WORKS TOP

● 来襲の理一  ●




「理一さんてさあ、わかってるくせにあえて空気とか読まないでしょ。そして嫌われるタイプ」
「か、佳主馬くん。何もそんな……」
 健二があわててとりなそうとすると、当の理一はにこやかに微笑んで「何を言ってるんだ、佳主馬」と余裕しゃくしゃくの様子を見せた。
「俺の職業知ってるだろ? 陸自の情報将校。空気を読むのがむしろし・ご・と」
 理一は佳主馬のイヤミにむしろ心から楽しそうにそう応えた。面白がっているのは最後の「仕事」のところを文字単位で刻んだあたりで見て取れる。
「佳主馬に歓迎してもらえなくても、健二くんが歓待してくれたらこの家からの歓迎率は五割。うん、悪くない率だって思うね」
 家のリビングに珍しく、健二と佳主馬以外の人物が居座っていた。
 陣内本家の跡取り息子にして、未だ独身を貫く陣内理一その人である。
 上田を離れ東京の陸上自衛隊飯田橋駐屯地に常駐しているという彼は、実に謎の部分が多い人だ。
 なぜ本家の跡取りが結婚もしないで今の年齢までふらふらしているのか。今でも毎年栄の誕生日のあたりには実家に戻っているのだから、旧家のあれこれをいやがっているということでもないらしい。
 のほほんと、風に任せるままに生きてきたらこうなりました。といった風情なのだ。
 佳主馬にとっては祖父の姉の息子というまことにややこしい間柄の大人は、一族の中でとりわけ佳主馬をかわいがっている……というわけでもない。
 なのに、健二が佳主馬と暮らすことを決めてからこっち、やけによく顔を合わせる。
 時々、何の連絡もなく理一は突然この家を訪ねてきて何時間も居座って帰っていく。それは一ヶ月に一度だったり、かと思うと三日に一度だったりと、インターバルさえ謎だ。佳主馬が舌打ちするのを何度となく見ているから、きっとあのOZでキングの称号を戴く佳主馬にとってさえ、パターンが見切れていないのだろうと健二は思う。
 佳主馬風に言わせれば「読みあいの戦いに勝てない」というところか。
 年齢下の恋人にとっては、生きていくすべてが戦いなのだと思う。敵にするには、陣内理一はなかなかやっかいな相手だ。
 かつて、一緒に共闘したことがある健二としてはしみじみとそう思う。
 相変わらず真意の読めない表情をしている理一を、ソファの対面において、健二はじっとりといやな汗をかいている。
 理一は健二が出したほうじ茶をすすりつつ、こちらは手みやげに持参したおつな寿司……油揚げの裏表をひっくり返した東京の有名ないなり寿司だ……をうまそうにぱくついている。数年前に亡くなった栄の作るおいなりさんには負けるが、ここのは「かなり美味い」と寸評も忘れない。
(理一さんは、僕と佳主馬くんのこと、知ってる……んだよなあきっと)
 健二と佳主馬の「同居」は陣内一族の知るところだが、それが「同棲」だとは誰にも知らせていない。
 比較的聡い方の人に違いない理一が、この家にきて何時間もいて、二人の関係に何も気づかずに帰るということがあるのだろうか、と健二は思う。
(たぶん、気づいてる。よねえ……僕と佳主馬くんのこと)
 今は二人でいる時間を何よりも大事に思っているが、佳主馬はもちろん健二も理系の学生らしく非常に多忙な日々だ。
 一緒に暮らしているのに、会える時間がまだまだ「短い」と思ってしまう。だから、一日一緒にいられる今日などは健二にとっても貴重な日だ。
 決して理一に思うところがあるわけではないのだが、佳主馬でなくても「空気読め」とちらりと思ってしまいそうになる。顔に出したら一発でバレそうだから必死に考えまいとしているが。
「だいたい、そのおいなりさんは僕と健二さんへのおみやげでしょ? お茶出してもらってからほとんど一人で食べてるのってどうなんだよ?」
「たくさん買ってきたから二人とも遠慮なく食っていいんだぞ? ばあちゃんのよりは大分落ちるけどこれはこれでいい」
「あ、僕、栄おばあちゃんのおいなりさんっていただいたことないです」
 健二が手を挙げると、理一が「あー、そうかそうか!」と珍しくオーバーリアクションで驚いてみせた。
「それは不幸だなあ。あれはホントに美味いんだ。ウチのお袋はまだまだあれを越えられてないよ。な、佳主馬?」
「うん……僕もあれより美味しいの知らない」
「侘助が帰ってきたのは、あれは絶対にばあちゃんのおいなりさんが恋しくなったからだと思ってんだよな」
 陣内一族の男二人は顔を見合わせて真剣にうなずいた。
「でも、おばあちゃんのトマトも捨てがたいよ」
「あれなあ! お袋に送ってもらってもイマイチなんだよ。上田の家で食わないとさ。だから毎年上田に帰ってるようなもんだぞ、俺は」
 理一の同意に健二は微笑した。
「佳主馬くん、トマト好きだよね。でも、いつも納得いかない顔してるのは、おばあちゃんちのトマトと比べてるからなんだ」
「うん……気づいてたんだ」
 一瞬隣に座る佳主馬と目を交わす。ちりりと甘いものが走った。
「……っ!」
 はっとして、あわてて目の前の理一に向き直ると不敵なこの人物はじっと黙って健二と佳主馬を見比べている。
 意識をしなくてもにじむものはどうしてもあるのだと健二は思う。気をつけていても、日常を過ごす空間は油断を呼ぶ。
 この家で佳主馬と交わした1000のキスのタイミングや、互いの身体に触れる最初の合図、同時に笑いあうきっかけを、すぐに身体と無意識がトレースしたがる。
 理一は賢い大人だ。それに気がつかないほど鈍いとはとても思えない。
(そりゃ、いつかは……って思うけど。も)
 まだ二人とも学生の身で、一応家賃を折半しているとはいえ事実上佳主馬の収入によりかかっている現在の形はどうにかして変えたいと健二は思っている。佳主馬の経済力には太刀打ちできなくても、せめてもう少し「佳主馬に頼って生きている」という感じを薄くしたい。
 その上で、「佳主馬くんとずっと一緒にいたいと思っています」と上田にある栄の墓前に堂々と報告をしたいのだ。
 そうしたい理想の前には、まだあまりにも小さくて情けない現実ばかりがのしかかる。
 理一はじっと健二を見つめている。
「なに、じろじろ健二さんのこと見てんの? 失礼でしょ、そういうのって」
「いやいや、おもしろいなあって思ってさ。健二くんと佳主馬は接点がないでしょう? 健二くんは夏希の元カレなわけだし。まあ、ばあちゃんの臨終を一緒に見とったし。ウチの一族の命を救ってくれたっていう大恩の主ではあるけどさ」
 言いながら「でも、それだけならあの時上田にいた陣内の人間全員があてはまるけどな」と、にやり笑う。
「だから、なに? 僕と健二さんは理一さんが気づかなかっただけでずっと仲よかったし。二人で住めば家賃も折半できるし。だから一緒に住んでるけど、なに?」
 佳主馬は一歩も引かずに言う。
「いったい、いつの間にこんなに仲良しになったのかな? って、思うでしょ、フツウは」
「なに、その言い方」
 理一は目だけで笑ってみせた。
 それから割り箸で紅ショウガをつまんで口に運ぶと「んー、甘酸っぱいねえ」とまたするりとかわしてみせる。

