洋上にふたり 〜プールサイド・ラヴァー〜




 確か映画でこういうのがあった。
 世界中に出荷されるチョコレート。その中にたった五枚のチケットが入っている。偶然それを引き当てた子どもたちが夢のチョコレート工場に招待されるという、アレだ。

「オレはもっと幸運。なんだよなあ」

 泉は太平洋上を航海する船の上でつぶやく。
 ただの船ではない。
『洋上の淑女』の呼び名を持つ世界でもっとも有名な個人所有の客船・ベイウェスト号である。
 真っ白な船体のフォルムはもはや芸術の域に達していると誰もが認める優美さを誇る。
 外観を裏切らない船内にはプールやテニスコート、ビリヤード場にダンスホール、最新鋭の機材を導入した映写室やフィットネスジムまでが用意され、長期航海の間中乗客を一時たりとて退屈させないという約束を実現していた。
 船室はまた奮っている。
 ことに、泉の起居するエグゼクティブスウィートは全8室から構成され、天蓋付きのキングサイズのベッドを置いてもなお十分な間取りのある主寝室に、広大という形容詞がふさわしいリビング、フィッティングルームに簡易キッチン(これはおそらく航海の間一度も使うことはないだろう)にバーカウンター、冗談のようにライオンの口から滔々と贅沢に湯を吐き続けるバスルーム。さらには洋上で尋ねてくる者もあるまいに、必要のないゲストルームやそこに付随したセカンドバスルームまでついている。
 家具は全て、イタリアンメイドの最上級。
 あくまで優雅を旨としつつも、新進気鋭の作家の手によるコンフォートをとことんまで追求しながらもシルエットの美しいもので統一されていた。
 聞けば各船室によってその趣は異なり、若い才能たちが優雅を基調にその創造力を存分に生かした作りになっているという。
 一度頼んで全室を案内してもらうつもりだ。
 当然、食の方面でのフォローは完璧だ。
 専属のコックが作る料理は最上級。乗客は、和洋中、世界中のありとあらゆる美味を約束され、気まぐれにメロンパンなんてものをオーダーしてみれば金色の月のようなふわふわかりかりの完璧なのが出てきたものだ。
 これらの贅をつくした空間は、持ち主である某財閥系総帥がもてなす客のためだけに用意されている。
 そうして今、海に浮かぶ楽園とも呼ばれているその豪華客船の世界一の贅沢は泉の前に差し出されたというわけだった。
 洋上で過ごすことになる一か月半の月日が長いか、それとも短いか、泉にはわからない。

「泉さま、飲み物をお持ちしました」
 プールサイドに用意してもらったデッキチェアーに寝そべっていた泉は、突然そう声をかけられて顔をあげる。
 パラソルの下に、すい、と入ってきた浜田はいつも通りの人好きのする表情をしている。
「浜田、まだ敬語直ってねーぞー」
「……ああ。泉、ジュース持ってきたぞ」
「……さんきゅ。そこに置いといてくれよ」
「かしこまりました……じゃなくて、わかった」
 なんとなくまだ尽くされることに慣れないでいる。泉はフレッシュオレンジジュースのグラスをサイドテーブルに置いてそのまま傍らで立ち尽くして控えている男に目をやった。
 空は晴れて高い。
 夏の頃ならともかく、今はまだ早春の頃合いで泉は室内プールの方を利用している。恐ろしいことにこの船には屋外と全天候型の屋内の二つのプールが用意されているのだった。
 泉がいるそこは、サンルームになっており、全面ガラス張りの広々とした設計で周囲には南国の植物が植えられており、雰囲気を演出している。
 25メートルかける18メートルの大きさを誇るプールには他に誰もいない。
 この巨大な船の乗客は泉ただひとりきりだ。
 泉はそもそも、ベイウェスト号の乗客になるような人間ではない。
 今はまだ、今度の四月になったら高校生になることが決まっているただの少年にすぎない。
 受験が迫った冬の朝、たまたま開いた朝刊の全面広告にあった「豪華客船45日間クルーズご招待」になんとなく応募してみた。それだけだった。
 当たるなんて思ってもいないから、そもそも募集要項などろくに読んでいない。
 ある日突然冗談のように届いた当選の案内に従ってのこのこやってきたら、乗船することになっていたのはとんでもない豪華客船で、なおかつ当選者はたったひとりきりというモノだったのだ。
 出港は夜だった。
 メインホールに案内された途端、そこで主を待ちわびて居並ぶ船員の数にまずびびった。
 数十名からの大人たちがみんな、一介の高校生に過ぎない泉に「24時間体制でお仕えする」と言われては、うれしいをとっくに通り越して「恐い」の領域にいってしまう。
 だから、それは勘弁してくれと懇願した。

