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● ショコラ  ●




「バレンタインまでに帰れないかもしれない」
 やたらと深刻な顔をして佳主馬が連絡をしてきたのは、一昨日のことだ。
 健二は一瞬能面みたいな顔をしてしまった自分に、はっとして、慌てて笑顔を作ってみた。
 少し、見え透いてたかもしれないが、そこはやっぱり年齢上の矜持というものがある。
「遊びでロスに行ってるわけじゃないし。仕事なんだし。それは仕方ないよね」
 あっさりと引きが良くてものわかりのいい恋人の顔を、とっさに演じていた。
 モニタの向こうの佳主馬は黙ってこちらを見ている。OMCの歴史に燦然と輝くヒーローの慧眼の前には、あるいは健二の心の中なんかさっさと見透かされている気がして、焦る。
 だから慌てて上塗りをしてみせる。ちょっと、みっともないと健二は忸怩たる思いだ。
「だって、僕たちは一緒に住んでるんだし。君が仕事で家を空けたりとか、僕が研究室に泊まり込みだとかってしょっちゅうじゃない? まあ、今回は特別長いけどさ……全部のイベントを一緒に過ごすなんて、そりゃ無理だって。それにさ、バレンタインって女の子のイベントって感じするし」
 佳主馬に見せてる笑顔はほんものだ。いいわけもホントのことで、健二は事実、昔からそれほどこういうイベントに命を燃やすタイプではなかった。
 というのはいいわけで、実はあんまり縁がなかったという方が正しいのだけれど。
 モニタの向こうの佳主馬は少しがっかりしたような表情になった。
(なんだよ、バレンタインに家を空けるのは君の方じゃないか)
 健二は不満顔を見せるのがしゃくに思えて、にっこり笑う。
「でも、一応チョコは用意しとくよ。いつ帰るの?」
 とたん、佳主馬は「ホントに?」とぱあっとお日様みたいに笑顔を見せた。
 おかげで健二はどきどきしてしまう。
(僕にもらわなくたって、いくらでもチョコくらいもらえるくせに。そういう反応はやっぱりくすぐられるし、ずるい)
 健二と佳主馬は現在、一緒に暮らしている。
 もうとっくの昔に同じベッドで夜を過ごすことを覚えているし、互いにサインを出し合えている。と、健二は思う。
 恥ずかしいところもなにも全て、もうとっくに全部知られてる相手だ。
 健二が淫らな気分になる時もあれば、佳主馬からのアプローチも当たり前にある。
 お互いの気持ちをちゃんと確かめあえている現在、多分きっと自分たちが努力して維持していくべき場所はもうあるのだと知っている。
「15日の、朝……かな。もしかしたらもう少しかかるかも」
「そっか」
 健二はやっぱり笑顔を作る。別に、ほんとに大したことじゃないと伝えるために笑ってみせる。
「たった一日の差でしょ? 大したことないって。大丈夫。ちゃんとチョコくらい用意しておくし。それより佳主馬くんはやるべき仕事をしないといけないよ」
 ただ、佳主馬がOZアワードの関連でもう半月以上もロスに行きっぱなしだって事実はやはりちょっと、キているのだ。
 佳主馬は既に二十歳になっていて、高校を卒業したあたりからぐっと実業家としての忙しさが増した。殿堂入りしたOMCのキングカズマは、イベントごとには未だにひっぱりだこで、なんだかんだいってOMCを愛してやまない恋人は、そういうイベントにもつきあいよく参加している。
(佳主馬くんは、日に日に本気ですごい人になっていくんだ)
 健二は、今でもやっぱりふつうの学生のままで、もはや佳主馬との差にどうこう思い悩むような感覚はなくなった。ちょっと前までは、なんとかつりあうように、と思ってきたがどうやったって届かないことに気づいた。
 だから、健二はは健二のままでいる。
「健二さん、ごめんね」
 おそるおそる佳主馬が健二に謝ってくる、その謝罪の意味がわからない。
「別に佳主馬くんが謝ることじゃないでしょ? 仕事はちゃんとやらないとダメだし。そんなこと、当たり前だ。それでさ……僕、明日は試験の手伝いに行かなきゃいけないんだ。悪いけど、回線切るよ?」
「うん……おやすみ、健二さん」
「おやすみ、佳主馬くん」
 ログアウトした途端、健二は一気に自己嫌悪に陥った。
「今の言い方って、なんかすっごい……ダメな感じだよなあ」
 ため息をつく。
 佳主馬に触りたいな、と思った。
 以前は遠く離れて暮らしていたから、顔が見れるだけで幸せな気持ちになった。OZを介してでも、佳主馬とつながって声を聞いたり顔を見れたらそれだけでいいと思えた。
(今の僕はどん欲だ)
 健二はそう思う。
 直接佳主馬の顔が見たいと思うし、声が聞きたい。触りたい。
 恋心が通じていることを疑ってるわけではない。
 だが、手に入れているものよりも「もっと」がいつでも欲しいと思っている。強欲な自分は、多分佳主馬といるといくらでもわいて出てくるのだと思う。
 健二のデスクトップの壁紙は、味も素っ気もないデフォルトの青だ。
 じっとその青を見ながらため息をつく。
 もう一度つなげて佳主馬に何か言いわけをしようかと散々考えて、ぱたりとノートのふたを閉じた。
 さっきの言い草が健二をじゃまする。
 あまりにもいじましくて、辛い気持ちになった。



