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● チョコレート・チョコレート〜1  ●




 気がついたら新幹線に乗っていた。
 佳主馬が手にしている紙袋の中には、ちょっと気恥ずかしいくらいにきれいにラッピングされたチョコレートが入っている。

 それはちょっとした偶然だったのだ。

 佳主馬が毎日通る道筋にあるショッピングセンター前に、ある日チョコレートショップのワゴンが出た。
 なんでも有名なショップだとかで、女の人が毎日誰かしらたかっている。
「バレンタインデーまでの期間限定出店なのか」と、目が勝手に情報を仕込んでいた。
 確かに、しゃれたパッケージのそれはいかにも美味しそうで上品な感じがした。
(健二さんはチョコとか、好きかな?)
 ついそんなことを考えてしまったのは、どうしてなのか。
 たとえば、あの控えめできれいなパッケージのチョコレート。ピンクとかハートでごり押ししてこないあれ。あれを渡してやったら、健二は喜ぶのだろうか。
 数日前にふとそんなこを思いついてしまい、以来ずっと「もしも健二さんにあげるとしたら」と考えていた。
 いかにもすぎるものは、きっと渡しても困らせる気がする。あまりにも豪華なのも健二を戸惑わせるだろう。多分どれもこれも、中身はきっと美味しいのに違いないのだから、問題はパッケージだという結論に佳主馬はたどりついた。
 健二にあげるのなら「あれ」と決めてからも数日、佳主馬はワゴンの前をうろうろする日々を過ごした。
 女子が多すぎる。
 しかも殺気立っていて、とても素人の佳主馬が手出しできる空間とは思えない。拳法をたしなんでいるだけに相手の強さのレベルを常に計ってしまうくせがついている。
 チョコレートショップの女子たちの戦闘レベルは相当高い。太刀打ちできそうにもなかった。
 最初は単なる妄想だけで。だが、敵がそうヤワな相手ではないと思い知ってからは、徐々に本気になった。戦うことが好きな性分が災いしたとしか言いようがない。
 Xデーはじりじりと近づく。
 どうしてもワゴンにたどり着く最初の一歩が踏み出せなくて、佳主馬はじりじりとしていた。

 ところが今日だ。今日の今日。

 バレンタインデーの日曜当日になって、ダメもとで最後のチャレンジを試みた佳主馬に女神が微笑んでくれた。
 目の前でいきなり女子の姿がふっと途絶えた。たぶん、ここで躊躇していたらまた新しい難敵が押し寄せてくる、と判断して佳主馬は素早くワゴンにとりついた。
 女の人たちの隙間からこっそり目を付けていたのは8粒入りのそれだ。あまり量が多すぎても気後れされるかもしれないという予測は、妥当なものだろうと佳主馬は思う。
 健二が困ったり迷惑に感じない程度の大きさとパッケージ。
 数日間、ワゴンの周囲をうろついて出したベストチョイスをよどみなく注文すると、さっと会計を済ませてその場からダッシュした。店員とは、最後まで目を合わせなかった。
 そのまま駅までずっと走り続け、そして今、新幹線の中にいる。
 もちろん親には一言も東京に行くなんて言っていない。これは、ここ数日間こっそり計画していた弾丸作戦なのだ。
 佳主馬は駅で購入した紙袋の中に、決死の思いで手に入れたチョコレートショップの戦利品を入れてみた。なんだか、今日この日に「チョコレートです」という自己主張の激しい袋を持ち歩きたくなかった。
 もらったわけではなく、渡しに行く分だからなおさらか。
(驚く……ていうより、キモがられるかな……)
 その可能性はないとはいえない。
 おそらく健二はまたいとこである夏希からちゃんとチョコをもらうのだろうし、そもそも佳主馬が東京に来ることなど予想もしていないはずだ。
 いきなり、ネットでちょっと仲良くしているくらいの知り合いの男が訪ねてきてチョコを手渡したとしたら、普通に気持ち悪がられるだろう。
(このために名古屋からきました。っていうのは、重すぎだからごまかそう)
 多分、チョコレートを渡すために名古屋から東京までわざわざくる人は、たとえつきあっていたとしてもあんまりいないだろうということは佳主馬にもわかる。
 シートの上で身体を丸くしてみる。
 窓際に置いた紙袋を見つめた。
(てか、ホントにチョコとか買ってるし)
 大変な思いをして手に入れたチョコレートが、やけに物騒なものに思えてきた。
(どうしよ……スポンサーに急に呼び出されたついでに健二さんちに寄ってみた。って言うか)
 そして手ぶらじゃなんだからと思って、適当に手みやげを買ってきたというのはどうだろう。
 なかなかいいプランだ、と佳主馬は思う。話の流れに無理がない。
 と、窓のところにおいたチョコレート入りの紙袋を見てはたと気がついた。あわてて、袋の中からチョコレートショップの手提げを取り出すと、絶望的な気分になった。
「ああ……やっぱ書いてある……」
 佳主馬のチョイスは、日本では名古屋にしか出店していないことで有名なショップのチョコレートだった。紙袋には当然のように、アルファベット表記で日本の本店の所在地……名古屋の住所が記載されている。
 紙袋をはずせば、とも思ったのだがよく考えればきっと、箱の中にチョコレートの説明書きが入っているのに違いない。そしてそこには間違いなく、名古屋の住所が印刷されているのだろう。
 思いつきで適当に選んだ、にしては用意周到すぎて健二に気づかれてしまうかもしれない。
 ため息をついて、戻してみる。
 悩んでも今さら仕方がない。特にいろいろ触れずにさっと渡して「じゃ!」と帰ってくればいい。
(別に、告白とか……そういうのするわけじゃないし)
 コクハクという単語を思い浮かべて、佳主馬は頬が熱くなる。

