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● 同じ月をみてる  ●


「たまにはお月見もいいね」と、傍らでゆったりとした口調の佳主馬が言う。
 ふと、健二は微笑んだ。
「なんでお月見しようかって思ったかって言うとさ。今日が中秋の名月だって、朝のニュースで言ってるの観たからっていうのもあるんだけど……さっき一升瓶を包んでいた風呂敷を解いたらさ、キングがいたんだ。だからだよ」
「キングって……僕?」
 健二は「そう」と、笑って立ち上がると、キッチンのテーブルの上に丁寧に畳んでおいた風呂敷を持ってくる。
「あ……」

 濃紫の小紋の風呂敷には満月を見上げるうさぎが一羽たたずんでいる。

「気がつかなかった……これ、こんな柄入ってたんだ」
「なんか、かっこいいスポンサーさんだよね。わざわざ君にあげるお酒を包む風呂敷だからって、これを選んだんだよ、きっと」
「そういえば……」と佳主馬は比較的和やかに進んだ昼食会の時の会話を思い出した。
「今日、中秋の名月だからって言ってた、かも」
 空の月はそんな冠が被せられているとなると、なんとなくいつもと違ってより風情のあるように見えるから不思議だ。
 健二は佳主馬の杯にほどよく冷えた頃合いの日本酒を注ぎながら微笑して、自らの盃を何度目になるのか、呷って見せた。
「ん……これ、やっぱり美味しい」
 佳主馬は苦笑しながら、健二に新しく酒を注いでやると、自らも自分の杯に口をつけた。
「やっぱりかっこいいスポンサーさんだなあ」
 健二は感心しきってほめたたえる。と、佳主馬は少し含みのある声で言った。
「でも、この柄、ちょっとだけ足りないよね」
「この風呂敷の柄? 何が足りないの?」
 キングカズマに渡す贈りものを包むのに、これ以上ないほど粋でしゃれていると健二は思う。
 今度はゆっくりと含むように酒を味わっている様子の恋人は、健二の問いかけに「えー? わからないの?」と少し不満げな顔をする。