 試験の手伝いがあると言ったのは、ウソではない。
 試験会場の設営と、監督のバイトだ。一応心ばかりの報酬も出る。
 街はバレンタイン一色だっていうのに、試験本番の学生たちはもちろんそれどころではない。
 なんとなく健二は勝手に親近感を覚えて、かりかりと昔ながらのシャープペンシルが走る音に耳を傾けた。
(佳主馬くんに会いたい)
 しんとした会場の隅で、ただ座っているだけのお役目だ。窓際にいると暖かな日差しが眠気を誘う。
 寝たら「今日のバイト代ゼロ」とは厳命されているから、必死に別のことを考える。
(佳主馬くんに会いたくて仕方がない)
 結局、健二の頭に浮かぶのはそれしかない。だが、それを佳主馬に言ったところで仕事で海外にいる恋人を困らせるだけだと思う。
 だから言えない。言えないが、逢いたい。

(会いたい、会いたい、佳主馬くんに会いたい)

 そればかりが頭の中をぐるぐると渦巻く。
 あとほんの数日もすれば佳主馬は帰ってくるのだし、こんなことばかり考えている自分は、なんだかすごくイヤだと思う。

(だけど、逢いたい。今すぐ)

 本当は、そう思っている。

「……っ?」
 ぼんやりしていたら、健二の足元に何かが転がってきた。
 見れば、消しゴムだ。
(ああ、誰かがうっかり落としちゃったんだな)と拾い上げてみれば、なんだか必要以上に緊張している背中がすぐ目の前にあった。
 黒々とした髪の毛の男子だ。
 多分あの子だろうとあたりをつけると、健二は立ちあがる。教室の後ろの方を担当している助教授に軽く手をあげて、消しゴムを見せる。
 不正ではないことを公言してから、健二は何も言わずに消しゴムを目をつけた子の机の上にそっと置いた。
「……!」
 はっとしたように現役らしいその少年は顔をあげる。なるべく顔を見ないようにしていたつもりなのに、健二は一瞬目を合わせてしまった。
 思わず、声をあげそうになったのをなんとか押し殺す。

 浅黒い肌。きつくて綺麗な眼差し。少し長めの前髪。
 なんだか数年前の佳主馬に似ているな、と思った。
 慌てて多少ぎこちない笑顔を見せると、健二はばくばく言う心臓を抑えつけながら指定の場所に戻って椅子に腰かける。
 顔が紅い。
 一瞬しかあの受験生の顔は見ていないから、本当のところは似ていたのかさえわからない。あまりにも佳主馬不足が続いているから、トチ狂った自分の頭が勝手に補正したに違いない。
(けど)
 健二はそっと、さっきの子の背中を眺める。
 もう緊張はほどけているようで、消しゴムを落としたパニックからは立ち直っているようだった。

