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● ケモノのうたたね * 佳主馬  ●




 知らない間に眠ってしまっていたらしい。
 ふいに意識が浮上した。同時に、左肩に重みを感じる。見れば、恋人が頭を預けて寝息を立てていた。
(健二さん……)
 さらりとした髪からは、佳主馬と同じ香りが漂って鼻をくすぐる。それだけで、ひどく優しい気持ちになれる。
 テーブルの上にはさっきまで目を通していた書類がきちんと揃えて置かれている。それだけでなくいつの間にか覚えのない毛布までかけられていて、佳主馬は健二の心遣いにふと微笑した。
 自分が眠っている間に、甲斐甲斐しく世話を焼き、そっと隣に忍び込んでいつの間にか自分も寝入ってしまうなんてほとんど反則と言っていい。
(健二さん……)
 胸の内に甘くて柔らかい感情が満ちる。
 健二に出会ったから覚えたこの気持ちが、佳主馬にはくすぐったくて気持ちがいい。
 今すぐにでも健二にキスをして紛らわせてしまいたいが、そんなことをしたら起こしてしまう。
 それはかわいそうだ、と佳主馬は思った。
(ここんところ、バイトとレポートとで大変そうだったもんな……)
 がんばりすぎる傾向のある生真面目な恋人のそうしたところが大変好ましいのだが、同時に心配にもさせられる。
 すーすーと静かな寝息をたてる健二は、佳主馬が起きたことには全く気付く気配がなかった。
(どうしよ……)
 佳主馬にはちゃんと毛布がかけられているのだが、健二はTシャツにスウェットのままだ。
 風邪をひかせたくないから、自分が使っている毛布を譲ってやりたい。だが下手に動いて健二を起こすのも忍びない。
 健二は今日は朝からずっと、OZのメンテナンスバイトで忙しそうにしていた。高校の時からずっと続けている仕事なのは知っている。結構偉い立場になって「時給が一気に上がったよ!」とこの前うれしそうに言っていた。つまり、ギャラが上がった分仕事の内容はより高度にかつ煩雑になったということだろう。
 佳主馬は肩に頭を預けている恋人にふと微笑みかける。
 実を言ってしまえば2人住まいのこの部屋の家賃は、佳主馬だけで払うことができる。それでも「佳主馬くんに何もかもよっかかるだけはいやだよ」と言って、家賃の三分の一と生活費の半分を健二はちゃんと出してくれているのだ。
 どういうやりくりをしているのかお財布事情までは知らないが、家賃を含めた生活費のかなりの部分をOZのバイトに頼っているのは明白で、その分難しい顔をしてログインしていることが多いことを佳主馬は複雑な思いで見守っているのだ。
(ホントは、全部囲っちゃいたいんだけど、ね)
 健二が言うところの「学生には贅沢すぎる」この家は、元はと言えば佳主馬の都合に合わせて借りた物件だ。だから、家賃を佳主馬が全額負担することに対して健二が気に病む必要はない、と佳主馬自身は思っている。
 だがそれでは、健二のプライドが許さない。佳主馬はそういう志を尊重しなくてはいけないと思う。
 バランスをちゃんととることはとても重要だ。
 相手を尊重して、自分といる空間を互いに気持ちのいいものにしていかなくてはいけない。ひくだけでもだめだし押すだけでもだめだ。
 ちょうどいいところを見つけて、2人がかりで守っていくことが大切なのだ。
 2人で生きるということは、そういうことだと健二との毎日で学んだ。
 重みを預けないように注意しながら、佳主馬は健二の頭に頬を寄せる。広い家の中で2人してぴったりとくっつきあっているだけの感じが気持ちよかった。
 心臓の鼓動も、吐く息も、全て直接伝わってくる。
 それは途方もない甘さを佳主馬の中に呼ぶ。
(健二さん……好き……)
 佳主馬は自分の人生がまだ序盤だということも、この先たくさんの出会いが待っているのだろうということもわかっているつもりだ。でも、こんなに離れたくないと思う人に会う機会が二度と訪れることはないだろうということは確信している。
 格闘家として「これ」と思うタイミングは逃したら命取りになると知っている。
 健二の存在そのものが、佳主馬の人生の中で最も逃してはいけない『要』なのだと最初に感じてからずっと、信じて疑ったことはない。
 健二は、自分の中の本能が「逃がしたらだめだ」と大声で叫んだはじめての人だ。以来、その声は一度も止んだことはない。
「……」
 そっと頭頂部に唇を落とす。
 それから、慎重に少しずつ自分にかけられている毛布をずらしはじめた。決して起こさないように、風邪をひかせないように、手練の相手と対峙するよりも緊張しながらミッションに臨む。
 じりじりと布をずらし、自分の身体からはずす。
 ぴたりとくっついて眠っている健二と自分に毛布の端が挟まれて、完全に取り払うことはできない。それはそのままにして、結局裏表をひっくり返すようにして健二の上にかぶせてやる。
「よし……」
 健二は今、毛布をかけられ、深い寝息をたてている。
 佳主馬は自分の上々の首尾に満足すると健二の頭に自分のを寄せる。
 くっついたままのところから、鼓動が伝わる。
 目を閉じて、健二の正確で静かな拍動を聞いている。
 とても、静かだった。
 午後の光が窓から降り注ぎ、明るい部屋の中は2人分の静かな呼吸音しかない。だが、耳を澄ませば家電のモーター音が低く唸り、窓の外には世界が広がっていて、当たり前の日曜日を楽しむ人の息遣いがある。
 2人きりだが、決して閉ざされているわけではない。
 でも、この場所を選んでここにいる。
 じわりと滲む甘さに、ふいにこみあげた。
「わ……なに?」
 目じりにたまった涙を指でぬぐう。
「ここ、泣くとこじゃないんだけど」
 あわてて目をこする。と、佳主馬にもたれかかっていた健二がむずがるようにうめいた。
「あ……健二さん、起きちゃう。やば……」
 取り繕うにも、正体不明の涙をこらえる術がない。

「佳主馬くん……?」

「わ。ごめ……起しちゃった?」
「いつの間にか寝てたんだ。ごめん、重かったろ?」
 健二が申し訳なさそうにそう言う。
「いや、別に。僕のが先に寝ちゃってたんだし。あ、毛布、ありがとう」
「……佳主馬くん?」
 健二の指が伸びてきて、涙のにじんだ目じりをなでた。
「どうしたの?」
「いや、これ……なんでもないから。なんか、いきなり……ホント、全然自分でも意味わかんないから」
 真っ赤になって慌てる佳主馬に、恋人は優しく微笑んだ。そうして。

「……け」

 涙の滲んだまなじりを、健二はそっと舌でぬぐった。そうして笑う。

「コーヒー、淹れようって思ってたんだ。誘いにきたら佳主馬くん眠ってた。今から煎れるけど、飲むだろ?」
「う、ん……」
「あと、昨日教授からもらったクッキーあるから。それも一緒に食べよう」
「あ、それなら午前中に契約書と一緒にプリン。プリンもらってるよ」
 健二は立ちあがってキッチンの方に歩きしな、振り返ってうなずいた。
「豪華だね。一緒に食べよ」
 佳主馬はその言葉に大きく頷いた。

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