「頼むから、こういうのやめてく、ださい……」

 ぞろぞろとお付きの人を後ろにつれて歩いていては、一時も心が休まる気がしない。
 生まれながらの王さまではないのだ。おはようからおやすみまでずっとたくさんの人間に見つめられていてはおかしくなる。
 天文学的な倍率を突破して、これからこの船の上で一ヶ月半に渡っていくら好きなだけ贅沢できるからと言って、いきなりは無理だ。それに、そんな環境に慣れて現実復帰できなくなるのもコワい。
 これでは拷問と言えなくもない。
 とはいえ、それではこの企画の趣旨に合わないし雇われた自分たちが困る、と言われてしまう。

「だめなら、そいつ。そいつ一人だけで。ホントにいっぱいぞろぞろはやだよ……です」

 指差した先にいた長身の男は、一か月半だけの泉の期間限定使用人たちの中で最も若く……おそらく泉と年齢がそうは変わらない感じがした。
 見立てが間違っていなければ、きっとまだ十代だ。二十代に入っていたとしても絶対まだ前半。
 居並ぶ大人たちは、当選者のその申し出に少し心外そうな顔をする。
 だが、いくら申し訳なく思ってもこれは譲れない。
「ああ、ごめん……なさい。それがあなたたちの仕事だってことはわかってるつもりなんですけど。やっぱ、オレ、あんまり大勢にちやほやされたらなんとなくくつろげないっていうか。こういうの慣れてないんです。本当にすみません」
 思い切って頭を深々と下げる。
 と、まっすぐに並んだ大人たちが一斉に「泉さま、顔をあげてください」「そんな、こちらこそお気づかいさせてしまって」と恐縮する。
 見まわしたところテレビカメラの1台もない。
 名だたる大企業数社の提携による全国紙の全面広告を使って募集した企画なのだからてっきり密着なんとかみたいな話なのだろう、と親も口々に言っていたのにそうではないらしい。
 これが怪しげな名前の主催なら両親も一ヶ月半もの一人旅を許してはくれなかっただろうが、冠企業はいずれも日本を動かす超一流企業のみときている。見れば某財閥系傘下企業ばかりだから、つまりはそういう特殊なイベントなのだろうと、母親は頷いた。
 それで泉にとって初めての長期旅行が決行される運びとなったのだ。
 それにしたって豪華客船に、たったひとりの乗客になるとは思ってもいなかった。
 だが、後悔はしたくない。
 なぜ、こんな企画が成立し実行されたのかは知る由もないが、泉としてはせっかくのまたとないだろう機会をできる限り楽しみたいと思っている。
 問題は本当に洋上でひとりきりになることで、そうなると早晩楽しいはずの生活に飽きがくることが予想された。
 洋上の淑女と言ったって、たったひとりきりの生活をそうそう癒せるわけもない。話相手が欲しい。一緒に遊ぶ仲間が欲しい。
 幸い、泉が見つけた男は人相だけなら悪くない感じがした。
 一応、泉に仕える立場の人間らしいがそういう垣根はこっちが命令して取り払ってしまえばいい。
 少なくとも、親みたいな年齢の人間たちに始終かしずかれるよりは、同じ位の年齢の人間と一緒にいた方が、居心地の悪い思いをせずに済みそうだとも思った。
 いくらそういう権利をもらったからと言って、自分よりもはるかに年上の人間にあれこれ世話をしてもらうのも気が引ける。ましてや女の人になんかとてもとても。そんな心臓は持ってない。
「……泉さま、しかしこの者ひとりきりでは十分なご奉仕ができかねることになりはしないかと……」
 心配そうな声でいかにも『ザ・執事』といった風情の男に言われたが、ここは引き下がるわけにはいかない。
「あー、オレ、悪いけど家でもあんまり構われんのすきじゃねえ……ないんで。それにこの人のこと影からサポートはしてあげてやってくれたらそれで、仕事は十分果たせるんじゃないかと思います」
 泉の返答に執事はようやくにっこり微笑むと「それが、泉さまのお望みとあらば」とマンガの中の人のように丁寧に会釈した。
 それで泉はようやく、一ヶ月半のパートナーに向き直る。
「……ええと、名前、なんての?」
「浜田……と言います」
「そっか、浜田。そういうことだから。これから一ヶ月半よろしくな。面倒頼むわ」
「……ひとつ、よろしいですか?」
「なんだよ?」
 もしも面と向かって「やっぱりそれは困る」と言われたら、なんだか必要以上に傷つきそうな気がして、泉は身構える。
「なんで、オレなんですか?他にもたくさんの方がいらっしゃるのに。理由がわかりません……」
「年齢が一番近そうだから」という答が即座に浮かんできたが、それではなんとなく居並ぶ連中に失礼な気がして、泉は少し躊躇した。
「なんかお前、いい感じだから……かな?多分オレとの相性がいいんじゃないか、って思ったんだ。一ヶ月半顔をずっとつきあわせていくのに、初対面の印象って大事じゃね?」
 それを聞いた浜田はにっこり笑った。
「わかりました。どうぞ、よろしくお願いいたします」
 その笑顔はなんだかひとなつっこい。なんだかこの男が泉と同じ学校に通う同級生だったとしてもおかしくないようなそんな気安さがある。
 まさかの事態に緊張しきっていた分、ほろりと心がほどける感じがする。
「なんなりとお申しつけください。泉さま」
 浜田は丁寧にお辞儀をしてみせた。
「ああ、ちょっと待った。浜田、年齢いくつ?」
「泉さまよりひとつ年齢上です」
「なら、オレのことは泉って呼んで、タメ口きいてくれよ。オレ、敬語の会話すっとなんかキンチョーする」
 そう言うと、浜田は屈託なく笑った。
「ですが……」
「だめだめ。これは命令、な?」
 こんな豪華な船に、同じ庶民臭の漂う人間がいたなんてこと自体がラッキーだ、と泉は思った。
 船旅を快適に過ごすためにも、浜田とは主従関係よりは一緒につるむ間柄になりたい。
 そうして、泉の旅は始まった。