(がんばれ)

 健二は心の中で小さく、その子にエコひいきのエールを送る。
 時間が終わるまでどうしてもその子の方ばかり見ている自分にならとっくに気づいている。
(こういうのも浮気っていうのかな。そうかもしれない)
 佳主馬に知られたらきっとすごく機嫌を損ねるだろうと思った。
 そう思いながらも、見知らぬ子の背中に佳主馬の幻を重ねて、健二は切ない気持ちになる。
 知らず、組んだ自分の腕を思いきり掴んでいた。きっと服の下には爪の痕が残っているだろう。
 試験終了の鐘が鳴って、健二は後ろから答案を集めていった。
 ちらりとさっきの学生の顔をもう一度見てみたら思っていたほどには佳主馬とは似ていない。
 佳主馬はもっとしゅっとした美形だし、もうちょっと上背もある。この二十分ほどの浮気相手ではあるけれど、やっぱりそれは幻の感情なんだと思い知った。
 健二に気付いた消しゴムくんはぺこりと小さく頭を下げて礼をしてくれた。
 その子の礼には目で笑んで返す。
 受験番号を確かめながら揃えて前でまとめながら、健二はちょっと拍子抜けしてしまった。
(なあんだ)と思う。
 なんだか自分がおかしいと思うし、同時にこれはちょっとヤバいんじゃないかな、と不安にもなった。

(全然似ていないのにちょっと肌が浅黒いとか前髪が長めってだけで「佳主馬くんに似てる」と思うなんて、末期だ)

 自覚して、ようやく健二は自分の中にある欲求と素直に向き合った。
 本当にこのままでは身体にも心にもよくない。
 発散すべきだ。きっと。
「小磯ー、今日の打ち上げ。6時からだってさ」
 廊下を歩いていたら、ゼミの先輩から声をかけられる。先輩といっても向こうはもう講師として大学で何コマか担当している。健二はまだ学生の身だ。
「あ……すみません。僕はちょっと今日は遠慮しときます。教授によろしく言っておいてください」
「なによ? つきあい悪ぃなあ。あれか? ひょっとして噂の同棲相手の彼女のご機嫌とり? 明日バレンタインだもんなあ」
「そういうんじゃないですよ。第一、同居人は今ちょっと家を空けてますし」
 笑ってそう言うと「え、同棲してるってマジだったのか?」と先輩の顔が引きつった。

「してますよ。恋人と一緒に住んでます」

 健二は笑顔でそう言った。
 呆然として立ち尽くす先輩をよそに、急いで家路につく。
 向こうとの時差を計算して、何時にアクセスすれば佳主馬を捕まえられるか考えた。
 昨夜は午前1時くらいに話をした。きっと佳主馬は朝、出かける直前の時刻だったに違いない。
 健二は時計を見る。
 もう、5時を回っている。今アクセスしても向こうは真夜中だ。宵っ張りの佳主馬が起きている可能性は高いが、もしも外国での仕事に疲れて眠っていたらと思うと起こすのはしのびない。
 やっぱり、今日の真夜中だと健二は思った。
 バイトは終わったし、明日は採点があるので構内への立ち入りが禁止されている。
(ちょうど、バレンタインデーだし。佳主馬くん気にしてたみたいだからちょうどいいんじゃないかな?)
 チョコレートを渡すことはできなくても、話ができたらいい。
 気持ちが走りだしている。
 駅前で女の子たちがわらわらといっぱいいるワゴンから、なんとかチョコをかっさらう。
 佳主馬が「欲しい」と言うのなら、チョコくらいいくらだってあげたい。
 すごい表情で突進していったからか、一瞬売り場がしんとなったけどそんなことに構ってはいられない。とりあえず目についた包みをレジに持っていく。
 売り場中の視線が集中しているのは痛いほどよくわかった。
 無人の家に帰ると、健二はノートパソコンをテーブルの上に置いて、一時になるのをひたすら待った。
 息を飲み、OZにアクセスする。それから、佳主馬にプライベートチャットのリクエストを送った。
「……あれ?」
 応答がない。
 健二は何度か佳主馬へのアクセスリクエストを送った。だが、まるで返事がこない。
 向こうで佳主馬がどんなスケジュールで動いているのか、健二は知らない。
 だから、この時間ならきっと佳主馬がOZにアクセスしてるだろうというのはあくまで健二の推測にすぎない。
 例え応えてくれなくても、それはタイミングがあわなかったというだけの話で何も悪いことではない。
「あーあ……」
 それでも健二はなんとなくへこたれて、ソファの上で丸くなって横になる。
 目の高さの位置にあるテーブルの上には、夕方張り切って買ってきたチョコレートの包みがあった。
「あーあ……」
 盛り上がっていた気持ちがしゅんと潰れていく。
 健二は手を伸ばして金色のリボンがかかったチョコレートの包みに触れた。
 今日、一体自分は何を佳主馬に伝えたくてこんなに躍起になっていたのだろうかと考えた。
 疲労した身体に眠気が静かに落ちてくる。そういえば、昨夜は佳主馬と話をするので遅くに寝て、今朝は試験監督の集合時間が早くてろくに寝ていなかった。いや、眠れていないのはここ半月あまりずっとそうだ。
 ベッドに行かなくては、と思うのに起き上がれない。

