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● トマトは赤、きゅうりは緑  ●




トマトは赤、きゅうりは緑

 佳主馬くんがなんだか突然、家庭菜園に目覚めてしまった。
 毎朝神妙にベランダのプランターと向き合っているのを見ていると、すごく意外な気がする。
 野菜の苗の生育を見つめる横顔はなんだか哲学者みたいだ。苦悩、という言葉がよく似合ってる。でも、やっぱりかっこいいなと思ってしまうのは、これが何年経っても冷めない例の病のせいなのかと、僕は自覚する。
「……なんか、やっぱりヘン」
 神妙な顔つきで食卓に戻ってくると、佳主馬くんはため息をついた。
 僕は思わず吹きだしてしまう。
 佳主馬くんを悩ませている今一番の悩みは、ホームセンターで買って来た野菜の苗の生育が思わしくないことだ。
「健二さん、僕真剣なんだけど! もう苗を植えてから何日経ってると思ってんの? 一週間だよ? なのに、なんであれ全然育ってないの? 田舎の畑のきゅうりなんか、ジャングルみたいになってんのに!」
 佳主馬くんは、僕らの暮らすマンションのベランダに設置したプランターを指さして言った。
「まあ、土とか水とか……上田の土地は野菜の生育によさそうな印象しかないからなあ。少なくとも東京のマンションのベランダの片隅に置いたプランターで育つあれと比べちゃいけないと思うけど」
「でも、なんかもっと立派に育ってもいいと思うんだよ、僕は」
「確かに、それだけ熱心に育ててたら愛情もわくよね」
「愛情とかって……ちょっと違うんだけど。健二さん」
 きゅうりに、アスパラ、それにトマト。
 ある日大学から戻ったら、ベランダが畑になっていた。
 びっくりした僕に、佳主馬くんが「待ってて。絶対美味しい野菜作るから!」と高らかに宣言してくれたのが昨日のことのようだ。
 だけど、OMCの殿堂入りチャンプにしてその身体に溢れるような才能を持ちあわせている佳主馬くんも、どうやら緑の指の持ちあわせはないみたいだ。
 僕は笑って「期待してるよ」と言い「でも佳主馬くんのきゅうりの前に、上田産の食べよっか」と朝
食の準備の整ったテーブルに招いた。
 ついこの前たくさん届いた上田陣内本家の畑で作られた野菜は、どれもこれも感動するほど濃い味がする。僕は、季節ごとにそれが届くのを心待ちにしていた。多分今、これまでの人生で一番野菜好きになっていると思う。
 自分で料理をするようになったから、尚更だ。
 実家にいた頃は、親が不在の時でもキッチンに立つことなんて全然しなかったのに、今は当たり前に二人分の食事を作っている。
 まだまだ料理初心者だけどなんだか最近楽しくなりはじめているから「自分の作ったものを食べてくれる誰か」の存在ってすごい。それは交代でご飯を作っている佳主馬くんも同じなのかもしれない。
 というか、あのキングカズマの中の人が僕のためにご飯を作ってくれてるなんて、世界中のキングフォロワーが聞いたらきっとショックで倒れるに違いない。僕はきっと、OZにログインできなくなる。
 僕が佳主馬くんと一緒にいる理由は佳主馬くんが「キングカズマだから」じゃないけど、なんとなくそんなことを考えて僕はきゅうりを齧りながらつい苦笑した。
「なに、笑ってんの?」
「……いや、さすが上田のきゅうりだなあって思って。なんかすごい存在感主張してくる」
 僕がそう言うと佳主馬くんも、ただ切ってあるきゅうりにこれも上田の陣内家自家製のお味噌をつけて齧って唸った。
「確かに美味しいよね……どうしたらこんな風になるんだろう」
 にわかアグリカルチャーの民は、悩ましげに言った。
「まあ上田の野菜はウチのプランターのあれとはキャリアも土壌も違うから。ここらへんの農家の人でもこんな濃厚な味のきゅうり作れないと思うよ」
「健二さん……上田の野菜、好きだよね」
「なんか、はじめて野菜の味を意識したって感じだからなあ。ホントに美味しいんだなあって感心したんだ」
 今は亡きおばあちゃんが畑でもいできたトマトやきゅうりをはじめて食べさせてもらった時は、普通に感動した。東京に帰って来てからそのつもりで食べた野菜で「こんなに違うものなのか」とまた驚嘆した。
 佳主馬くんは「やっぱり、もうちょっと研究する」ときゅうりを飲みこむ。
「何を? プランターきゅうりは、さすがにこれ超えられないんじゃないかなあ?」
「やってみなけりゃわからないでしょ?」
 ぶすくれた様子で佳主馬くんが言った。
 こういうところは、どんなに身長が伸びて大人びた今になっても、出会ったころと変わらない。
 僕はこういう瞬間ごとに嬉しくなる。きっと、佳主馬くんはそれを知ったら怒るだろうけれど。
「キングが家庭菜園に入れこんでると知ったら、フォロワーさんたち驚くんじゃない?」
「別に知られることはないからいいよ。てか、知られたからってなに? 今、僕、むしろ真剣にノウハウをくれるフォロワーとじっくり会話したいんだけど」
 そうして、皿に残っていた最後のきゅうりをつまみあげ、ぽいと口に放りこんだ。しゃくしゃくと小気味いい音を立てて噛み砕くと言った。
「僕、とにかくこれを越えなきゃいけないんだよ」
「そこまでして佳主馬くんが家庭菜園に入れこむ理由ってなに?」
 何が、キングをそこまでの情熱に駆り立てたのか。誰だって知りたいに決まっている。
 と、急に佳主馬くんは頬を染めた。そうして、ぷいと横を向く。
「……? どうしたの?」
「……健二さん、上田の野菜。好きでしょ?」
「好きだよ?」
「だよねえ。なんかすごく美味しそうに食べる」

「……うん? だってホントに美味しいから」
「……だから、その……」
 口ごもり、そのままらしくもなく言いかけた言葉を飲みこんだ。
 あ、なんかかわいい。
 とっさにそう思った。
 僕はすっかりかっこよく育ってしまった佳主馬くんに対して、ことあるごとにそんな感想を抱く。
口にすると割と長い間すねてしまうから言わないけど、佳主馬くんはかっこいいけど……すごく、かわいくもあるんだ。
「やっぱなんでもない。僕、先に大学行くから。ごちそうさま」
 ますます顔を紅くして、佳主馬くんはばたばたと立ち上がった。
「……」
 取り残された僕は、茶碗の中のご飯の残り最後のをひと口。よく噛んで、それからお茶をすすって呑みこむと、ようやく佳主馬くんの突発性アグリカルチャー症候群発症の理由に思いいたる。
 多分、顔は今、上田から届いたばかりのトマトよりもずっと真っ赤だ。
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