 泉はストローでオレンジジュースを一口吸い上げると、尋ねた。
 船上生活に入って三日目。
 最初が肝心、と徹底的に人払いをしたおかげで今や本当に声と視線の届く範囲には浜田以外誰もいない環境を作り上げることができた。
 泉の生活の全般は浜田に一任され、必要なことがある場合にのみ世話をしてくれる人間が現れる。
 あまり気を使わなくていいのは助かるが、なんだか映画の中に迷い込んでしまったみたいで、まだ落ち着かない。
 実質二人っきりで毎日を過ごしている浜田との共通の話題を見つけたくてもうずっと、泉は浜田を質問攻めにしている。
 ところが、この男は案外口を割ってくれない。
「……なあ、なんで浜田はこの船乗ってんの?」
「だから、それはヒミツ」
 口調はタメになったものの、浜田が泉に仕える立場に変わりはない。
 ジュースをテーブルに置いた後、そっと傍らに佇んでいる。
 泉はデッキチェアーの上で身をよじると浜田に顔を向ける。
「だって、お前はオレに仕えてんだろ?なら、言えって命令されたらそれは従うもんじゃねえの?」
「残念だけどな、泉に従う以前にこの船の人間がやってはいけないこと、話してはいけないことっていうのが決められてんの。オレの乗船理由はその中の『いけないこと』のひとつだから、ダメだ」
 この三日間、話し相手と言えば浜田しかいない。
 結構人好きがして、仕事だけとは思えない面倒見のよさがこの男にはあることくらい、あっという間にわかった。
「別に、オレのことなんか深く知らなくたっていいだろ?身の上話を聞いてなくたって、キャッチボールの相手はできっぞ」
「そうじゃなくてさー・・・・・・」
 泉の瞳に映る相手が浜田しかいない以上、もっと知りたい気持ちが芽生えるのは当たり前のことだと泉は思う。
 楽しみたい、という気持ちは強くあるが、泉にとってはこれが初めての一人旅で、しかも慣れない船の旅。さらには他にふたつとない希少な境遇の時間を過ごしている。
(不安なのかなあ、オレ)
 危険な感じは全くしないものの、どことなく心が定まらない感じがある。
 唯一、傍にいてくれる浜田とそのくだけた話口調だけが細い糸みたいに泉の前にぶら下がった安堵なのかもしれなかった。
 浜田はキャッチボールでいい球を泉に放れる。手に返る気持ちのいい衝撃は中学の部活連中の中でもなかなかいなかったレベルで、その点でも泉は満足だ。
 あまりにも豪華すぎるけれども、浜田といると修学旅行にでも来たような気分になれる。
 昨日はデッキから釣りをした。
 もちろん一匹の釣果もなかったが、二人してかかるはずのない魚の手ごたえを待ってぼんやり釣り糸を海に垂れてること自体がなんだかやけに楽しくて仕方なかった。
「なんか、浜田って昔っからオレの友だちだったみたいに思えんだよ。でもなんか、オレ、あんま浜田のこと知らないだろ?そういうのがなんか……もどかしいっつーか」
 言いながらなんだか、恥ずかしくなってくる。
 二人きりのプールサイドで何を言っているんだろうか、と唐突に思った。
 それで、慌てて浜田を見ていた瞳を逸らしてもう一度デッキチェアに寝そべる。先ほど持ってきてもらったばかりのジュースでまずは焦る気持ちを鎮めようとグラスに手を伸ばした。
「あ……」
 しっかりと掴まなかった、と思った瞬間、優美なフルートタイプのグラスは床に落ちて砕けた。
「……なにやってんだよ」
 慌ててガラスのかけらを拾おうとした泉を制して、浜田が進みでる。
「指を切るといけないから。泉は手を出すな。ガラスはそっちには散ってねえな?」
 言いながら、お仕着せのポケットに入れてあった携帯を取り出すとあっという間に人を呼んでしまう。
「ごめんなさい……」
 ほどなくしてやってきた女性メイドは、仕事をするチャンスと言わんばかりの鮮やかな手際で、一瞬の内に砕けたグラスも床にこぼれたオレンジジュースも片づけてしまい、何事も起きなかったかのようにテーブルの上には新しいオレンジジュースが輝くことになった。
 浜田はその短い時間、泉が気を回してメイドの仕事を奪おうとしないようにぬかりなく視線を送り続けていた。
 泉は、なんとなく水着の上に羽織ったタオル地のパーカーの前を合わせた。
「ごめんなさい……」
 また元の静けさが訪れると、なんだかいたたまれないような気持になって泉は浜田に小さな声で謝る。
「別に気にしなくていい。なんで?」
「なんでって……よけいな仕事させたし……」
「逆に彼女は自分の仕事ができて張り切ってるようにオレには見えたけど?」
「でもなんか、こういう時は怒られた方がすっきりする」
 誰も泉を叱らない。
 みんながたかが高校生の自分を「泉さま」「泉さま」と呼んで大事にしてくれる。
 それはやっぱり、結構なストレスとなって泉の身体の中に溜まっていたのかもしれなかった。
 浜田がにっこり笑う。
「じゃあ、叱ってやろっか?」
「……ばか、なんだよそれ……」
 浜田は近付いてくると、デッキチェアの横に膝をつく。それで泉と目の高さがあった。
「……叱ってほしいか?」
「あ……」
 喉が、からからに乾いていることにたった今気づく。
 浜田はこの数日一度も見せたことのない表情をしていた。
「叱ってほしかったら、叱ってやる。そう望めばいいんだ、泉は」
 どくどくと心臓が鳴りはじめる。
 急に自分が崖っぷちに立っているような気がしてきた。
「叱って……」
 泉は自動的に唇を動かす。

