アヲナツ




 真夏だ。
 泉は野球部の練習につきあって泥まみれになった浜田と二人して、ぼろぼろ状態で家に帰る途中である。
 今日は午前に練習試合。午後からみっちりグラウンドを使った守備練習というごちそうさまコースだった。
「だあああああ! っちい!」
 泉が夜空に向かって吼える。浜田は苦笑して「叫ぶな、叫ぶな。夜のお散歩中の市民のみなさんのメイワクだ」とたしなめる。そうして公園の一角で煌々と輝く自販機を指さした。
「ほら、あったぞ。ジュース買ってこい」
 泉は思いっきり浜田をにらみつけた。



 部活連中と分かれてから、なぜか泉と浜田は自転車レースをすることになった。もちろん負けた方がジュースをおごる。当然だ。
 なにが悪かったかといって、大通りから逸れて泉たちの自宅方面に向かう川沿いの道は、夜になるとほぼ無人の自転車専用道路になっているところだろうか。川に沿ってまっすぐ続くそこは二人並んでも余裕で走れる広さとちょうどいい距離を有している。
 等間隔に並んだ街灯が無人の舗道を照らしていて、なんだか二人のために用意されたサーキットみたいだった。
 自然テンションがあがる。
 これでかけをしない男子はいない。

「せぇーのぉー」
「ゴッ!」

 セルフスターターで二者一斉にペダルに体重をかける。
 レースはスタートダッシュの鬼・泉が序盤を制した。浜田も負けてはいない。愛機はどちらもママチャリ。性能的には優劣つけがたい。
 中盤にさしかかり、丸一日のごちそうさまコースをがっつり終えた疲れが泉の方に出はじめた。対する浜田は今日は練習の中盤以降からのおつきあいだ。
 現役運動部員と退役軍人。
 最初、勝敗の行方は明白に見えたのだが、スタミナが切れた泉はさっきコンビニで補給したばかりのエネルギーまでもが途中で燃え尽きるのを感じた。気がする。
 後半失速しながらも、必死に浜田に食い下がったが、わずかの差で相手に勝ちを譲ることとなってしまった。
「おっしゃーーーー!!!!」
「っくしょ! 老人に負けた!」
 勝利の咆哮と敗者のうめきが夜の川縁に響いた。
「しかも、すっげー無駄に疲れた……」
 泉はハンドルに身体を預けてぜいぜいと荒い息を吐く。
「まだまだスタミナ足りてねえなあ。ほれほれ、ジュース、ジュース♪」
 歌うように言う浜田に、泉は恨めしげな目を向けた。
「てめぇ、オレが今日監督にどれだけ走り回されたか知ってんだろ?」
「知ってるよぉ。見てたし。よくがんばって食らいついたな。失策ゼロ。立派なもんだろ」
「がんばったって、全然思ってない言い方がムカつく……」
 踏ん張りきれずに力が抜け落ちていくようなスタミナ切れの感覚ほど、情けないものはない。
 たぶんまだあの舗道に、自分のスタミナは転がっているのだと泉は思う。
 心当たりの場所に自販機の灯りを見つけて、二人は押しがけの自転車を停めた。
「なにがいい?」
「炭酸。その辺座って待ってっから。買ってこい」
 浜田の即答に泉は「そーゆーとこもムカつくんだよなあ」とぶつぶつ言いながら自販機の方に歩いていく。
 だが、歩きながら自然ににやついている。
 なぜだろうかと思って省みたら、なんということはない。中学時代の先輩後輩としての会話を思い出したのだと、自覚した。
 そういえば、今日の浜田は髪を後ろでひとつにしばっている。試合の時は外していたが、練習の時は中学時代もよくそうしていた。
 市内ではそこそこ強い野球部だった。鉄の掟というほどでもなかったが、泉を含めて大概の連中は自主的に坊主にしていた。
 だが、浜田は部員の中でも例外的なほど髪が長めだった。
 そうしてそれを自然に許されるだけの存在だったのだ、あの男は。
 マウンドに立って、試合を背中に全部背負っていた。
(あのころはマジ、かっこよかったのになあ……)
 浜田がエースだった中学当時、野球部の中で一番チョコをもらってたのを泉は知っているし、卒業式で学ランのボタンが全部強奪され、仕方がないからと生徒手帳を破って女子に分け与えていたのを見ている。
 なぜか泉も一枚、生徒手帳の切れ端を無理矢理受け取らされた。
 もらったのは身分証明写真のついているページで、やけにむすっとした顔で写っているそれを見てつい笑ってしまい、先輩だった浜田に小突かれた。押しつけられたのに「なんだよ」と思ったが、他でもない浜田が自分のために何かをくれたことそれ自体がちょっとうれしかったのを覚えている。
 今は過日の面影もない。