「ねえ、健二くん。俺の相談にのってくれないかな?」

「え? 理一さんの相談? 僕がですか?」
 意外な申し出に健二は少したじろいだ。佳主馬は隣でむっとしてソファにふんぞり返る。明らかに「そんな相談のるな」というオーラを放っているが、ここで「イヤです」と言下に拒絶する理由が、残念ながら健二には見つけられない。
 ちらりと佳主馬に視線をやると「あとでひどいからね」と目が言っていた。
(うわあ……怒ってる……)
 元々今日は久しぶりに2人の休みがあったから「どこかへ行こう」と佳主馬に誘われていたのだ。だが健二は「できれば家でのんびりしたい」と佳主馬プランを却下した。
 きっと今頃は「だから、出かけちゃえばよかったんだ」と思っているだろう佳主馬のお怒りを解くのに、いったい自分は何をしなくてはいけないのか? と、健二は少し赤くなる。
 今日は洗濯機を五回は回したかったし、布団も干したかったのだ。
 デートより生活を優先させようとした罰なのだろうか、と健二は真剣に思う。
 だから、それでも一応拒否めいたことを口にしてみる。
「……え、と。僕なんかじゃ理一さんの悩みに、いい答を見つけられると思えないんですけど……」
「いやいや、健二くんじゃなきゃ答えられないと思う」
「はあ……それでしたら……」
 ずるい大人の口車に乗ると、隣で恋人が毛を逆立てたのがわかった。
 まま、健二の恋人は動物的だ。
 理一はにっこり微笑むと、ほうじ茶をすすった。この間がコワイ。健二はからからの喉をひとまず潤そうと理一に倣う。
「実はね、俺にはもうずいぶんと長いこと熱愛している人がいるんだよ」
「……っ!」
 危うく吹き出しそうになるのを、すんでのところでこらえる。お茶が冷めていて幸いだった。隣で佳主馬もびくんと身体をすくめたのがわかった。
「大人だからね。もうそういう関係になって長い……ブランクは結構空いているけど、会えばちゃんと情熱的に求めるし、相手も応えてくれているからきっと片思いってわけじゃない。と思うんだよね」
「はあ……」
 何がイヤだと言って、知り合いの生々しい性生活の話ほど聞いていていたたまれなくなるものもないだろう。あいにく、健二はその手の話題に喜んで食いつくタイプではなかった。
「俺はね、その人を愛している。一生をかけて愛している。もちろん、会えない時間が長かったりすれば一夜の恋人を求めることはある。お互いにね。でも、一度再会すれば離れられるわけがない人なんだと再認識できる。そういう相手だ」
 理一の言い方はまるで数学の公式をずらずらと並べたてているようで、抑揚もなければ心痛めている様子もない。ハーレクインか昔の少女マンガか、という感じの内容で、健二としても「はあ」という間抜けな相づち以外打ちようがない。
(意外だ。理一さんにそんな人がいたなんて。あ、だから結婚しないのか……相手の女の人は、なんか事情があって結婚できないとかそういう……)
 頭の中には峰不二子みたいなのと清楚なお嬢様風の美人とがぐるぐる回っている。
「その人と僕の関係は複雑でね。ある時は敵だったり、ある時は味方だったり。恋人同士だったり。立場がよく代わるんだ」
 今や完全に頭の中では峰不二子が