「叱って……欲しい……」

 浜田は満足げに笑う。
「お前、かわいいな」
 ささやくように言うから、普段見たことのない表情でそう言うから、なんだか泉の中にある何かがおかしな回転をはじめてしまう。
 みんな、浜田のせいだ。
「もしも、さっきの人が戻ってきたら……」
 不安を口にしてみれば、浜田はなんでもないことだと笑う。
「パラソルの影に隠れてるから、平気だろ」
 そんなわけがない。
 他に人のいないプールサイドの情景は、きっとどの角度からも素通しだ。頭上の太陽だけはもしかしたらパラソルの下で繰り広げられる行為を盗み見ることができないかもしれないが。
 それでも、つっぱねることなど思いもよらない。もしも、浜田を拒否したら、この先一か月以上も泉は洋上でひとりぼっちになってしまう。
 命令して、浜田が傍にいてくれることはあっても気やすい言葉を二度とかけてくれなくなるかもしれない。
 そう思った瞬間、恐怖にもにた気持ちが心を駆け抜けた。
「叱るだけでいいのか?」
 ぞくぞくとした、今まで覚えたことのない感じが身体の中で蠢きだす。
 泉は動けない。
「……オレのこと、もっと知りたいんだろ?話すことはできないけど、教えてやることなら、できっぞ」
「どうや……て……」
「わかんだろ?」
 にっこり笑う。
 浜田のその笑みは、この数日泉が頼りにしていた細い糸のようなそれではなくて。もっと違う。
「オレは、泉に仕える身だから。お前はそうして欲しければただ命令すればいいんだよ。できないことでなければオレは従う」

