●● チョコレート・チョコレート〜2 ●●
東京駅に着いてもさすがにすぐに帰る気にはなれない。手に、チョコレート入りの紙袋を提げたままだとようやく気がついてまた気がめいった。
(どうせなら、おみやげです。って言って渡してくればよかったな)
そうすれば少なくとも健二の手にチョコが届けられた。この数日間の苦悩は、直接相手の反応を知ることこそ叶わなくても多少は報われたはずだ。
(僕は、間抜けだ……)
なんとなく、構内にあるカフェに入ってぼんやりしている。日曜のターミナルステーションは人が多い。
隅っこの席で佳主馬はぼんやりしていた。頼んだジュースがきても、一切手をつけない。視界の中で店内の客が目まぐるしく入れ替わっていっても、動かない。
店員がこちらをちらちら見ているのがわかる。もしかしたら家出少年か何かと思われているかもしれない。
警察を呼ばれたら面倒だな、とかいろいろ考えた。
(健二さん……)
あまりにもがっくりと力が抜けてしまっているのは多分、健二に久しぶりに会えるものだと勝手に決めつけていたからだ。
あの夏から数カ月。
本当に久しぶりに直接顔を合わせることができると、期待していたのだ。すごく。
どのくらい経っただろうか。ふいに、佳主馬の携帯から軽やかな着うたが流れはじめる。
「……健二さん?」
フリップを開けると、夏以降かなりの頻度で見ている気がするリスが「電話です。ケンジから電話です」と話しかけてくる。
リスの表情はなんだか焦っているようで、佳主馬は思わず微笑んでしまった。
「佳主馬くん? 今、どこ?」
耳にあてた携帯から、健二の声がした。
「今……ええと、喫茶店」
「どこの?」
「駅」
携帯の向こうでため息が聞こえる。背後から聞こえてくる物音は、電車の中だろうか。そんな感じだ。
(どこか、出かけてるって。言ってたっけ……)
多分夏希と一緒に。
また心が重くなる。
「……佳主馬くん? 今、何駅にいるの?」
「……東京駅」
言いたくなくてはぐらかしていた事実を口にすると、健二がまたため息をついた。
それでもう、いたたまれない気持ちになった。
「でも、もう帰ろうかなって、思ってところ。会えなくて残念だったな」
「だめ。お願いだから、あと30分……いや、40分か。そこにいてよ。ええと、お店の名前教えて」
健二に即座に却下されて、佳主馬は泣きたい気持ちになった。
「いいよ。夏希姉ちゃんに悪いし」
「夏希先輩? なんで?」
がたごととうるさいBGMの向こうから健二が不思議そうに尋ねてくる。
「だって、今一緒にいるんでしょ? バレンタインだし」
「夏希先輩は今、受験シーズンだよ。会うとかそういう問題じゃないし。第一、佳主馬くんちょっと誤解して……」
言いかけた健二の声がいきなりぶつりと途切れた。
「……? 電波、悪いのかな?」
不思議な思いで携帯を見つめていると、再び着信を知らせるリスのアバターが「電話です。ケンジから電話です」と告げる。
「ごめん。トンネル入っちゃってた」
「……トンネル?」
「もう着くから。いや、もうちょっとか。とにかく、店の名前。それで、絶対そこにいてよ」
不承不承佳主馬が質問に答えると、健二は「話したいことあるから。頼むね、佳主馬くん」と笑って言った。
「ごめんなさい」
顔を見た瞬間、佳主馬の口からその言葉が飛び出す。
約束通り、40分ほどで健二はやってきた。佳主馬の前に座ると、氷の溶け切ったジュースを見て少し困った顔で微笑する。
「謝ることないでしょ? すみません。このジュース下げて、同じものを2つお願いします」
てきぱきと店員にオーダーする健二にもう一度「ごめん」と佳主馬はしょんぼりして謝った。
「なんで謝るの? せっかく来てくれたのに」
佳主馬がいいわけを言う間もなく、完全に「わざわざ」健二に会いに佳主馬はやってきたという認識になっている。
「健二さんのおばさんにも謝っておいてよ。突然押し掛けてすみませんでしたって」
「うちの? なんで? もしかして家まで来てくれたの?」
言われて佳主馬は耳まで紅くなった。
「おばさんから聞いて、さっき電話してくれたんじゃなかったの?」
と、今度は健二が顔を紅くした。
「え、いや……うん、ごめん」
2人で沈黙してしまう。妙な間に、ジュースが運ばれてきた。
「実は……」
言いにくそうに健二が切り出す。
「今、名古屋に行って戻ってきたところなんだ……」
「名古屋?」
あまりにも意外な言葉に、佳主馬は思考停止してしまう。
一年のほとんどを過ごしている土地から離れてわざわざ健二のところにやってきた、よりによって今日、当の相手が自分の土地に行っていた。
それを知って、佳主馬は呆然とした。
(なんか、すごく間が悪いんだ。僕と健二さんは)
少し悲しくなる。だからつい、問いつめるような口調になった。
「何しに行ってたの?」
「……」
健二がうめき声のようなものをあげた。気がした。
どうも、佳主馬に問い返されて次の言葉がうまく出てこないようだ。健二は目の前のオレンジジュースを、ストローで一気に吸い上げる。
それから、息をついてひどく言いにくそうにつぶやいた。
「うん……佳主馬君に、会いに……かな?」
「僕に?」
ある意味、名古屋に行っていた、というのより意外な言葉かもしれなかった。
用事があるのなら、メールやOZでの待ち合わせやいくらでも方法がある。リアルに会いに行こうとすれば、物理的な距離は結構絶望的に広がっているのだ。
それをおしてでも、わざわざ新幹線に乗ったと健二は言った。だから、聞き返さずにはいられない。
「なんのために?」
うれしいというより、不思議だ。
「え……と……」
言いよどんだ健二は、グラスに残っていたオレンジジュースを派手な音をたてるまで一気に飲み干した。それからうつむくと何度も呼吸を整える。
(なんか、言いにくいこと……とか?)