YOU WIN

の文字をバックに艶然と微笑んでいる。
(もしかして、相手って……女スパイ?)
 そう考えればつじつまがあう。冷戦時代は遠くなったとはいえ、未だに時々ロシアのスパイがどうしたのとニュースになることがある世の中だ。
 理一はもしかしたら、そういった敵国の女スパイと恋に落ちたのかもしれない。
 健二の頭の中はすでにルパン三世と007となんだかよくわからないがメーテルが渾然一体となっている。飽和状態だ。
 佳主馬は隣で完全にフリーズしている。
 無理もない。親戚がいきなり国際的スパイ組織の女性と道ならぬ恋に落ちていると知ったのだから。いや、まだ正式に確認をとったわけではないが、たぶん間違いない。
「俺はね、もうその人を憎んでいるのか愛しているのか時々わからなくなる。この前会ったのはもう三ヶ月前かな。アメリカに仕事で行った時に会えた。ずっと憎いとすら思っていたのに顔を見たらもう止まらなくなった。仕事の合間の休暇は三日間。俺はその人の部屋から一歩も出ることはなかったよ」
(ロシアじゃなくアメリカのスパイか……日本とアメリカって、思っていたより溝が深いのかも……)
 妙に現在の国際情勢について考えてしまう。健二はぐっと身を乗り出して言った。
「大丈夫ですよ、理一さん。その人もきっと理一さんのこと、忘れられないんです。だから、久しぶりに会っても、その……」
「でも、俺がそうであるように、その人も俺と会えない空白の時間を誰かで慰めているのかもしれない。きっとそばには、その人のことを狙っているヤツが大勢いるからね。しっかりしているように見えて甘えん坊だし、意外とぼんやりしているから……以前も、普通忘れないだろ、って様なものを忘れたりしてたのを知ってるんだ。そう……たとえば、携帯とか」
 理一は言いながら恋人のことを思い出したのだろう。うっすら口元がほころぶ。
「り、理一さん……それって……」
 佳主馬がかちこちの声で何か尋ねようとしている。もしかしたら佳主馬には理一の永遠の恋人の心当たりがあるのかもしれない。
(親戚だもんね……もしかしたら、一度くらい上田の家につれてきたことあるのかな?)
 だとしたら、陣内本家の跡取りが嫁を連れてきたということだ。
 それがアメリカ人の女性だったら、あの騒々しくもすてきな親戚たちは大騒ぎになったことだろう。
(OZで住民基本台帳見ても、僕みたいに簡単にばれたりしないだろうしなあ……)
 ものすごく華麗な肩書きか。それともスパイだけに凡庸なそれか。健二は思いを馳せた。
「でね、健二くんに訊きたいのはさ。恋人とのセックスがどれくらい間隔空いたら、ついふらふらっとほかの男になびいたりしちゃうか? ってそこんとこなんだけど」
「理一さんっ! 健二さんにへんなこと訊かないでよ!」
 佳主馬が瞬間で沸騰した。
 健二は何を言われたのかわからずに、ぽかんとしてしまう。
 そしてそれから、徐々に顔が真っ赤になっていった。
「いやいや、大事なことでしょ。佳主馬だって訊きたくないか? 俺はかなり本気で悩んでるんだ」
「健二さんは、そんなことはない!」
 佳主馬が大噴火を起こしている。健二はがたがたと立ち上がった。
「……お、お茶。冷めたから。いれなおしてきます」
 理一は「悪いね」と笑顔ですんなり解放してくれた。

NEXT>

WORKS TOP