「うさぎの隣には、りすがいないと話にならないでしょ?」

 大真面目な顔をして、佳主馬はそう言うと残っていた杯の中身を一息に干した。
 健二の身体に、急に酔いがまわってくる。
 佳主馬がつぶやく。
「なんか、気に入らないな……」
「なんで? こんな粋なことするのに実際会うとイヤな感じの人だったとか?」
 佳主馬はちらりと健二を睨むと「それ」と言う。
 促されて、とっくりを傾ければ、紅い舌を突き出して、杯の中身を舐めるようにすくった。
「健二さんが、やたらほめてるのが気に入らない」
 少しむくれている頬は今、きっとほんのり紅いに違いない。それはこの酒のせいばかりではないだろう。
 健二は微笑して、ほんの少しだけ座った位置を佳主馬の方にずらした。
「りすの位置は、これくらいでいいかな?」
「……もうちょっと近くてもいいんじゃない?」
「そうだね……」
 月は、2人を見降ろしながらゆっくりゆっくり昇っていく。
 佳主馬の瞳は既にとろりとして少し充血して紅いに違いない。
(灯り、消さなきゃよかったな……)
 ほんの少し、健二は後悔する。恋人のかわいいところを見れる機会はとても貴重なのだ。
 月光の下、こちらを見つめる姿はまるでうさぎみたいなのだろうな、と健二は少しだけ歯がゆく思った。
(こんなかわいいのにさ……かっこいいんだからイヤになっちゃうよね)
 心の底でこっそり思う。
 ふわふわした感じに包まれているに違いない佳主馬が、囁くように言う。
「ね……りすはさ、やっぱりもっと近くてもいいんじゃない?」
「……うん」
 ゆっくりと顔が近づいていく。
 ほんのわずか触れた。と思った次の瞬間には、熱い舌が咥内に割り入ってくる。
「ん……ッ」
 佳主馬の腕を捕まえて、さらに深い交わりをねだった。
「……健二さん」
 囁く声にぞくぞくと煽られる、日本酒のせいでただでさえ速くなっている鼓動が加速する。
(キス……甘い……)
 佳主馬と唇を分けあっていると、いつもどうしていいかわからなくなる。
 熱くて、溶けそうで、切なくて、混乱する。
 触れて、離れ、また触れる。
 キスから逃れたいのか、もっと貪り尽くされたいのか、それも自分でよくわからない。
 佳主馬が小さく舌を突き出して、唇の端を舐めてくる。それがもどかしくて自分から唇を合わせにいった。
 ゆっくりとその場に押し倒される。
 シャツの裾から佳主馬の手が入りこんできて、肌を探る。
 くすぐったくて、だが、時折確信的な指が胸の先をきゅっとつまみあげる。その度、ひくりと身体が震えた。
 喉をのけぞらせて佳主馬に見せつけると、佳主馬が首筋に吸いついてきた。
 強く吸われて、痕がつけられていく。これでは明日、研究室に行った時にまた仲間たちに「小磯さんの彼女って激しいよね」と、勘ぐられてしまう。
「身体、痛くなっちゃうかな……」
「いい……」
 健二は腕を伸ばして、佳主馬の首に巻きつけた。
「ここが、いい……」
「健二さん、酔ってるでしょ?」
 佳主馬は目を細めて笑う。肩越しに白い月が見えた。
「酔ってないよ。でも……ここで、したい……」
 薄い闇の中で紅い目をした佳主馬がこくりと息をのむ。
(僕はうさぎに食べられちゃうんだな……)
 佳主馬が月光の下に晒された肌に舌を這わせる。ぞくりとした感覚が下腹部からあがってきた。
「あ……」
 健二が使っているのと同じボディシャンプーの香りが鼻をくすぐる。
 緩慢な動作で衣服をはぎ取られ、全てを晒していくのは未だに恥ずかしい。
「健二さん……」
 最中に佳主馬に名前を呼ばれるのがとても好きだ、と健二は思う。声が甘くて優しい。
 世界で一番の人が自分だけを愛しているのだと実感できる。この傲慢な悦びは、健二の中だけに押し込めておかなくてはいけないと常日頃思っているのだ。
(知られたら、きっと呆れられる……)
「あ……そこ……」
 佳主馬の指が下腹のあたりをまさぐる。あっという間に見つけられてしまったそれを絡め取り、ゆるく擦られた。
 反対に唇で胸の粒を捉えられ甘く噛まれたり強く吸われたりを繰り返す。
「あ……あ……あぅ……」
 窓は大きく開け放たれている。まさか、隣の部屋に自分の声が聞こえたりしてはいないのか、と一瞬にして怖気づき健二は自分の指を噛もうと試みる。
「だめだよ……ここでしたいって言ったの、健二さんだ。声、聞かせてよ……」
 格闘家の魂を持った恋人は、健二の抵抗など元より読みこみ済みらしい。そこを今度は少し強く擦り上げながら、唇を捉える。
「ん……ふ……ぅ……」
 唇の端から飲みきれない唾液が零れていく。
「まだ、お酒足りないよね?」
 佳主馬はまだテーブルの上にのったままの盃を手にとって、わずか残った酒を口に含む。そのまま唇が重なった。
 すっきりとしたのど越しのはずの酒が、ひどく甘くてとろりとした味わいになって健二の喉を鳴らす。
「は……」
 酒精の名残を欲するように、だらしなく口を半開きにして佳主馬を見上げる。
「僕も、もう少し飲みたい……」
 そう言うと、今度は江戸切子の青いとっくりを手に取り、ほんの少しだけ健二の胸の上に傾けた。
「……っ!」
 予想よりもずっと冷たい鮮烈な感触が、胸の上に滴る。
 びくん、と大きく身体を震わせると、身体の脇に酒が流れ落ちて行く。
「もったいないよ。健二さん……」
 言って、佳主馬が健二の胸に垂らされた酒を残さず舐め取っていく。
「あ……あ……熱……い……」
 ぴちゃぴちゃと、ミルクを飲むねこのように、佳主馬は健二に舌を使った。
「熱い? これ、冷酒だよ? ああ……まだ飲み足りないのか」
 佳主馬は微笑すると、とっくりから直に酒を口に含む。
「ひぁ……ッ!」
 そのまま、佳主馬の手で屹立させられたそこを咥内に含んだ。
 冷たい酒と、佳主馬の熱い舌が反り立ったそこで混じりあう。
 染みるような痛みと、それ以上の行為の淫らさに健二は声を押さえられない。
 ちゅ、ちゅ、と先端を吸われるようにされるとびくびくと震える腰が限界を訴える。
「……健二さん、すごいかわいい……」
 多分健二に対する形容詞でそんなものを遣うのは佳主馬だけだ。
 限界まであと少しのところで止められて、健二は身もだえる。
「あ……あ……」
 自らの手を伸ばそうとして、佳主馬に巧みに邪魔をされて叶わない。
 思わず恨みがましい目で、まだ衣服を身につけたままの佳主馬をにらんだ。
「もっと、お酒。欲しいよね?」
 囁かれて夢中で頷いた。
「でも、もっと欲しいもの、あるんでしょ?」
 その質問に、健二はやはり頷く。
「どっち? どっちが欲しい?」
(佳主馬くんは……)
 健二は朦朧とした意識の中で思う。
(佳主馬くんはうさぎだけども……)