 逢いたい、んだけどなあ……

 眠りに落ちる寸前、昨夜佳主馬に言いたくて言えなかったことがなんだったか健二はようやく思い出していた。



「健二さんっ! 健二さんっ! 起きてよ! 風邪ひくよ?」
 大丈夫だよ、佳主馬くん。ちゃんとエアコン効いてるし。ああでも、ちょっと喉がいがいがする。加湿器の水が切れたんだね。君は大丈夫?
 夢の中で佳主馬が健二の身体を揺さぶるので、健二は反射的にそんな風に応えている。
「いくらエアコン効かせてたって、毛布もかけずにリビングで一晩過ごすなんてダメに決まってるでしょ? 健二さん、ホントに心配させないでくれるかな?」
 年齢下の恋人がなんだかすごく怒っているな、と健二は思った。
 ぼんやりとした視界の中に半月も会えずにいた佳主馬がいる。
 それで、これは夢の続きなのだと思った。
「佳主馬くん……っ!」
 ならば、やりたかったことをしようと健二は思う。だから、首にすがりつくようにして抱きついた。
「帰ってきたんだ。おかえり」
「うん……ただいま」
 ただいまの声がひどくうれしい。一緒に暮らしはじめてしばらく経つけれど、佳主馬が「ただいま」と言う度に本当にうれしいと健二は思う。

「逢いたかったよ……」

 抱きすがる佳主馬の身体がびくりと震えた。
「ホントに? 健二さん?」
「うん……逢いたかった……」
 昨夜、OZチャットで伝えようとした言葉だ。夢の中でも逢えたのなら、言ってしまおう。
「半月以上も一人にして、ごめん」
「うん……それはいいんだ。でも、やっぱり逢いたかった」
 身体を引きはがされる。唇が重なった。やけにリアルで生々しいキスの感触だ。
 少し乱暴で、抱きしめてくる感じは同じだが、いつもの佳主馬のキスとは少し違う。
 口の中を好きにされる感触に身をまかせながら、ふいに不安になる。
 これは夢だ。夢のはずだ。佳主馬が帰ってくるのは明日のはずで、自分は昨夜OZで佳主馬を捕まえられずにそのまま不貞寝してしまった。
 はずだ。
 だが、それは本当のことだっただろうか?
 もしかして、また昼間のように誰かと佳主馬を混濁しているのではないか。

