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● はじまりの日  ●




「佳主馬たぶん、納戸にいると思うわ。落ち込んでると思うから慰めてあげてね」

 生まれてまだ十七年だが、人生でこの先これ以上の大事件てんこ盛りの日は永久に訪れないだろうと思った日の、その夜のことだ。
 聖美に持たされた盆の上には佳主馬と健二、二人分のよく冷えたスイカが六切れのっている。
 健二は灯りの漏れる納戸の入り口に立った。聖美の推測通り、佳主馬の細い背中が見える。
 佳主馬のノートの青白いバックライトが室内を照らしている。
 タンクトップにハーフパンツ。褐色のすんなりとした手足は、妙に色っぽいな、と健二は思う。そして、無意識にそう感じている自分に少し焦った。
 それでわざと大きな声を出す。
「佳主馬くん……入っていい?」
 背中がびくんと大きく反応した。かけていたヘッドフォンをはずしながら佳主馬が振り返る。
「健二さん……なに?」
「スイカ。聖美さんが佳主馬くんに持っていってくれ、って。で、今、みんなおばあちゃんのお葬式の相談してるし。僕が混じるわけにもいかないから」
 健二は佳主馬に笑いかける。
「ここに、避難してもいいかな?」
「いいけど……」 健二は佳主馬のそばに座る。ノートをよけて、スイカの盆を置く場所をさりげなく作ってくれた佳主馬に「ありがとう」と礼を言うと、少し照れたように顔を逸らされた。
(いいコだなあ……)
 不愛想で、口数も少ないが、かといって一緒にいると気詰まりには感じない。
 陣内の家の人間はみんな魅力的だが、佳主馬はまた別格であるように感じる。
 スイカはよく冷えていた。
 陣内の家の井戸水で冷やされた果実は冷たすぎて甘みが損なわれることがない。みずみずしい夏の味を、二人でしゃくしゃくとかじった。
 佳主馬のPCの中では、キングカズマがまだ痛々しい包帯を巻いたままの姿でマスターのコマンドを待っている。
「キングのメンテナンスしてたの?」
「メンテナンスじゃなくて、反省会」
「反省会?」
 意外な言葉に思わず問い返すと、佳主馬は少し恥じたように、視線をモニタの中のキングに向ける。一心同体の分身は、マスターの視線に気づいたようにジャンプした。
「僕はラブマに負けたから。なにが悪かったのか、次に負けないためにはどうしたらいいのか考えてる。負けた時はいつもそう」
「OMCは、ラブマ戦の敗北はカウントしないって公式見解発表したんだろ?」
「そういう問題じゃない。負けたのは事実だし。負けたら悔しいよ。だから次は負けたくない」
 佳主馬は頬を染めて、恥ずかしそうに言った。
 ラブマシーンはいわば、イレギュラーの存在だ。何億ものアバターの情報を食らって肥大したOZの魔物のような存在が、今後もそうそう現れるとは思えない。
 なのに佳主馬はあの敗北を、悔いるという。
 健二は、真っ赤なスイカと佳主馬を見比べながら首を横に振った。
「だって、君は最後には勝ったでしょ?」
 最後の最後、ラブマシーンにダメージを食らわせてKOしたのはキングカズマだ。
「あんなの! 侘助さんがラブマの戦闘能力をゼロにしたからでしょ。それじゃ勝ったとは言えない。カズマも僕ももう、キングなんかじゃない」
 健二は真剣な表情の佳主馬を見つめた。
 キングである自覚と、常に闘いの勝者であろうとするどん欲さと傲慢さ。
そうであろうとする不断の努力を惜しまないストイックさ。
 それは、ひどく美しい。
 普段健二があまり目にする機会のない美しさだ。

 とくん、

 心臓が高く鳴る。
(佳主馬くんって……)
 誇り高い戦士は、常に自分に対して一番厳しい。
 だから、佳主馬はキングなのだと健二は思った。
「君はキングだよ」
 薄暗い納戸の中、確かにその頭上に王冠が輝いて見える。
 高いプライドと、それに見合うだけの自分であろうとする佳主馬はとてもきれいだ、と健二は思った。
「キングじゃない。ラブマに勝ったのは夏希姉ちゃんだし、健二さんだ」
「違うよ。佳主馬くんもだ」
「違わない。僕はなにもできなかった。みんなに協力してもらって、なのに……アカウントも奪われて、あんな……」
 食べかけのスイカを手にしたまま、佳主馬は膝を抱えて小さくなる。
 脳裏に浮かんでいるのはきっと、巨大なウサギの耳を生やしたラブマシーンの偉容だろう。あの圧倒的な存在感に誰もがおびえ、ひるんだ。
 佳主馬も、おそらくきっと。
 そのことが今、佳主馬を傷つけているのだと健二は思った。
「……佳主馬くん」
 健二は小さくなった佳主馬のそばによる。そうして、ごく自然にその身体を抱きしめていた。ほんの少しの力で、そっと。
 聖美の推測は正しく的を射ている。
 今の佳主馬はひどく傷ついている。
 王が心痛めているのなら、どうにかしてやりたいと思うのは自然な気持ちだ。
「け……んじさ……」
 腕の中の佳主馬はうわずった声で、健二を呼んだ。
「夏希先輩は花札でラブマに勝ったけど、君がラブマの性格を正確に読んでくれたからあの作戦をたてられた。僕は確かに暗号を解いたけど、君がいなけりゃやっぱりラブマにやられてた」
 感情が勝手にあふれていく。
 佳主馬が傷ついているなら自分が癒してやりたいと、健二は思った。
「君がいなかったら、僕らはやっぱり負けてたって思う。だから、佳主馬くんは自分を誇っていいんだよ?」
「健二さ……」
「僕らはここに今、こうしていられる。でも、佳主馬くんがいなきゃムリだった。
僕が保証する」
 心臓がどくどく脈打っている。
(なんだろう。これ……)

「君はキングだ。君が傷ついたり恥じたりするようなことなんて何ひとつない」

 健二の胸の中に生まれたばかりの小さな小さな熱がある。
 まだほんの小さな点にしかすぎない、正体不明の熱だ。
 佳主馬を抱きながら、健二は静かに動揺している。
(なんだろう、これ……)
 佳主馬に向かってあふれ出す心がある。その源にある熱の点の正体を、健二はまだ知らない。
 ぽとりと、すぐ脇の床に佳主馬の手にしていた食べかけのスイカが落ちる。
 佳主馬の腕が背中におずおずと回されたのがわかった。
 妙な状況だと理性がささやいている。
 年齢下の男の子と抱き合っている。
 誰かがちょっと納戸をのぞけば、なんと言い訳していいのか思いつかない。
 それでもなぜか離れる気にならない。

 ただ夢中で、大人たちに隠れて、二人でこっそり抱き合った。

 それが、たぶん健二のはじまりだった。
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