 ギオンショウジャノカネノコエ、だ。
(ことも、ないかな? たぶんオウエンダンチョーとかやってんの見たら、女子人気あがるかもだし)
 コインを投入し、いくつも並んだジュースの中から浜田希望の炭酸を選ぶ。自分は無難にスポーツドリンクにすると、両手に一本ずつ持って浜田のいる場所に戻る。
 もちろん、炭酸の方はできる限り振っておくのは忘れない。他人に炭酸を頼むということは、この儀式はアリだと納得しているようなものだ。
 だから、泉は悪くない。
(浜田はばかだけど、背ぇでかいし。そーゆー意味で気づかれたらモテんのかもな)
 つらつらと考えて、改めてムカついたのでさらにペットボトルを思い切り振ってみた。
 少しも気が晴れない。
「お前なあ……炭酸を振ると泡が大変なことになるとか噴水になるとかもちろんわかっててのいやがらせなんだよなあ」
 歩きながら過激にシェイクしていたのは丸見えだったらしい。芝生の上に座っていた浜田がイヤそうに言った。
「そんなに振ってないぜ」
「ウソつけ」
 手渡したペットボトルを浜田は慎重に脇に置いた。泉は「ビビんなよ」と笑いながら隣に腰を下ろす。
 夜の芝生は、空気がどんなに蒸し暑くてもなんとなく心地よい。
 泉は自分の分のペットボトルを開栓すると、一気にあおる。
「泉、泉、ちょっとちょうだい」
「やだ。おごってやったんだから自分の飲めよ」
「イヤお前、今この炭酸開けたら悲劇が起きんのわかっててオレにはできないって」
 浜田が苦笑する。
 泉は笑って男らしくペットボトルを差し出した。
「そっちじゃなくて」
「……?」
 首を傾げたら「あ、ちょうどいい」と浜田が含み笑いをしながら唇を重ねてきた。
「……」
 久しぶりのキスだな、と泉は思う。
 ぞくりとした。
 多分浜田は意識していないだろうが、髪をしばっている浜田とのキスは中学時代の憧れの人にそのまま重なって、よりぞくぞくする。
「炭酸、まだ飲めねーし……時間あっぞ? 明日も朝練?」
「当たり前……ちょ、待て……蓋閉める、から……あと、いくらなんでもここヤバい。ちょっと奥行くぞ」
(こいつは、オンナにモテたらこういうのやめるのか?)
 荷物ごと引きずられるように、灌木の裏側に連れて行かれた。そうして、もみじの木の根本で唇を重ねる。
 ほんの少し、こちらをのぞき込む気になればすぐ目の前の舗道からキスをしているのが見えてしまう。
(浜田ん家、来いって言えば行くのに)
 それほどの時間も待てないと唇を吸われるのは、泉の中のなにかがくすぐられる。
「ん……ふ……ッ」
 浜田とキスをするのはこれで何度目になるのか。
 すぐに物足りなくなって、舌が咥内に入りこんでくる。浜田の身体がのしかかるようにして泉に多い被さった。
 芝生の上に押し倒されて、さらに深くキスをする。
 くらくらするほど気持ちがいい。
(なんか……やべぇ……浜田、髪しばってっし)
 それは単なるこじつけだ。
 手を伸ばして結び目のところを撫でるとそれでも、泉の中で一気にいろんなものがあがっていくのがわかる。
 浜田も少し興奮気味で、挿しこまれる舌が咥内を舐めつくそうと暴れまわっている。
 予感がした。
 キスが久しぶりなのだから、それ以上のことなんてもっと久しぶりだ。
(少しお預け長すぎたか?)と、泉は思う。
(今日、なんだかコエーぞ?)
 はじめて身体を繋げてから、セックスまでできたのはほんの数回だ。
 さすがに夏大が終わるまではストイックに行かなくてはだめだろうと思ったのだが、やっぱりムリがあったらしい。
(まあ……いっかな……明日は、朝練とミーティングだけだし。てか、走れっかな? 平気か? この前した次の朝わりと走れてたし)
 頭の中でぐるぐるといろんなことを考える。
 そうしてまた、浜田の髪の結び目を撫でた。
(……オレも、してぇ……かな?)
 自然とそういうときの役割は、泉が抱かれる側と決まっていた。
 浜田とこういうことをするようになるとは、春の段階では思っていなかったのだがなぜかそうなった。浜田の方はそうでもないようだが、泉にとっては「なぜか」としか言いようがない。
 そんなつもりはなかった。それは間違いないのに。
 とはいえ、そうなったことに対する後悔がないのが泉の中ではひどく不思議で、反面水が流れる先に当たり前にたどり着いたんだな、という感もあった。
 なんだか何もかもが曖昧でぼやけている。いや、わざと自分の中で鮮明にしないようにしているのかもしれない。