(健二さんのこと、好き……だけど、さ)

 自覚はちゃんとある。
 ただ、状況は絶望的だし戦況を一変できるようなチャンスも策もない。佳主馬は指をくわえて夏希と健二の仲を見守るしかない。
 東京駅に着いた。
 人ごみにまぎれて改札を抜ける。と。
「……?」
 知った顔とすれ違ったような気がして思わず振りむいた。
 だが、ちょうど到着した新幹線の乗客たちが多すぎて判別ができない。

「……健二、さん? な、わけないか」

 そう。今、健二が自分の二つ向こうの改札を抜けて新幹線のホームにいった気がしたのだ。
 ちゃんと訊いたわけではないが、今日旅行に行くような話を健二はしていなかった。チャットやメールを頻繁にしているから、佳主馬は割と健二の近況には詳しい。ましてや、バレンタインのチョコレートを渡そうと計画してからは慎重に動向を探ってきたつもりだ。
 そのあたりは抜かりない。と思う。
(第一、今日は出かけるとしたら夏希姉ちゃんと……デート、とかだよね)
 今日の健二のスケジュール一番高い可能性に思い当って、佳主馬は知らず、ため息をついた。
 健二の家にはほとんど迷わずに辿りつけた。家の前まで来てまた数分躊躇したのだが、思い切ってインタフォンを鳴らしてみる。
 てっきり健二が出てくるものとばかり決めつけていたのに、玄関に姿を現したのは健二の母親と思しき女性だった。
(わ……)
 顔には出ていないはずだが、佳主馬は心の内側で激しく動揺した。
「……あら、健二のお友達?」
 柔らかな色合いのニットを着た女性は、息子の友だちにしては年齢が明らかに低い佳主馬を見て、それでもにこやかに対応してくれた。
 スポンサーに会うときと普段着の中間位のドレスコードを選んだのは大正解だったと、佳主馬はほっとする。
「あ……池沢、と言います。はじめまして。あの、健二さんはいらっしゃいますか?」
「健二はなんだか少し前に出かけたみたいなんですけど。お約束だったの?」
 言われて心が凍った。
(やっぱ、夏希姉ちゃんとデート……か……)
 佳主馬は笑ってみせた。少し、ひきつっていたかもしれない。
「いえ。ちょっと近くまで来たものですから、久しぶりに健二さんに会えたらいいな、と思って立ち寄らせていただきました。夏に、お世話になった陣内の者です。先に約束しておかなかった僕がうかつでした。すみません、突然」
 淀みなくすらすら言葉が出てくるのは、普段から大人と対峙している経験値が生きている。目の前の女性の様子が目に見えて柔らかくなっていく。大人は、礼儀正しい子どもには簡単に甘くなる。
「あらまあ……こちらこそ、健二が何日もお邪魔して申し訳ありませんでした。あの子、何時に帰ってくるかちょっとわからないのよ。中でお待ちになります?」
「いえ。そんなご迷惑かけられませんので、失礼します。あ、健二さんには僕が来たこと、言わないでください。気にしたら悪いんで」
「せっかく来ていただいたのに……ホント、あの子いっつもヒマで家にいるのに今日に限って出かけちゃうなんて、間が悪いわよね」
 恐縮する健二の母に何度も「いえ、僕が悪いんで」と佳主馬は言った。
 言う度に、心が重くなっていく。
 健二は何も悪くないのだが、やっぱりここ数日考え続けていた計画の一番大事な部分でザセツしてしまったショックは大きい。
 健二の家からのろのろと歩いて電車に乗った。
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