「……っ!」

 不意に覚醒する。
 健二は目を見開いて、自分の唇を貪る人を見た。
「か……ずま、くん?」
 思わず身をよじって逃れて、目の前にある顔を呆然と見つめた。
「健二さん? ただいま」
「なんで、いるの? まだ、ロスじゃなかったっけ?」
 すると佳主馬はあからさまに不服そうに眉を寄せる。
「……だって昨夜健二さんのあんな顔見たら、そりゃ僕だって焦るよね」
「へ?」
 何を言っているのかわからない。
 見上げればリビングの時計は7時を指している。外の明るさからいって、朝の7時だ。
 健二はソファの上に起き上がった。よく見れば、佳主馬はコートすら脱いでいない。すぐ傍に、ロスの空港の検疫を通った証のシールがべったり貼られたトランクが転がっている。おみやげらしき包みも無造作に置いてあった。
「いつ、日本に着いたの?」
「さっき。羽田着の早朝便」
 それでこの時間か、と健二はそこだけは妙に納得する。
「今日まで仕事じゃなかったっけ? 一昨日そう言ってたよねえ」
「だよ。そうだった。けど、健二さんがあんな顔するから心配になってさ。死ぬ気で仕事を片付けてそのまんま空港から飛行機に飛び乗った」
 佳主馬はにやりと笑ってVサインをしてみせる。
「日本人はこんなにワーカホリックなのか、と向こうのスタッフが驚いてた。人間、やる気になればなんでもできるよね。かえって効率よく動けてよかったよ。僕、そんなに美食家じゃないけど、日本食食べたくて爆発しそうだったし」
 佳主馬は言いながらちらりとテーブルの上の包みに目をやる。
 それから視線がこちらにきた。
 仕方がないから健二は頷く。佳主馬は世にも嬉しそうに笑った。
「やっぱ……仕事がんばってきた甲斐があったよ。健二さんからバレンタイン当日にチョコもらえたし」
 テーブルの上の包みを宝物のように頬ずりしてみせる。そういう佳主馬を知る者は、間違いなく健二だけだろう。
「あ、僕からもチョコレートあるんだ。ロスの空港でこれだけは! って思って買って来た。選ぶ時間なかったから、どんなのかわかんないけど」
 佳主馬はばたばたと床に放りだしてあったチョコレートショップの手提げを持ってくる。
 世界的に有名なブランドのチョコレートが、包みだけは恭しく、量的にはちっともありがたみがない感じで入っていた。
 健二は大きな紙袋の中から手品みたいにいくらでも出てくるチョコレートの包みについにこらえきれなくなって吹きだしてしまう。
「なに、これ? 一体いくつ買ってきたんだよ?」
「そこにあるやつとりあえず全部くれ。って言ったんだけど……ちょっと、多すぎたかな?」
 言って笑う佳主馬に、健二は吹きだした。
「カードで買ったの? なんか、来月の引き落としがコワイ感じだね。ここ、高いんでしょ?」
 と、佳主馬は瞳を和らげて言った。
「よかった……健二さん、元気だね」
「……うん。僕はそんなひどい顔してたかな?」
 佳主馬が手を伸ばして顎に触れる。そのまま指で撫でられて、健二は微笑する。
「泣きそうな顔してた」
「笑ったつもりだったんだけどな、あれ」
「うん……だから僕は一刻も早く、健二さんの傍に帰らなきゃ、って思ったんだよ」
 健二は佳主馬の顔を見て、もう一度笑う。

「逢いたかったよ」

 そうして、ゆっくり唇を近づけて行く。
 佳主馬がいない間のことを、一体何から話そうかと思う。
 昨日ついに似ても似つかぬ高校生を佳主馬と見間違えたとか、なんとなくはぐらかし続けていた恋人との同棲の事実を周囲に明かしたこととか、佳主馬のいなかった毎日の食事がそれはひどいものだったことだとか。
 年齢上のどんなものを守りたかったのか、今となってはよくわからないが、それでも意固地になって「逢いたい」の一言も言えない自分の愚かしさとか。
「ホントに、君に逢いたくて仕方なかった」
 それでも今はそれを後に回すことに問題はない。
 健二は佳主馬の背中に腕を回す。抱き返してくる腕の強さに、やっと呼吸をはじめられる。
 再びのキスは、恋人たちの日に相応しい何より甘い時間のはじまりの合図だった。
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