だがその内容は想像もつかない。
顔が紅い。息を詰めては吐き、を何度も繰り返している。
佳主馬には健二のその様子に思い当たるところがまるでない。
じっと、健二の準備が整うのを待っていると、しばらくしてようやく決心がついたらしい。
顔をあげた。心なしか、さっきよりさらに紅くなっている気がする。健二は、隣の空いているいすに置いてあった自分のコートのポケットをごそごそ探る。
「……これっ!」
佳主馬の目の前に、きれいなラッピングペーパーに包まれた小さな箱が置かれた。
「……」
佳主馬はじっとそれを見つめ、それから健二の真っ赤な顔を見た。もう一度、小さな箱に目をやる。
「健二さん、これ……」
「……ごめん」
「そこ、謝るとこじゃないでしょ。てゆーか、これって……アレ?」
健二が小さく頷いた。
「うん……チョコ……」
一気に佳主馬の中で何かがはじけた。
やけに店内が暑い、と思ったらかっかしているのは佳主馬自身だと気づく。
「ごめん……男からって、やっぱキモいよね?」
佳主馬の沈黙を誤解したらしい健二があわてて引っ込めようとするのを「だめ!」と制した。
声が大きかったらしい。一瞬、店内の視線が集まる。それでまた紅くなって「これ、僕にくれたんでしょ? ならもう僕のだし」と、無事に奪取に成功する。
それから、ひざのうえでじっと小さな箱を眺めた。
「あの……なんか、いつもチャットとかで話してるばっかりだし。たまには直接会いに行くのもいいかなあって、ずっと思って。10日、バイトの給料日だったし。そしたら、日曜はバレンタインだし。手みやげにするのにせっかくならチョコにしようかなあって……その、それだけだから」
健二が言い繕う声をバックに、手の中の小さな箱を眺める。
中に入っているのは、この世で一番価値のある宝石よりもずっと貴重なものだ。
「すごく……うれしい」
小さくささやくような声で、ほろりと本音がこぼれ落ちる。
「ありがとう。健二さん……」
わざわざ女の子で溢れかえるチョコレート売場に行ってくれたこと。佳主馬のためにこれを選んでくれたこと。
それを、直接渡すためにわざわざ名古屋まで行ってくれたこと。
全部が宝石よりもきらきらしたものに思える。
「……うん。喜んでくれて、うれしいよ」
とっくに空になっているグラスの中身を健二は必死でストローで吸い上げる。
「あ……」
健二はふと気がついたように、佳主馬に訪ねた。
「そう言えば。佳主馬くんはなんでウチにわざわざ来てくれたの?」
佳主馬は手の中の小箱をなでる。不思議なくらいに何かが内側にあふれてくるのがわかる。
佳主馬は顔をあげた。
「健二さんに……チョコ、もらいにきた」
健二の目がまんまるに見開かれる。
「……それ、ホント?」
うなずくと、健二の紅い顔に確かに喜色が浮かぶ。それを疑わなくていいことがうれしい。
佳主馬はゴミ箱にでも捨てて帰ろうかと思っていた紙袋から今朝手に入れたばかりのチョコレートを取り出した。
「それからこれ……渡しにきた」
健二は驚いた顔をして、さっきの佳主馬と同じようにテーブルの上の小箱と相手の顔を何度も交互に見つめる。
それから、おそるおそる手を伸ばして佳主馬からのプレゼントを手に取ると、ひどく優しい眼差しでそっと小さなギフトボックスをなでたのだった。
健二の指がチョコレートボックスに触れる瞬間、佳主馬は小さくふるえる。
まるで、健二に直接心を触れられているような気がした。
多分、今日はとてもいい日だ。
触れられた心がとても暖かくて、うれしい感じに満ちている。
「佳主馬くん……」
そうして健二は佳主馬にほほえむと、小さく「すごく、うれしい」とつぶやいた。