●● バスタイム・ラヴァー〜1 ●●
世の中の男は二派に分かれる。
パートナーと一緒に風呂に入りたがる派と入りたがらない派だ。
以前どこかでそんな話を聞いて以来、佳主馬の中になんとなく引っかかっていた説である。この頃その話をよく思い出すのは、やっぱりいろいろと思うところがあるからだろう。
「髪、一度流すよ?」
「ん……」
佳主馬は健二に声をかけるとシャワーヘッドを手に取る。
(僕は一緒に入りたいけど)
うつむいた髪を一旦湯で流すと、シャンプーで泡立てた。向かいあって風呂場用のいすに座っている恋人の髪を、丁寧に丁寧に洗っていく。
(健二さんはどうだろう?)
指の腹で頭皮をマッサージするようにこすってやると、甘い香りの泡が立つ。滑らかな感触でくすぐられる指が心地いい。強く目をつぶって泡が目に入らないようにがんばっている健二の姿は、きっと小さい頃はこうだったのだろうと見知らぬ時代を連想させてくれる。それもまた、心躍ってしまう。
他人の髪を洗うのがこんなに楽しいだなんて、健二と一緒に暮らしはじめるまで知らなかった。というより、考えたこともなかった。
「かゆいとこ、ない?」
「大丈夫」
佳主馬は健二の髪を洗うという行為がとても気に入っている。性愛とは別のかたちで愛撫していることが内側をいっぱいに満たす甘い満足を呼ぶ。
頭頂部、耳の後ろ、後頭部、生え際。
時折髪全体を泡でもみ込むようにしてやるときめの細かい泡がまた立つ。
「気持ちいい?」
「ん……佳主馬くん、上手」
ほめられるとやっぱりうれしい。自然に笑みが浮かんでしまう。
部屋を選ぶ時に大きめのバスルームにこだわったのは、数名が一度に入っても耐えられる広さの上田の田舎の風呂が好きだからだ。その判断を佳主馬はつくづく炯眼だったと自負している。
こうして洗い場に2人でいても、割といける。湯船も一人なら足を伸ばせるくらいだから一緒に入っても大丈夫。
学生の身分でこんなに広いマンションは贅沢だと健二は尻ごみしていたのだが、佳主馬が学業の傍ら開発の仕事をする場所を自宅におく関係で、ある程度の広さが必要だと主張してそれが通った。
おかげで十分なスペースを確保できている。
と、同時に佳主馬は少し心配にもなる。
年齢上の恋人には、いつでも妥協ばかりしてもらっている気がしてならない。
健二はどちらかと言えば控えめな人で「派手なのは気が引ける」とよく言っている。その言葉に嘘偽りがないのは、佳主馬自身もよく知っている。そういうところも含めて、めろめろなのだ。
家賃は最初に健二が「これくらいなら出せる」と言った額を出してもらって、残りの実質三分の二以上を佳主馬が払っているかたちだ。
もしかしたらそのことは健二の矜持を傷つけているのかもしれない。
時々、どうしようもなく不安になる。
健二は、主張の強い佳主馬に引きずられて自分の意に添わなくても「OK」と言っていてくれるのかもしれない。
一体どこからどこまでが健二の意志で、どこからが佳主馬に引きずられてのことなのか。
そう考えると怖くて仕方がない。
あまり強い主張を出しっぱなしにするタイプではないが、反面こうと決めたらかなり頑固でしぶといことも知っている。そういうところに惚れた。
だから、家のことも一緒の風呂のことも……セックスの誘いをかけるのも佳主馬の言い分ばかりが通るのは、心苦しいと同時に不安になる。
もう、健二と離れることなど佳主馬にはできそうもない。
どうしても、あと一歩を踏みこんで問いただすことに対して尻ごみしてしまう部分がまだある。
二人住まいをはじめても、健二のすべてが見えるわけではない。誰より近くにいても、いつでも心を探している。
何分これがはじめての恋愛だから、佳主馬は時々あまりにも臆病だ。
知りたいのに、はっきりさせるのが怖くてたまらないことがとても多い。
「もう一度、流すよ?」
「はい」
シャンプーの泡をすっかり流してやる。健二の髪に指を入れて隅々までシャワーの湯を行きわたらせる。時折はずして呼吸の間をとってやると、息を吐く音がする。
その弛緩ぶりが佳主馬を心楽しくさせる。
いつまでもこうしていたい。
「健二さん、気持ちいい?」
「うん」
短い問いかけに短い返事をくれる。
「ホントに?」
「うん。気持ちいいよ。佳主馬くん、シャンプー上手」
声に笑みが含まれているのを確認して、ようやく安心する。
ドラッグストアで売ってる一番安いヤツ。が基準のシャンプーの香りが、途端に極上の芳香に変わる。
軽くタオルで濡れた髪を拭いてやる。目を開けた健二がにっこり笑った。
「次、佳主馬くんの番だよ」
「え、いいよ。僕は自分でやる」
「僕ばっかりじゃやだよ。今度は僕が君の髪を洗うんだ。結構楽しみにしてるんだから、やらせて」
そう言われて少し照れた。