「佳主馬……くん……」

「よくできました」
 佳主馬はにっこり笑った。
(佳主馬くんは、うさぎだけれども……猛獣だ……)
 身体を横抱きされにると、どこから持ってきたのかたっぷりとローションを垂らされ指を使われた。
「健二さんはお酒の方がいいのかもね」とうそぶく佳主馬に何度も首を振る。
 中を探られながら、何度も口移しで酒が注がれる。
 きりりと辛口のすっきりとした飲み口のはずのその酒は、佳主馬の唇から供されると不思議に甘くてとろりとした味わいがする。
「ホントに強いよね……僕の方が酔っちゃうよ」
 何度目になるのかわからない程のキスの後で、苦笑する佳主馬に健二は薄く笑む。
「……うん。好きだよ」
 佳主馬ははっとしたような表情を見せた。それから、不思議に泣きそうな歪んだ顔に代わる。
「健二さん……」
 告白よりも重く腹の底に響くような声で、名前を呼ばれた。
 健二は微笑んで佳主馬の前で自ら脚を開く。
 熱の塊が割り入ってくる。
 貫かれ、揺さぶられ、突かれ、健二は声をあげた。
 自分が選んだ猛獣に進んで身体を差し出しながら、抱き締めた男の背中越しに空に上がった月を見つめる。
 猛った熱が強引に身体を拓き、健二の内側を食らい埋め尽くしていく。
 食われる快楽を、健二は知っている。
 全て佳主馬が教えてくれた。
「ん……んんんっ……ッ!」
 上と下とで繋がって、このまま永久にこの部屋に閉じ込められることができたなら、ひどく幸せなのに。と快楽の極みを迎える刹那、健二は心からそう思った。



「月……きれいだね」
 身体のあちこちがひどく痛む。
 床の上でことに及んだつけは、むしろ今より明日の朝健二を悩ませるだろう。
 裸にケットをかけられたままの健二の傍らで、佳主馬はずっと飽きず恋人の髪を弄っている。
「うん……そうだね、健二さん」
 健二はその応えに少し笑った。
「全然、月なんか見てないでしょ」
「見てるよ」
「うそだ。全然見てない」
 佳主馬がずっと見つめているのは、ついさっきまでひとつに交わって啼かせた恋人に他ならない。
 じっと見つめたままの視線は、健二の上から動かない。
 その視線に酔いそうだ、と健二は思った。
「見てるって。ホントだよ」
 言いながら、額にまぶたに唇が落とされる。事後の甘い時間は、健二とて好きなのは同じことだ。
「中秋の名月。今年は上手く晴れたけど、来年は曇って見えないかもしれないのに」
「じゃあ、再来年見ればいいよ」
「再来年も曇るかもしれない。ひょっとしたら雨かも」
「なら、次の年に見る。健二さんと一緒に」
 そう言いながら、唇が唇に触れた。少し、深いキスになる。
「でも、今年の月は今年だけのものだよ。僕は佳主馬くんと一緒に観たいんだけど」
 佳主馬は笑って健二の髪を指で梳く。
「見てるよ。健二さんの目に月が映ってる。僕はこっちの方がいい」
「……佳主馬くんて、なんかすっごいたらしなのかも」
 少し眉を曇らせて健二は言った。
「どうして?」
「すごいこと平気で言うよね。時々、どうしたらいいのかわからなくなる」
 真顔でそう抗議すると、佳主馬は笑った。
「嫌いになる?」
 ぐっと言葉に詰まると、佳主馬は満足そうに「よかった」と笑うともう一度唇を落とす。
「上田の家に池があったの覚えてる?」
「池? ああ、万作さんがイカ釣り船浮かべた……」
 騒々しい忘れられない夏の記憶を思い出して健二が笑うと「それそれ」と佳主馬は頷いた。
「おばあちゃんが言ってた。月は、空に浮かんでるのを観るのもいいけど、庭の池に映った月を眺めるのも観月の作法のひとつなんだって」
「へえ……」
 亡くなった栄はでは、秋になる度に庭の池に映った月を愛でていたのだろうか。
 ほんの数日関わっただけの、今も忘れられない傑女の姿を健二は懐かしく思い出す。
 佳主馬はそんな健二に微笑した。
「昔は水に映った月を眺める意味がわからなかったけど、今はわかる気がする。本物を眺めているよりずっと……きれいだなって、思う」
 そう言って、健二の髪をまたいじる。
「僕の観月の作法はおばあちゃん仕込みだよ。文句ある?」
 健二は微笑した。
 空に月。かたわらにうさぎ。
(なら、僕のこれはオリジナルかな?)
 それから、ほんの少し月とうさぎを天秤にかけ、うさぎの首に腕を回す。
 そうして、いつもよりほんの少し貪欲なりすは、月の下でうさぎと再びじゃれあった。

<BEFORE


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