「……浜田」

 どくどくと、皮膚のすぐ下で心臓がいやに大きく鳴っている。
 唇が勝手に動く。
 きっと、この環境のせいだ、と泉は思う。
 世界には今、たった二人きりしかいない。

 泉が自らそう望んだ。

 まだたったの三日だ。
 たったそれだけの時間、二人の世界に閉じ込められて浜田だけを見ていたら、もうこんな風になった。

「オレは……浜田のこと……知り、たい……」

 浜田の目が細くなる。
「方法は?」
 だめだ、と心の奥が叫ぶ。
 きっと、次の言葉を口にしたら後戻りできなくなる。わかっているのに、唇が泉を裏切る。

「浜田にできる方法なら……なんでもいい……」

 浜田の顔が泉に影を落とす。
 そのまま吸いつくようにして唇が落ちてきた。目を開けたまま受け止めて、勝手に乾ききった口内に入り込んでくる見知らぬ熱い感触に震える。
 パーカーの両肩を、ぐっとデッキチェアに押し付けるようにしてつなぎとめられ口内を好きに蹂躙される。
「ん……んん……っ!」
 キスをしている、と意識した途端泉の思考が停止する。目を閉じたのはどうしてなのか、自分でも理由が浮かばない。
 そうして視界に映るものから逃れたら、より口内を貪りつくすその感触に支配されることになった。
「ぷはぁ……っ」
 一度離れると、吸われたばかりの唇を指がなでた。
「……この船に乗った途端から、オレのことしか見てないってのはどうなんだよ、それ?」
「それは……っ!」
 同じ年代らしい人間が浜田の他にいなかったからだ、と言おうとしたのにまた唇を塞がれた。
 舌で口内を弄られるのに任せているだけなのはしゃくに触る、と思って自らも浜田の舌に悪戯をしかけてみる。
「ん……ふぅ……っ」
 途端に、からめとられていやらしい動きの餌食になる。
(気持ちいい……)
 どうせ、誰も見ている人間はいないのだ、と思ったら少し気が楽になる。
 何より、初めてのキスは心地がよかった。心の奥に不安を隠した旅の途上で、少しの間身を任せて楽になれる、と思うほどに。
「ん……っ!」
 浜田の手が、パーカーの裾から入り込んでくる。
「いやなら、いやだって言え。オレは、泉の命令には従う」
 耳元でそう囁かれ、ぞろりと舐め上げられた。
 それだけでどうにかなりそうに心地がいい。
「あ……」
 布の隙間に割り込んだ手のひらは、裸の胸をなぞるようにして進み、小さな突起にたどりつく。
「ん……っく……」
 キスを繰り返しながら、浜田の指先は捏ねるようにして胸の先端を刺激していく。つまむように、ひねるように、あるいは押しつぶしてそのまま何かをすりこむように。
 泉は鼻を鳴らしてその愛撫に耐えた。
 いやだ、と言ってしまえばこの行為はたちまち終わりを告げ、浜田はきっと何事もなかったかのようにデッキチェアの傍らに佇むのだと思ったら「否」の声もあげられない。
 全身で、浜田が触れてくる部分から広がる甘い刺激を貪っているようだった。
 小さな音を立てて、パーカーのファスナーが下げられる。
 それだけで、水着姿の泉の上半身は簡単に白日のもとにさらされてしまうのだ。
「あ……ッ」
 声をあげたのは、浜田の舌が首筋をなぞりそのまま乳首に吸いついてきたからだ。
 プールサイドには他に誰もいない。
 泉があえて、みんな遠ざけてしまった。
 広い広い海の上、この世に二人きりしかいない心地になる。
 浜田の手が下腹に伸びる。
 水着の上から触れられて、一瞬その手を押しやろうと浜田の手に触れた。と。
「叱ってほしいって、そう言ったよな?」
 囁くように、たしなめられれば身動きできなくなってしまう。
 泉のそこにあてがわれた手は、はっきりとした意思をもって蠢く。
 ただ、それに翻弄され信じられない甘い声が喉奥からひっきりなしに漏れるのをとめれなかった。
「あ……」
「やめてほしけりゃ、言えよ」
 泉は夢中で首を横に振る。
「もっと……浜田の、こと……教え……ろ……ッ!」
「上等……」
 浜田は楽しげにそう言うと、さらに深く泉に触れてくる。
 もう、何も考えられなかった。
 そうして泉は、初めて他人の手で達することを覚えた。


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