(楽しみにしてるとかって……)
それでは健二も佳主馬と同じように、指の間を恋人の髪が滑る感触が気に入っているということだろうか。
そう思うと、気持ちが強くなる。
それで、前から少し気になっていたことを尋ねてみる気になった。
「健二さん、訊いてもいいかな? あのさ、僕と一緒にお風呂入るのとか……やじゃない?」
「いや? なんで?」
まともに訊き返されて言葉に詰まる。
「なんか、健二さんこういうのって……イヤがりそうな気がするから」
健二は応えずに「髪、流すよ」と佳主馬の髪をシャワーで濡らす。
それから同じ香りのシャンプーを使って、髪を泡だてはじめた。
「うん……正直言って、僕はこういうの照れるし、少し恥ずかしい」
「……」
否定の言葉を口にする割に、健二の指は優しく佳主馬の頭皮をこすっている。
少し長めの髪をゆっくりと泡だてながら、健二は同じ速度で語った。直接頭をこすられているから、注意しないと声が聞き取れない。
「佳主馬くんが『一緒に入ろう』って言うと、どきどきする」
もうお互いの肌を知っている。
佳主馬は健二自身の知らない場所の奥まで入り込み、未知の快楽を暴き立てる。健二はそれを許している。
それでも「照れるし、恥ずかしい」と健二は言う。
恋人と一緒に風呂に入りたがらない派の人間は
「風呂くらい、自由に1人でいたい」
と言うそうだが、健二もそのタイプなのかもしれない。
(やっぱり、無理やりつきあわせてるんだ……)
佳主馬は少し混乱した。
「でも……イヤじゃないよ」
言って健二は「流すよ」とシャワーの湯をかける。泡が流れていく。健二は指を使って丁寧に泡を洗い流してくれていた。
「ホントに?」
タオルで髪を拭いてもらうと、佳主馬は顔をあげてそう尋ねた。
健二は少し照れたようにうなずいた。
「なんか……こういうのって、家族っぽいから。かな? 髪とか身体の洗いっこって、誰かとしたことなかったし。お風呂に入りながらこうやって話をするのもなんか、好きだ」
それから小さく
「でも、なんかこういうの『好き』って言うのって、それ自体がなんかちょっと……恥ずかしい。言われたら、ひくだろ?」
「ひかない。全然ひかない。ちっともひかない。むしろすごくうれしい。てゆーか!」
勢いこんで、佳主馬は言う。
「家族って……健二さん的に、僕はもう家族なんだ」
「おかしいかな? でも、僕の家はここだし。佳主馬くんがいるからここは僕の家なんだし」
健二は言って、スポンジに今度はボディソープの泡をたてる。そうして佳主馬の腕をとってこすりはじめた。シャンプーとは異なる香りがバスルームにまたぱあっと広がる。
「おかしくない。僕にとっても、健二さんがいるからここは僕の家だ」
「なら、よかった」
上半身をあらかたこすってもらうと、今度は佳主馬がスポンジを手にして健二の体を洗い始める。
肌にはいくつもの紅い華が散っている。ひとつひとつ、刻んだ時の記憶を思い出してしまうのは仕方がない。
健二がいぶかしげな顔をした。
下心なら、秒速で伝わる距離だ。
「……変なとこ、触らないでよ? この前のぼせちゃって大変だったろ?」
「うん、でも……もうなんか、反応してるよ? 健二さん?」
言いながらわざと中心の周囲だけを擦ってみる。
「そんなこと、ないから」
佳主馬の手にあったスポンジを、今度は健二が奪い取った。そうして、太腿や脛やひざを洗いはじめる。核心部分には近寄ろうとしないはじらいが、佳主馬にはもどかしくて愛しい。
「はい。後ろ向いて。背中流すよ」
素直に従って背を向けると、少し強めに背中をこすられる。
(あ、なんかちょっとムッとしてる)
決定的な怒りにふれているわけではないことは、健二がバスルームを出ていかないから間違いない。からかわれて少しだけ恥じらっているのだ。
「次、僕の番。健二さん、交代」
かわりばんこに背を流すということは、実は佳主馬も体験がなかった。
親族の中で一番佳主馬に年齢が近かったのは、克彦のところの了平とそれから夏希だったのだが、一緒にまみれてころころと遊ぶにしては5つという年齢の差は少々致命的だった。
合宿を行うような部活動に参加したこともないから、結局この手の経験値はゼロのままだ。
健二の言い分は佳主馬にも理解できる。背中をこすりながら、内側に生まれる恋とは違う部分が感じている『なんとなくいい気分』を、佳主馬はつかの間味わう。
(あ……もう一個、発見)
背中に紅い痕を見つけた。これはつい一昨日佳主馬がつけたものだ。
背後から深々と健二を貫きながら、背中に華を散らした。ちょうどイイところに当たっていたのだろう、健二は佳主馬に噛みつかれたまま達した。
ぞくり、と震えが起きる。
あの時の健二の痴態がいきなりフラッシュバックしてきた。