 泉は浜田の背中に腕を回してぎゅっと抱きよせる。それが、OKの合図だと泉は勝手に決めていた。
 はじめての時も、次の時もそうだった。
「泉……」
 欲しがる時の浜田の声は掠れて甘い。
 悔しいが「ちょっと色気あんじゃね?」とさえ、泉はこっそり思っているのだ。
 なんだか腹立たしくさえ思える。
 泉は自分の上にいる浜田の髪の結びめを指で撫でた。
「あんま、時間かけんな。明日、集合いつも通りだから」
「……っ!」
 少しだけ、浜田の表情が歪んだ気がした。
 すぐに唇がふさがれ、声が奪われる。
 浜田の手が、Tシャツの裾から入り込んできて、少し身体がはねた。
(なんか……すご……)
 浜田と違って、泉自身は結構部活で完全燃焼できている部分もある。だが、実を言えば試合が組まれている日は爆発的に「したい」という気持ちが強くなる。
 今のところ西浦は練習試合全勝だ。勝ったあとはすごく興奮するし、疲労とは別ワクで何かが暴れている感じが一晩中続く。
 試合で活躍したときはことさらそういう症状がひどくなる。
 結局朝方まで眠れず、一人で処理することも少なくない。
 サカってるな、と夜中にこっそり汚れた手を洗う時に泉はよく思う。
「今日は、挿入れないから……」
 耳元にささやかれると、泉は首を横に振った。
「だい……じょぶ……から、挿入れろ……」
(ホントにひでえなぁ……オレ、インランなんじゃねえの?)
 自分の発言にめまいさえ覚える。
 ほんの春先まではこんなこと知らなかった。
 のしかかる浜田が泉の言葉に反応している。
「泉、でも……」
 ためらう響きは浜田が自分を気遣っているからだ。明日もあさっても、野球部の練習はあるし、大会だって目の前だ。
 西浦は部員数が少ないから、泉が多少の不調でもレギュラー落ちはない。とりあえず西広との間にあるアドバンテージは、今はまだかなりある。
(部活なめてるわけじゃ、ねえけど……)
 今日は試合で4の3だった。久しぶりに打点を2つけた。セーフティースクイズもぴったり決めた。
 ならば、ほしいものをねだってもいいはずだ。たぶん。
 泉は手を伸ばして、浜田のそこに触れる。布の上からゆっくりと動かすと欲しい熱がびくびくと脈打っているのがわかった。
 ほっとする。
 自分と同じ気持ちを浜田が持っているとわかった。
 ならば、あとは口説くだけだ。
「いい……オレ……したいんだけど……ダメか?」
「ダメじゃねえよ」
 浜田の声に熱が混じる。
「けど。練習……」
 浜田の着ているTシャツの裾から手を突っ込んでたくしあげ、目の前の突起に吸いつく。
「どーせ、帰ってヌくんだし。最近……だし」
 ごろりと青い芝生の上に転がって、身体の位置を入れ替えた。
 そのまま獣が獲物をむさぼり食らうみたいにして、浜田の肌に吸いつく。
「最近、なんだよ?」
 浜田の問いかけに苦笑しながら、履いているハーフパンツの前を広げて、手で握りこむ。他人のそれは自分のよりもずっと熱くてずきずきと脈打っているように思う。それから、ゆっくりと上下にしごいた。
「……んー、前だけだとイマイチノリきれなくてさ……」
 その先を言うのが恥ずかしくなって、手の中で立ち上がっていたものに顔を近づけた。
 舌を突き出してぞろりと舐めあげると、浜田が快感にうめく声が聞こえて小気味よい。
「……結構、後ろ慣れたって……思ってんだけど」
「マジ?」
「たぶん……もうそんなに、抵抗は……ないっていうか。時々ヤバくなることあるし……」
 言いながら咥内に深くくわえ込む。
(そもそも、こーゆーのに全く抵抗ないって、ヤバくね?)
 泉は咥内を窄めるようにして、頭を上下する。
 浜田とは元々幼なじみで、お互いの裸くらい何度も見たことがあった。
 なんとも思わなかった時の方がまだまだずっと期間が長い。
 だが今は、浜田の裸に興奮する自分がいる。
 たとえ一億積まれたって、野郎のモノなんかしゃぶるのはごめんだ。だが、浜田のそれには躊躇なく愛撫を施すことができる。
(てゆーか、オレ、嫌いじゃねーんだよなあ。これ)
 泉の愛撫に快感を覚えて浜田が悶える様子を見るのが結構気に入っている。
 できればこの顔は独り占めしておきたいし、他人に見せるなんて絶対に許せない。
 そう、本気で思うのだ。
 でも、一番気に入っているのは。


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