうずいぶん昔のことのような気がするあの時の記憶が遠くなっていく。
それは、池沢佳主馬がはじめて直面する心の嵐の、その兆しのひとつだった。